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食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋

イタリアは8月になれば特に製造業、飲食業などは1か月の休みを取る企業が多かったのですが、近年は夏休みも3週間とか2週間に縮小される傾向があるようです。でも2週間で順番に休みを取って会社やサービスの持続性を保つところが都市部では増え、その2週間を2回にして6月から10月までに好きなところでバカンスするスタイルもあります。特に都市部ではそうやって街に残っている人へもサービスを持続させるお店が増えたので、20年前のように8月はすっからかんなミラノではなくなりました。

我が家は子供たちが小さかった頃は毎年イタリアの小学校が夏休みになる6月から新学年の始まる9月までの3か月、妻と子供達だけ一時帰国で日本へ飛び、7月は日本の小学校へみんな通いました。そして8月にパパも日本へ一時帰国で飛んで合流し、日本で夏休みというのが恒例でしたが、子供たちが大きくなって、子供は子供で友人などと夏休みを過ごすようになったので、日本へ一時帰国する機会もみんな一緒というのはなくなりました。

その子供たちの日本行きの前にイタリアの海辺の街(チンクエテッレとかリグーリア方面、南仏も)へ数日だけの短いバカンスはちょくちょく行っていましたが、アドリア海方面でホテルに滞在して1週間くらいイタリア式バカンスをした年があります。ホテルの前は砂浜なので、いつでも海に入れるけれど、結局その近くの街や遊園地などにも遊びに行くから、毎日同じ場所に寝そべっていたわけではないんですけれどね。

朝起きて、みんなで朝食を食べているところにホテルの人が来てその日のランチのメニューを教えてくれ、その中から選んでいた料理をお昼にホテルに帰って食べます。食べ終わると夜のメニューを教えてくれるので、また夜に帰ったときに選んだメニューの食事が出て来ます。これを毎日繰り返すのです。でも、せっかくなので街中のリストランテで食事をしたい時などは、その日のランチや夕食をパスしますと伝えます。前払いだからその分安くなるわけでもないのだけれどね。

何事も経験で、そういうイタリア式のバカンスも一回は体験しておくのも面白いと思ったわけです。実際は、割と誰でもどこかの海辺に親戚の家があったりするので、ホテル滞在の人ばかりでなくおばあちゃんの家などから海辺に出る人も多いんですけれどね。

そうして夏が過ぎると日本では食欲の秋とか言いますが、イタリアでは栗やタルトゥーフォ(トリュフ)が出回りだすと「ああ、秋だなあ」と感じます。でも、個人的には春先にアスパラが出回りだす頃の方が「そろそろ寒い冬も終わりだな」と感じてより食欲も出て来そうな気もしますが、どうだろう。ホントは春夏秋冬食欲が変わらないのでよく分かりません。

日本でスポーツの秋というのは、これは前回の東京オリンピックが10月10日開催だったのでそう呼ぶようになったのだろうと思います。そうすると、これからはスポーツの秋ではなくスポーツの夏というようになるのかしらね。

さて、おいらはずっとデザイナーの仕事をしているのですが、日本で学生をしていた頃は、美術系の大学へ進むような学生は文系というカテゴリーに分類されていました。でも、実際は、美術系の大学に進む人間でも、デザインや建築の方向へ進む人は本来理系の人なんですよ。これは受験生の頃から日本のシステムはおかしいと不満を持っていたのだけれど、実際、イタリアの大学で有名なデザイン科は工科大学内にあり、日本でいうガチガチの理系の系統なんですよね。だって建築科にしろ、工業製品の設計にしろ、数学、化学が基礎になるのは構造設計などを考えても当たり前じゃないですか。文科省の人にはちょっとこういう日本のおかしなところを見直してほしいと思います。

ところで、中学や高校の美術部の人って、バスケット部の人なんかに比べて元気がなさそうな印象があると思います。子供のころから美術系志望というと、今ならみんな漫画やアニメが好きな人なんじゃないかなあ。体育系の人達とは正反対な感じ。おいらはというと、物心ついた幼稚園の頃から将来自分はマンガ家になるという確信を持って育っていたので、小学生の頃には絵を描くことならその辺の大人よりも自分の方がうまいと思っていました。なので、自分は美術系の人間だという自覚があるのだけれど、スポーツもそれなりにこなし、小学校の時には市の大会に出るリレーのメンバーに選ばれていたので小学校で4番以内で足も速かったようです。40人以上のクラスが学年に8クラスとかあったはず。

中学校では3年間クラスで体育委員にも選ばれていました。そのくらい元々スポーツも大好きなのです。中学高校と陸上部と美術部を掛け持ちしていました。ただ、スポーツも好きは好きなんですが、それでいて自分が向いていないと思ったのは「次はもっとすごい記録を出そう」とか「絶対○○君には負けないようにしよう」とかいう気持ちが湧いてこないのです。競争心というか、これは、なんだかんだいって自分は将来的に美術系に進むべき人間であるという確信を小さい頃から持っていたため、スポーツで人に負けない活躍をしてやろうという気持ちがなかったからだと自己分析していました。

それでも、スポーツ自体は好きだったから、その後大学生になり踊りに行くようになると、高い身体能力と身軽なところはダンスがうまくなるのに大いに役に立ったはずです。

そういうことの延長で、ミラノに住むようになってからはイタリアのカルチョをずっと追っているけれど、サッカー観戦が大好きなのも自分の中の「体育委員の部分」が今だに元気な証拠だと思っています。今でも身体能力にはそれなりの自負があるんだけれど、現実はお腹が出過ぎないようにたまにジョギングする程度にしか身体を動かしません。

ともかく、泳ぐのは室内でなければ夏なのは当たり前だし、スキーなら冬だし、スポーツの秋という言葉はオリンピックも真夏に開いた後では死後になったりして。

テキトーにタイトルを書いてから書き始めた文章ですが、一応読書の秋にも何か書こうと思ったけれど、まあ、読書はいつでもできるんじゃないでしょうかね。強いて言えば屋内に閉じこもりがちな冬が向いてるんじゃないのかと思ってみたり。おいらが小さかった頃はマンガしか読まなかったので、手塚治虫の「罪と罰」を持っていましたが、あれはマンガでは全然面白くなかった。手塚治虫の作品の中では「新世界ルルー」「ブラックジャック」が好きでした。それが、高校卒業の頃から将来マンガを描くなら絵だけでなく面白いストーリーが書けなければと思い立ち、活字だけの本も読む習慣にしようと本を読みだしたら、活字の世界が面白くてしょうがなくなってマンガを全く読まなくなりました。「罪と罰」も「カラマーゾフの兄弟」もマンガでは体験したことがないような引き込まれ方をし、安倍公房やカフカの本で想像力の中で広がっていく世界の面白さを体験し、コリンウィルソンを読んで賢くなったような気になり、赤瀬川源平さんの本でズレた視線から生まれる面白さを知ったりと、気が付けば読書が大好きになっていました。高校の担任だった現代国語の先生に教えてあげたいくらい。

そんなおっさんの今年の夏休みの課題図書用に先日ポチったのは
◎vanitas No. 007 (ヴァニタス No. 007)
蘆田 裕史
◎コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液 (中公新書)
臼井 隆一郎
◎ドイツ 町から町へ (中公新書)
池内 紀
◎必笑小咄のテクニック (集英社新書)
米原 万里

8月5日までに届くらしいけれど、夏休みにこんなに読めるんかしら。

Peace and Love

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