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純ドメ人間の英語上達獣道

この投稿はツイッターのアンケートでご要望が多かったテーマです。次はリクエストしてみたいなという方、是非、こちらからフォローを

転機は「沈黙の30分」事件~~はじめに

私が英会話に本格的に着手したのは2002年の秋、29歳の時。思いだしたくもない、ある出来事がきっかけだった。お恥ずかしいので、読んだら忘れるか、ここだけの話にしておいてほしい。

4年の大阪勤務を終えて東京に戻り、私は株式市場の担当記者になった。外資系金融を含む関連業界もカバーエリアで、外資の取材先には幹部が来日したらインタビューをセットしてもらっていた。「売り込み」も含め、月1度くらいそんな取材があったように記憶する。
私はいつもアポ取りの段階で取材先の広報担当者に、

「全く英語がダメなので、通訳の手配をお願いします」

と伝えていた。
しょうがない。純ドメで、本当に全く話せないのだから。

その事件は某ドイツ系運用会社でのインタビューで起きた。
通された会議室で待っていると、頬髯をたくわえた細身で長身の男性が入ってきた。フランクフルトの本社のストラテジスト(市場分析の専門家)だ。仮にF氏(イニシャルじゃなく、フランクフルトのFね)とする。
F氏を案内してきた女性が恐ろしいことをサラリと言った。

「所用でAの戻りが30分ほど遅れそうなので、少々お待ち下さい」

A氏は若いころ邦銀から外資に転じたベテランで、何度か通訳をお願いしていた。女性が退席し、私は動揺を押し隠してF氏に歩み寄り、「Nice to meet you」と握手して名刺を交換した。
テーブルにつき、向き合う私と髭面のドイツ人。
しばしの沈黙の後、F氏が

"Can You speak English?"

と聞いてきた。

"Actually…No…I can't…"

F氏は頷くと、窓の外に目をやった。
会議室を静寂が支配した。
永遠とも思える沈黙の30分の後、A氏が「いやいや、お待たせしちゃって!」とジョインしたときには、私は「これはアカン。英会話、本気でやろう」と決心を固めていた。

「純ドメ」から15年で英語対談

最初に私の「純ドメ度」と現在の英語力をご説明しよう。

私が初めて海外に行ったのは1997年、25歳の時だ。それまでパスポートすら持っていなかった。香港とシンガポールに、交際中だった今の奥様と日本語ガイド付きパックツアーで行った。返還前の香港を見ておきたかったのだ。
ちなみに翌年に行った新婚旅行は、九州をぐるりと回る純ドメ路線まっしぐらなものだった。神話・民俗学好きの私が高千穂に行ってみたかったのだが、最後に3泊した別府の旅館で「新婚旅行です」と告げると、「あら、まあ、いまどき別府に!」と仲居さんに驚愕され、大変な歓迎を受けた。

話がそれた。「25歳まで日本から一歩も出たことがなかった」というのは、新聞記者では少数派だろう。
理由は大きく2つあった。
1つはずばり貧乏。詳しくは「日本のヒルビリー」だった私」をご参照のこと。子どものころは、海外旅行どころか、国内旅行どころか、日帰りで遊園地なんてことすらなかった。家族での遠出は、家業の手伝い(という名の強制児童労働)で行く現場オンリーだった。

2つ目の理由は、言葉の不安、要は英語が話せなかったからだ。
「いや、そんなん、理由になるかいな」と今の私には思えるのだが、当時は「自分が英語が話せるようになる日なんて来ない」という謎の諦めがあった。
大学時代は周囲には留学帰りやバックパッカー的なことをやる友人もいた。だが、それを見ても、「いやー、海外とか行く人もいるのね、すごいね」とどこか他人事だった。開高健の「オーパ!」や沢木耕太郎の「深夜特急」なんかは読んでいたくせに。

次に現在の英語力。こっちはあまり面白くもないので箇条書きで。

・TOEIC 920点 Versant 61点 (英検は未受験)
・海外ニュース、政治家の演説等はほぼ完璧に聞き取れる
・専門分野のインタビュー取材には支障はない
・映画・演劇・ドラマはせいぜい6~7割しか聞き取れない
・それも早口だとアウト。英語字幕プリーズ
・ネイティブ同士のマシンガントークにはついていけない
・特に訛りのきつい英国人、お前らはダメだ!
・雑談、いわゆるSmall Talkがうまくできない

