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孔子と孟子の違い 浩然の気

                             福光 寛
 孔子の論語の世界と、孟子ではかなり人生観が違うが、一つの原因は言葉を述べたときの孔子、孟子それぞれの人生の年代や、そのとき社会から受けていた処遇など環境の違いにあるのではないか。孔子の言葉はおそらく孔子が晩年のもの。60代から70代だろうか。その言葉からは孔子の不遇が伺われ、晩年に至り、処世について、ポストをめぐる争いから少し距離を置いた、やや達観した心境が伺える。(写真は孟子像 立命館大学朱雀キャンパスにて 2020年2月21日)
 先生が言われた。「位がないことを患うことなく、何を成し遂げたかを患う。自分が知られないことを患うことなく、知られるべきことをなすことを求める。」(子曰:不患無位,患所以立。不患莫己知,求未可知也。” 論語里仁篇第四14)
 人知れず善行を積む境地。わからなくはないが、なにか寂しい。このとき孔子は鬱だったのではないか?

 これに対して、孟子の言葉は、孟子がおそらく50代前半の壮年期ではないだろうか。まだ人生を信じていて、言葉に勢いがあり、生気に満ちている。大丈夫(志のある男子)とは何かを論じてこういう(滕文公下2)。
 「この世の中を広く住まいとし、正しい地位につき、正道をゆく。志が得られれば人々と行動をともにし、志が得られなければ一人道を歩む。豊かになって乱れることなく、貧しくなって変わることもない。権勢に屈することもない。これを大丈夫という。」(居天下之廣居,立天下之正位,行天下之大道;得志,與民由之;不得志,獨行其道。富貴不能婬,貧賤不能移,威武不能屈,此之謂大丈夫。)
 この孟子のようなタイプは分かるが、自営経営者のタイプで少しウザイ。孟子は自分は「浩然の気」を養っていると別の箇所で述べている(公孫丑上)。そしてそれを説明して、その気はどこまでも広がり、天地の間をふさぐほどだと説明している。(其爲氣也,至大至剛,以直養而無害,則塞于天地之閒。)孟子の気持ちの高ぶりがよくわかる。

 おそらく、人はこうした孔子の心境(鬱:うつの状態 気分が落ち込んだ心理状態)と、孟子の心境(躁:そうの状態 気分が高まった心理状態)を一定周期で繰り返しているのではないか。
 私たちの普段の心情はこの二人の中間にある。だから私たちは普段は、孔子を読むと枯れすぎていると思い、孟子を読むと嘘っぽく思い。しかし気分の変化に応じて、時に孔子に共感し、時に孟子に共感するのではないか。
 気分の上がり下がりに関する成語も多い。高揚を示す言葉に如魚得水(水を得た魚)、勢如破竹(破竹の勢い)、無憂無慮(軽やかで愉快である)、欣欣向榮(活気があふれている)、朝氣蓬勃(意気揚々)。気分の落ち込みを示す言葉に垂頭喪氣(意気阻喪)、無精打采(気力も元気もない)、日暮途窮(日暮れて途遠し)、杞人憂天(天が落ちることを心配する)など。

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