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あやふやな経営学の専門分野に注意

30年前にジョージア工科大学を卒業してMBAをとった。1993年6月30日に卒業をして帰国前にカナダ旅行をした。これが最後のカナダになるな。きれいなアイスフィールドパークウェイを家族でトライブする。最初で最後。そして最高のドライブだ。そんな思いでカルガリーに向かった。そして今日それはほんとうのことになりあれ以来カナダにいくことはなかった。

わたしたち家族は1週間の旅行のあとにアトランタにもどり家具を処分して日本に帰国した。3週間の準備期間後に渋谷にある日本コカ・コーラに就職した。わたしはコカ・コーラ社においてMBAで習得してきたのを十分に発揮できるのではないか。そういう期待をもってとりくんだ。朝早く行き机について一丁やったるかという思いがどこかにあった。

しかしまもなくしてそれは場違いで勘違いであったことに気づいた。MBAがなくてもできるような仕事が多かった。むしろMBAをとってきたことがマイナスになるような局面も多かった。一連のことを振り返るといろいろなことが膨らみMBAで学ぶ経営分野のなかになにかしらあやふやな落とし穴があることがわかった。

あるオンラインイベントで組織行動について話す機会がある。グーグルで10年間働いた後ユニコーンのストライプ社で8年間勤務したクレア・ジョンソン(50)。彼女が引退をして本を出版した。その題名はScaling Peopleといってなじみやすいタイトルだ。

彼女はCOOとしてオペレーションに関わる業務をマニュアル化した。そこに書かれていることは一般の会社にあてはまること、あてはまらないことがある。あてはまるのは静かにおとなしくしているひとの扱いをどうするか。ひとの才能をどうやって引き出すか。ミーティングでだまっているだけの人は何も貢献しない。そういうひとをどうやってしゃべらせるか。

しゃべらなければミーティングに出る必要はない。あとで決まったことだけをメモで見ればいいだけだから。

また職員たちが言いにくいことをどうやって言わせるのか。組織の病がはびこっていることをどう指摘してもらうか。だれも都合の悪いことは言いたくはない。言ったために周りから標的にされて解雇や臭い飯を食わされる。たまったものではない。日本の会社では都合の悪いことは知らないふりをする。隠すかだまっていることが多い。あったとしてもぼやかして先送りにする。

無関心を装い軽く笑ってごまかすことが通例だ。だれも組織の病気と戦いたくない。ガバナンスが効いていないこともあり不正会計や品質基準違反は常にある。もし万が一見つかったとしても役員が出てきてテレビの前であやまるだけ。そのまま会社に残って背後で経営を続ける。

それでなにも裁かれない。東芝のように経産省と社内役員がつるんで7年間で1500億円の不正会計をした。それでも会社がなくなることはない。なんとも不可解である。

退職者にも十分に年金が支払われている。そのひとたちの一部が大学講師になって東芝のことを平気で講義することだってある。わたしが担当をしていた都内の大学でも普通に8年近く行われていた。そのひとは講義と講義の間に家族で海外旅行をしていた。わたし自身彼の講義内容は気に入っていたが素行があまりにもよくなかった。だれも注意しなかった。

新興企業の場合はそんなわけにはいかない。そういう社員がいたらすぐにキャッシュが底をつく。都合の悪いことはいつまでも隠せないのがスタートアップだ。スタートアップと違い政府や大企業はそういった切羽詰まった圧力がないため隠しとおしてあやふやにできる。

オペレーションの改善をする必要はなくふんぞりかえっていても利益が出る仕組みになっている。既得権益というのはそういう甘い汁をすいとることをいう。

そういった特性から彼女の本はスタートアップで働く人のためのオペレーションの手引きになろう。彼女のやり方に近いやり方をするひとの下では十分に参考になろう。しかし経営というのはそもそも怪しい活動が多い。どういうことか。

わたしが知りうる限りで経営分野で怪しいところを書き出してみよう。会計の勘定科目、財務における投資、戦略とオペレーション、経済学における因果関係、マーケティングでの広告、そしてITではデータベースとネットワーク。こういったところでかなり恣意的なことが起こりやすい。これらは経営に関わる人であれば理解はしておく必要はあるだろう。どこまでいってもグレイな部分が残る。

まず会計においては財務諸表を作成しなければならない。財務諸表には貸借対照表や損益計算書がある。前者は資産・負債のスナップショットのようなもの。会社の健康状態を表す。後者は1年間の活動の状況だ。それらを作る基になるのが会計元帳である。この会計元帳を見ればわかる。どの勘定科目にいくら計上されているのか。科目と金額が掲載されているはずだ。

勘定科目は経理担当が適当に作ってはいけない反面それほど会計基準に沿っているわけではない。あきらかにまちがっているところに計上してはいないだろうがあやふやにしてもできてしまうことがある。どれをどこにいれるかは会計担当によってまちまちである。作られた財務諸表の正確性は完全ではない。監査されてあり有価証券報告書に掲載されていても正しくはない。一般に正しいと考えられているだけだ。

それは会計のひとたちがする仕事の目的は節税にある。節税ができればいいのであって財務諸表をつくる目的とは別にある。

次に財務の仕事の中で投資というのがある。投資も大学院で学ぶ。金利の理論から初めて投資評価を学ぶ。投資案を評価するには収益率、回収期間、キャッシュフロー、そして現在価値で行う。評価として妥当かどうかというのを散々訓練する。妥当であれば資金調達をする。

しかしそれで実際の資金調達がうまくいくわけではない。どこかに依頼して資金調達をすることもあろう。その調達には金融市場からお金を引っ張ってこなくてはいけない。あらゆる不確定な要素、特に人間の心理がはいり思ったようには資金が集まってこない場合がある。この市場に群がるひとたちというのは難癖のあるひとたちばかりである。