TOEICとVersantは2016年のロンドン赴任前のスコアなので、完全「純ドメ」段階の記録だ。TOEICは今なら940~950点ぐらい取れそうな気がするが、面倒くさいのでパス。
Versantは、オンラインや電話で受験して「どれだけネイティブに近い英語を話せるか」を人工知能が判定する鬼畜なスピーキングテストだ。公式サイトの資料によると、日本人の平均スコアが満点80に対して38、TOEIC900点台の人でも平均が51ちょい。
自分で言うのもナンだが、61は純ドメにはなかなか出せない驚異のハイスコアである。このハイスコアに隠された愉快なカラクリは後ほど。

ざっくり言うと、私の英語力は、
「仕事には支障はないけど、映画やテレビは完璧には楽しめないし、ネイティブが会議や雑談でアクセル全開で話し出すと腹が立つ」
というレベルだ。
最後の「腹が立つ」が大事。これも後ほど。

ということで、ロンドンに行くまで留学経験・海外駐在ともにゼロ。「累積海外滞在期間」は3週間以下だった。
そんな純ドメなのに、渡英して半年後には月1回ペースで政治・経済の注目テーマでネイティブスピーカーの現地記者と20分ほど対談をして、それが公共の電波に乗るという無茶な仕事もやっていた。
「思えば遠くに来たもんだ」としか言えないが、無論、そこまでには悪戦苦闘、紆余曲折、七転八倒があった。

では「悲しき純ドメ」の歩んだ獣道を振り返ってみよう。
英語に悩む方々に何かのヒントになれば幸いだ。

なお、小中学校編はほとんど思い出話で純ドメの嘆きに近い。
実践的ノウハウしか興味のない方は高校編からどうぞ。
最後に「まとめのまとめ」があるので、せっかちな方はそちらから。

1 「COEEFF」な世界 ~~小中学校編

私は看板屋と工務店を足して10で割った感じの、吹けば飛ぶよな零細ガテン系の家で育った。実際、手形事故でトンだので、「吹けば飛ぶよな」はシャレになっていない。
当然、家族は誰も英語など話せない。父に至っては、喫茶店の看板のアクリル文字を「COEEFF」と接着する荒業を繰り出すレベルだった。その後は子供がスペルチェックするようになった。父はひらがなや漢字を裏返しに接着したこともあったような気がするが、それは内緒にしておこう。

今と違って小学校に英語の授業はなかったから、中学に上がるまで英語に触れる機会はほぼゼロだった。小学校でローマ字を習った時、「おお、英語だ!」と勘違いしたのを覚えている。

少々脱線を。
英語勉強はゼロだったが、なぜか私は小学校のとき、洋服や広告で見かける英文の独自解読を試みていた。「辞書を引く」という知恵はなかった…。
そして何年かの考察の後、「We Are ~」は「あなたたちは~だ」という意味だ、という結論に至った。
思いっきり間違えていたわけだが、推論の道筋はこうだ。
"I am"が「私は」という意味で、"You"が「あなた」なのはマンガや歌の歌詞などでわかった。"This is a pen"という文をどこかで聞いて"is"は「~だ」という言葉らしいと理解した。そしてTシャツなどには"you are"、"we are"などとよく書いてある。
以上の証拠から私は「amとisとareは全部『~です』って意味だな」と結論づけた。
そう、高井少年はbe動詞を独自解読したのである。もう、杉田玄白の「フルヘッヘンド」レベルの大発見の気分だった。
勘違いしたのは"we"は"you"の複数形らしいな、と推測したことだ。それで意味が通じそうな英文が多かったのだ。まさか「あなた」と「あなたたち」なんて大事な言葉が同型だとは思わなかった。
6年生のある日のこと。友達のスタジャンの背中に「We Are Champions」という文句をみつけた(The、は無かったと思う)。
私はそばにいたバスケ部顧問のT先生に、
「あれ、『お前たちはチャンピオンだ』って意味でしょ?」
と指摘して、isとかareとかamは同じ仲間だ、という自説を展開した。
T先生は笑顔で「うん、小学生の割には、いい線いってる」と謎のコメントだけ返してくれた。
私は「ん? ま、合ってるってことか」と一人で得意になっていた。
中学に上がって人称代名詞を習った時、長年の研究成果が覆され、かなりのショックを受けた。
正解、教えておいてよ、T先生…。

本線に戻ろう。
ということで、白紙の状態で突入した中学で英語の授業が始まった。勉強は得意なので、ちゃんと習えばそれなりに身につく。ただし、家庭学習や自主勉強はゼロだから授業内容以上の蓄積は全くなかった。

