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陳独秀、胡適、顧准

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陳独秀(1879-1942)を中心。胡適(1891-1962)、顧准(1915-1974)も扱う。
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#民主主義

John Dewey 1859-1952-1919年の日本そして中国滞在:中国への影響

Dewey's Political Philosophy By Matthew Festenstein Cited from Stanford Encyclopedia of Philosophy  John Dewey(1859-1952)はアメリカの哲学者でpragmatismを連想させる。彼の、哲学の著述は、主たる関心である教育、社会、政治を中心に、ほとんどの領域にわたっている。彼の政治的著述の多くは、個別の問題で促されたものだが、全体の方向性は彼のプラグマティズ

Bertrand Russel 1872-1970 ラッセル 中国問題(1922)

バートランド・ラッセル By John Simkin Cited from spartacus-educational.com  Bertrand RussellはMontmousthshireのTrellechで1872に生まれた。彼の両親は彼がとても若い時に亡くなり、彼は、自由党の元首相John Russellの未亡人である祖母に育てられた。Trinity CollegeそしてCambridgeで彼は数学と哲学で成績がトップだった。  大学(卒業後)のベルリン訪問は彼の

蔡元培,馬寅初,胡適について

                             福光 寛 この10年ほど中国のことを考えてきて、最近この3人のことを考えるようになった。ただまだまだ資料を読み足らないし、分野が違うこの3人を比較するのはかなり大変な作業だが。ここでは問題意識だけ述べる。(写真は湯島聖堂の孔子像。) 馬寅初(マア・インチュ 1882-1982)は財政学者としてよりは、人口論で毛沢東と対立して北京大学校長をやめさせられたことで有名だが、蒋介石統治下の中国で蒋介石批判をして

陳独秀と不断革命論 1930-42

 林致良他編《陳独秀晩年著作選》天地2012年を使って、陳独秀(チェン・ドウシウ 1879-1942)の民主主義に対する考え方の変化を確認したい。仮説として考えられるのは、トロッキー(Leon Trotsky 1879-1940)の「不断革命論(日本語は永続革命論あるいは永久革命論 permanent revolution)」の影響、そしてその変化である。その場合、当初は、民主主義の徹底はあくまで社会主義を実現するための戦略であって、その先に連続して社会主義革命を目指すとい

陳独秀 民主主義の正しい評価 1940/07

《陳獨秀 給連根的信(1940年7月31日》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.181-183 陳独秀という人の最晩年、民主主義がまず重要であることを主張して、当時のスターリン、ヒットラー、ムッソリーニの独裁体制を批判。また民主主義のない社会主義には、何の意味もないと喝破。レーニン=スターリンが掲げた無産階級民主主義は、党の独裁にほかならない点で、民主主義の内容がなく、空虚だと徹底的に批判している。こうした陳独秀の議論は、近年、陳独秀の議論が再検討される中

陳独秀 民主主義は人類の発明 1940/09

《陳獨秀 給西流的信 1940年9月》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.185-192,esp.189-190 (写真はツツジ。肥後細川庭園にて2020年5月31日) p.185 西流兄身辺の方へ:数日前に一筆差し上げ、それに付随して超麟兄から手紙が寄せられたが、すでに見られたであろうか。七月二十一日の手紙は守一兄の手紙がすでに読まれたことを示している。病気のために兄からの手紙にすぐに返事はできないが、同様のことである(今猶如此)。(この手紙は書き続け

任建樹「陳独秀の最後の見解」2008年1月

解題                             福光 寛  以下は任建樹《陳獨秀的最後見解》載《陳獨秀與近代中國》上海人民出版社2016pp.184-188の翻訳である。なおこの任の記事は《社会科学報》2008年1月17日からの採録である。任建樹(1924-2019)は陳獨秀著作選の編集にあたった人物として知られる。以下の文章は任が83歳のときのもの。2019年11月に任は亡くなった。任が陳独秀の研究を長年続けたことの意義については、南京財経大学の石鐘揚が、毎日

陳独秀 反対党の自由と議会 1940/11

《陳獨秀 我的根本意見(1940年11月28日)》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.193-198,esp.194-195(写真は肥後細川庭園) p.194 (八)民主主義はおのずと人類が生み出した政治組織であり、政治が消滅するまでも、各時代(ギリシア、ローマ、近代から将来の)多数の階級人民は少数特権の旗幟に反抗した。”無産階級民主”これは空っぽの名詞ではない、その具体内容は資産階級民主と同様に、全ての公民に全員に、集会、結社、言論、出版、罷業の自由を求める

陶希聖「陳独秀について」1964

(解題 以下は陶希聖《記獨秀》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.123-138 の翻訳である。陶希聖は内容からみて、陳独秀のおそらくもっとも身近にいた友人の一人といえる。幹部派、反対派、トロッキー派などさまざまな左派グループの関係や考え方、その中での陳独秀(1879-1942)の位置、などを考える上で参考になる資料である。陶希聖(1899-1988) は中国の近代政治史で大きな役割を果たした人物の一人。経歴をみると、様々な要人との交流も多く、蒋介石(1887

顧准 直接民主は行えない 直接民主と議会清談館(上) 1973/04/20

顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.119-125抄訳。 p.119 一、直接民主の理想は『フランスの内戦』に由来する  ある人が民主を求め、また「議会清談館」「国家消滅(消亡)」などの大騒ぎの中に居れば、当然直接民主に向かわざるを得ない。彼はこの種の民主制は、下層(基層)から始め、公社形式をとり、人民をまさに主人とするべきだと考える。たとえ代表を派遣するとしても(それは代議士ではない、英文の上では代表も代議士もみなRepresentativeでは