特に証券会社でマネーマーケットや株式市場でトレーディングをするひとたちというのはサラリーマンではない。むしろカジノに出入りするひとたちのようだ。市況がどうやっても計算できずあやふやな部分があるためにあのようになるのは仕方がないだろう。金融市場は不可解なことが多い。それをファイナンス理論だけでは説明できない。

また企業戦略というのはとてもあやふやな部分が多い。理解はしておいてほうがいいだろう。しかしビジネススクールではそれほど人気がない。役に立たないからだ。あのマッキンゼー社であっても戦略コンサルティングは売り上げの10%以下に過ぎない。日本には社内の経営企画でできるひとがいるし国内のシンクタンクに発注した方が安上がりになるからだ。

しかも出てきた戦略を実行に移すことが簡単ではない。絵にかいたきれいな姿を描くことはできる。ただ3か月高いお金を払っても出てきたアウトプットから得られるものは紙の上の将来像だ。プロジェクト発足時にあやふやに手を握ってミーティングを重ねる。末に到達するのは予定調和のようなものだろう。

計画実行前ではなにも売り上げが増えていない。戦略におぼれないほうがいい。やるなら10年は変えない戦略を練ることだ。すでに社内に紙におとした戦略があれば新たに戦略を練るような仕事は捨てた方がいい。利益を上げて株価を上げればよし。そのための道筋を示したものに過ぎない。

次に経済学、特にミクロ経済学でよく見る因果関係を表したチャートがある。これはX軸に時間を使いY軸になにかしらの値を表したものが多い。それで時間的変化を見る。今後どのような線を描くのか。またX軸になにかしらの因数を用いてY軸との相関関係を見るものがある。正の相関か、負の相関か。

この何をX軸に置くのか、何をY軸に置くのか。これは分析をする人が多くの仮説をたててから作成する。よって分析者の裁量によるところが多い。データが正しくて正しい統計処理をしていなければならない。その処理結果をこじつけでなく分析していなければうまくいかない。これは裁量がはいるためあやふやなところが発生する。

マーケティングのおいて注意しなければならないのは広告である。広告というのは科学的には説明できない。それは人間の感情によって評価されるものでありどんなにいい広告といわれていようが成功するかどうかわからない。はたして期待通り売り上げが上がるかどうか。結果は保証されない。

MBAの学生にとって広告の授業は特に人気がなかった。だれもマスコミを目指す人たちがいなかったということもあった。ただ工学部のように確実に成功するまで研究を重ねる気質の多い学生にとっては不可解な分野だ。広告という分野は不確実な部分が多い。そのため肌に合わないし話題にしたくない人が多かった。意図的に避けていた人さえいた。

実際にマスコミに就職する人はいなかった。どんなにハードに仕事をしてても見返りが少ない。あやふやすぎてつかみどころがない。不確実性が高いといわれていた。

わたしはジョージア工科大学の大学院では情報工学を勉強していた。何をしたかというとデータベースの設計とネットワークの最適化というわけのわからないことを一生懸命やっていた。しかしこれらの部分においてもあやふやな部分が多い。

データベースというのはリレーショナルデータベースのことをいう。つまり二次元であって縦横に伸びたデータが無限にあってそれに関係性を持たせるというものだ。設計をするにしてもセルにいれる定義があやふやになりうる。犬といれるのと柴犬といれるのではデータがすでに違ってくるのである。

そしてネットワークの最適化、つまりコストを最小限に抑えるといっても答えがあるわけではない。データ量は予測できないため最大限のことを勘定に入れて考える。しかし最大限というのがどこまでなのかあやふやなのである。ハードの能力によるところもあればそのデータを分配するような技術まで学ばなければならない。ロードバランスの理論を究めてもなかなか愉快なものでもない。

そして驚くことはデータベースのエンジニアとネットワークのエンジニアではお互いに意思疎通がほとんどできないということがある。お互いのいうことをわかる橋渡しがマネージャーでなければシステム責任者にはなれない。このあやふやなデータベースとネットワークの分野でさらに最適解のないシステムの責任者というのはつらい仕事を任される場合が多い。つらいだけで給料も高いわけではない。

そのため人間系、つまりどっちつかずの人の好い責任者という人が上に就く場合がある。それでもうまくいかない。

わたしは日本人がアメリカのMBAをとりにいくことは反対である。あやふやな部分が多い科目を習得したところで落とし穴にはまりやすい。しかもそれを英語で優秀なアメリカ人と学ばなければならない。2千万以上の学費がかかるというではないか。それよりは国内で仕事をしながらひとつひとつあやふやな部分を理解しながら仕事をしたほうがいい。

オペレーションについても同様である。日本の会社で働く限りでは組織行動は日本の会社の中で仕事をしながら学んだ方がいい。言語化したければ国内にあるグロービスで学べばいいではないか。英語で言語化したければ国内にある一橋大学ICSで学べばいいではないか。

アメリカに行く必要はない。あやふやな部分をよく消化できないまま帰国するだけであって2年間のロスを取り戻すことはできなくなる。

アイスフィールドを見ながらMBAで学んだ武器があるはずだという錯覚を起こしてしまった。決して無駄ではなかった。むしろ自信になった。しかし多くの日本人がアメリカでMBAを取得してもことごとく国内で失敗している。うまくいかないのだ。そのためこういった事象は繰り返し起こる。

それは経営学の分野に未発達なところがまだ多くあやふやなところが未解決のまま開講されているところにある。科学になっていないのである。