例外は、音楽だった。
時は1980年代半ば、MTVの全盛期である。テレビで小林克也の「ベストヒットUSA」(!)を見たり、たまに兄と一緒に最寄り駅の貸しレコード屋(!!)に足を運んだりした。
そして兄が、プレイヤー導入とほぼ同時に我が家初のCD、ビリー・ジョエルのベスト盤「ビリー・ザ・ベスト」を買った。2階に1人でいるときには、歌詞カードを見ながらけっこうな大声でビリーと一緒に歌っていた。
1階の仕事場に響き渡る電動ノコギリの音量にかき消され、近所迷惑ではなかった。いや、そもそも、仕事場の騒音が近所迷惑だったわけだが…。

(懐かしすぎる。Goodnight Saigonがお気に入りだった)

今思うと、このビリー・ジョエルやブライアン・アダムス、ブルース・スプリングスティーンなどの「1人洋楽カラオケ」(「カラ」じゃないけどね)は、私の英語発音の基礎になっている。
私には人の物真似がそこそこうまいというあまり役に立たない特技があり、発音や発声をポップスターやロックスターにできるだけ寄せて歌っていた。
今でもこの頃の洋楽はカラオケのレパートリーだ。New York State Of MindとかHotel CaliforniaとかSeparate Waysとか、けっこううまいよ、オジサン。

さて、中学時代までに私が人生で接触した欧米人は合計3人ほどにとどまっていたのではなかろうかと思う。
小学校のときに話しかけられた宣教活動中(おそらくモルモン教)の学生さん2人連れと、中3の英語の授業を1週間だけ受け持ったカナダ人の女性の3人のみ。累計接触時間は数時間だろう。
1970~80年代の名古屋市の外れでは、欧米人はレアなポケモンみたいな存在で、みかけると「ガイジンだ!」とガキがケッタ(=自転車)で追いかけるくらい珍しかった。黒人さんは映画でしか見たことがない、という時代だ。

これは後々、けっこうな「壁」になった。
慣れていないから、外国人と対面するだけで無駄に緊張するのだ。
でも、中学の授業に来てくれたカナダ人のメガネ美人さんには良い思い出がある。誰かが「好きな日本の歌手は?」という無茶ぶりな質問をして、彼女が「Takanaka!」と返事したとき、私が「JUNGLE JANE!」と最新アルバムのタイトルを叫ぶと、「Yes!」と親指立てて笑顔で応じてくれたのだ。
嬉しかったけど、心の中では「それ歌手ちゃう、ギタリストや」とツッコミを入れていた。

まとめると、小中学校までの私の英語学習は「教科書+洋楽」という、どう転んでも話せるようにはなりそうもないコースに乗っていた。

まとめ
・勝手に思い込むのは時間の無駄。テキストか先生に当たろう!
・英語で歌うのは、発音練習になるし、楽しいぞ!

2 TremendousなNBA ~~高校編

高校に進み、ここで受けたリーダーとグラマーの授業は後々まで私の英語力を支える土台となった。授業、役に立つぞ、学生諸君。
授業内容とともに、高度の集中力を強いる我流の勉強法が、英語学習の効率を高める一歩になった。その勉強法とは、

「予習無しで授業に臨み、授業中に常に『進行の一歩先』を行く」

という手法だ。
グラマー担当の、ニヒルだが実はお茶目なタケちゃん(お元気だろうか)が教室にくるまでに、数分でワンパラグラフの英訳を済ませる。
タケちゃんは数学のヤマダミエコ(元気かなー)と違ってランダム派なので、「今日は3日だから出席番号3番か13番か23番か33番が当たる」といった甘い推測は成り立たない。
トップバッターを逃れたら、最初の回答者が答えている間に次のパラグラフを攻略する。
余裕は数分。未知の単語を全部調べる余裕はない。カギとなる名詞や動詞、熟語に絞って辞書にあたる。形容詞や副詞は「ポジティブなやつ」か「ネガティブなやつ」か文脈から推理して意味をでっち上げる。
当たらなかったら次のパラグラフを…この繰り返しが1時間続く。

これは単なるサバイバル術だったが、「大意をつかんで枝葉末節を切り捨てる」という英文を早く、大量に読むコツが身についた。しかも、授業中は英語に120%集中できる、というかせざるを得ない。当然、効率は上がる。
いやいや、怠惰は発明の母である。
ただし、この手法には「授業の前半で当たってしまうと、その後はサボってしまう」という副作用があるので要注意だ。

