【書評?】正欲
こんにちは、廣瀬です。
読書がまるで出来なくなった私が、久々に小説を読み終えたので、これまた久々に書評?noteを更新したいと思います。
今回は朝井リョウ著 正欲(新潮社)を書評?していきたいと思います。こちらの作品は朝井リョウ作家生活10周年記念の書下ろし長編小説ということで大変読み応えがありました。
Twitterのタイムラインでも、かなりの数見かけた気がします。それではあらすじから紹介していきましょう。
あらすじ
あってはならない感情なんて、この世にない。
それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ。
息子が不登校になった検事・啓喜。
初めての恋に気づいた女子大生・八重子。
ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。
ある人物の事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり合う。しかしその繋がりは"多様性を尊重する時代”にとってひどく不都合なものだった。
(読書メーターより)
感想
多様性とはなんだろう。言葉のまま受け取ればそれはそんなに難しいことではないけれど、人はどれだけ多様なものに寛容になれるのだろうか。そんなことを考えさせられた。
自分自身がマジョリティーなのか、マイノリティーなのかと問われたら、私はどちらかというと色々な視点で見てマイノリティーの側に入ると思う。けれどそれは、マイノリティーの中のマジョリティーであるのだ、とこの作品を読んで思わされた。
この作品の中に出てくる登場人物は大半がマイノリティーな人間だ。それもマイノリティーの中でもまた少数であろう人間である。
もちろんこの作品の中に出てくる人物の中にはマジョリティー側の人間だって出てくるのだが、この作品に登場するマジョリティー側の人間は、無遠慮でどこか無神経でいて、そしてそれは普通でもある。
自分は普通だ。と考えている人間は自然と、どこか無遠慮でどこか無神経でいると私は常々感じてきた。それがこの作品でも如実に表現されているように感じる。
それは恐らく、普通という言葉を武器にして生きているからなのだ。寧ろそれしか武器がないのかもしれない。それくらい、普通でいることというのは生きていく上で大切な要素なのかもしれない。
私は自分自身を普通だとあまり認識していない。普通ってなんなのだろうと常々考えてきた結果、もしかしたら自分は普通という枠の中から外れてしまっている人間なのかもしれない、と子どもの頃から感じ、疎外感を覚えてきた。
だからこそ、私はこの作品に出てくる人物たちの、説明したって意味がないという感情がよくわかる。普通の人には説明したって伝わらないこと、理解しようとしている自分に酔っている雰囲気を感じてしまうこと、そしてその酔いの中でそれが終わってしまうことを知っている。
だから私は、自分の中のマイノリティーな部分をさらけ出したりはしない。ある意味で、私は誰とも繋がっていないのかもしれない。こんなにもnoteなどで日常を晒していても、私は自分の一番柔らかくて仄暗い場所は明かしていない。
病気であることも、太っていることも、大したことではない。それ以上に私は柔らかくて仄暗い場所を自分の中に持っている。そしてそれは、今まで出会った誰にも明かしていない。そうするしかないから。
この作品を読んで私が感じたのは、誰かと繋がるということは幸福なのだということだ。
登場人物たちは、作品の中で自分の一番隠したい部分をさらけ出すことが出来る相手に出会うことが出来る。それが、どんな結果をもたらしたとしても、それは幸福であったと言えるだろう。
私にもそんな場所があれば、もしかしたらもっと救われるのかもしれない。そう感じた一作だった。
終わりに
今日は朝井リョウ著 正欲(新潮社)を書評?してみました。なんだか今回は、自分の一番柔らかくて仄暗い場所を抉られるような作品だったなと思います。
朝井リョウさんは同い年の作家さんで、とても好きな作家さんの1人なのですが、今回もやられたな……。と感じました。
朝井リョウさんの作品を読む度に、私はそれまでの自分ではいられなくなるような感覚があります。こんな読書体験を出来る幸せを噛みしめながら、私は生きていこうと思います。
それでは最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回の更新でお会いしましょう。
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