もう1つ、高校時代の大きな収穫は、NBAで培った「耳」だ。
このSLAMDUNKの書評に書いた通り、当時はNHKのBS放送のNBAに夢中で、これを英語音声のみで視聴していたのだ。
「恩人」は、メーンで日本語解説を担当していたY氏である。
たまに登板するK氏やU氏は良いのだが、Y氏の解説は酷かった。NHKのアナウンサーも素人で、「これ、聞きたくないな」という理由だけで副音声の英語に切り替えるようになった。

もちろん最初は何を言っているか全く分からなかった。
でも、そこはバスケ小僧。
プレーと照らし合わせて、徐々に単語や独特の言い回しをマスターした。「耳から覚えた」用語は、ぱっと思いつくだけで以下のようなものがある。

Perimeter=スリーポイントライン(付近)からのロングシュート
From Downtown=スリーポイントシュート。理由は所説あり。
Top of the key=フリースローサークル周辺。昔はゴール下の制限区域が細くて、サークルを含めると「鍵穴型」だったのにちなむ表現
Pick'n Roll(Pick and Roll)=2人1組で行うマーク外しの基本プレー
Penetration=ドリブルで切り込むプレー
Consecutive=In a row=Back to Back=連続して

慣れれば、本場の名物実況オジサンや解説者はさすがに情報が豊富で、語りも断然面白い。
面白がって聞けば、リスニングだって飛躍的に上達する
高3のころにはNBA中継の9割以上を聞き取れるようになっていた。
ただ、一部の黒人選手のインタビューはハードルが高くて7割ぐらいしか分からず、「アメリカ人でも発音やアクセントには幅があるんだな」という素朴な事実を知った。

(イメージ画像、のフリをした自作レゴ作品自慢。Come Fly With Me!)

この「NBAリスニングマラソン」にはいくつか「ユーレカ体験」があり、そこからある教訓を学んだ。
「知らない単語・フレーズは聞き取れない」という事実だ。

忘れられないのは「トメンダス」だ。
ナイスプレーがあると、コメンテーターや実況担当者が「トメンダス・ジョブ!」とか「トメンダス・ショット!」と連発するのだが、それらしき綴りを当たっても辞書で見つけられない。
意味が「素晴らしい」なのは分かる。でも、スペルが分からない。
モヤモヤが何か月(1年以上かもしれない)も続いたある時、何かの英文を読んでいてtremendousという単語に出くわした。
ん? お? おおお!
辞書で引くと、「凄まじい」「とてつもない」なんて意味が出てきた。

「これだ! トメンダスじゃなくて、トレメンダスだったのか!」

これは記憶に刻まれるスッキリ体験となった。
ほかにも例えば「meanwhile」という話題を切り替える時の常套句。これも「ミッワー」としか聞こえず、ずっと単語が特定できなかった。
ある時、「Introducing the Hardline According to Terence Trent D'Arby」 というギネスモノにタイトルの長いアルバム(懐かしいな、おい)の曲間のセリフで、ゆっくり、はっきりと発音しているのを聞いて、「ああああ!」と電撃に打たれたようにスペルが分かった。

こういう「ユーレカ体験」は気持ちいいという意味だけでも思い出深い。
だが、学ぶべきはそこではない。
肝に銘じるべきは、「知らない単語・フレーズは聞き取れない」ことだ。
後述するが、私の英語学習は「大量に読む」がベースだ。語彙を増やさないと、読めない=聞こえない=話せないからだ。

まとめ
・英語を勉強するときは無理やりでも没頭しよう!
・リスニングは「好きな世界」のコンテンツで!
・知らない単語は聞き取れない。たくさん読んで語彙を増やそう!

3 大いなる停滞~~大学時代

オジサンになると「大学時代にやっておけば良かったと後悔すること」なんて質問をちょいちょい受ける。
私のストックアンサーは「英語」である。短期でもいいから留学しておくべきだった。

大学時代の私の英語力のピークは入学時点だ。センター試験の英語はほぼ満点で、二次の英語もよくできた。ここがピーク。
大学での英語学習は教養課程の授業ぐらいで、教材が懐かしのオーソン・ウェルズ&シドニー・シェルダンの「イングリッシュアドベンチャー」って、まだあるのかい!だったことしか覚えていない。

(サイトより。むやみに雑誌広告で点描のこの顔をみた世代です)

NBA観戦は続けていた。たまに英語の本は読んだが、純粋な読書でしかなく、リーディングやボキャブラリーの底上げにはならなかった。

(若気の至りの春樹英語版。カーヴァーは「Cathedral」「A small ,good thing」「So much water so close to home」がお気に入り)

だから、大学時代については「後悔」以外に書くネタがない。

あえて付け加えることがあるとすれば、「思い込みの恐ろしさ、迂闊さ」である。
私は割と早い時期に記者・マスコミ志望を固めていた。
だが、英語インタビューや海外特派員は帰国子女とか留学したエリートたちの役割で「純ドメ」の自分には無関係だろうと思い込んでいた。
アホで愚かな二十歳の自分に往復ビンタをかましたい。

参考まで、センターでほぼ満点を取った英語勉強術を付記して大学編の締めくくりとする。
それは、ずばり、音読である。これは今も変わらない。
自宅に勉強机が無く、私の勉強は基本「寝転んで教科書をでかい声で読む」だった。苦手の数学は手を動かしたが、英語、世界史、生物などは授業でノートを取る以外はひたすら教科書や参考書を読み上げていた。
黙読ではダメで、ただの音読でもダメ。できるだけ大きな声で読むのがポイントだ。
英語の場合、「でかい声で音読」にはこんなメリットがある。
・スムーズに読むため、英文の構造に敏感になる
・リズムのある良いテキストを選べばパラグラフ単位の構成も意識できる
・目と口と耳(自分の声を聞け!)を総動員して英文が頭に入る

こんな素晴らしいメソッドを身に着けていたのに、学生時代を無為に過ごし、その後の英語学習は迷走期に入ってしまう。

まとめ
・学生のうちは純ドメほど英語!やらないと鉄板で後悔するよ!
・英語はエリート様以外も必要かもしれない!逃げるな!
・音読するといろいろ捗るぞ!

4 「フレーズ本」頼みの限界 ~~社会人編①

念願の記者になった私を待っていたのは想像以上に多忙な日々だった。平日は自分の時間はほぼゼロで、休日は泥のように眠った。
27歳で長女が生まれ、おまけに同時期にビリヤードにハマり、仕事関連の書籍や軽いエッセイを読むぐらいしかインプットの時間はなかった。

だが、「英語を何とかしないと」という焦りはあった。
時間に余裕がないのに焦ると、人間は安易な解決策に走る。
私が選んだのは「英語フレーズ集」による詰め込み学習
ここから迷走が始まった。

以前は我が家の本棚には「1000語英会話」とか「電話の決まり文句100」みたいな本が10冊近く並んでいた。CDかカセット(!)付きのヤツだ。
だが、こうした本で学べるのは、付け焼刃でしかない。
何年か前、大量に書籍を処分した際、「コンマリ式」でこれらの本を手にとったら、ときめくどころか嫌悪感がこみあげてきてすべて「BOOK OFF行きの刑」に処した。

(こういうのね。手元に残ってるこれは悪くない本)

フォローすると、「付け焼刃も使いよう」である。少なくとも、ご挨拶とお礼、お別れの挨拶ぐらいはできるようになったし、英語の電話に「ちょっと待て。英語話せる奴と変わるから」と英語で言えるようになった。
相手は「お前、今、英語で話してるやんけ」と思っただろうが。

だが、「そこまで」である。
この付け焼刃で何年もしのいだ果てに、冒頭の、苦痛と屈辱に満ちた「沈黙の30分」事件が待っていたのだ。

まとめ
・「フレーズ集」は所詮、付け焼刃だよ!
・でも、付け焼刃でイケる場面は案外多い!うまく使おう!

5 英会話スクール放浪編 ~~社会人編②

「沈黙の30分」事件で撃沈した私は、29歳で英会話学校に通う決心をした。
脳みその柔軟性を考えると、あと5年は早く着手すべきだった。「到達点」がいまいち低いのもこの出遅れのせいだろう。

最初に通ったこじんまりとした「街の英会話学校」は、敷居が低く、比較的安価で良かったが、講師の質のばらつきが大きく、レッスンは体系的とは言い難かった。
「講師の質とか言えるレベルかよ」とツッコミが入りそうだが、1コマ40分に渡って「日本人妻に離婚されそうだとお悩み相談するオーストラリア人」とか「隙あらば黒人差別問題の演説を始めるアフロアメリカン」が講師陣の半分を占めていれば、「これ、こっちが金もらってもええんちゃうか?」という疑問も浮かぼうというものだ。

それでも週2~3回のペースで半年ほど通った効果はデカかった。
何より、1対1で外国人と対峙することに慣れた。情けないが、「純ドメ」にはこれは高いハードルなのだ。
もう1つ大きかったのは「案外、イケる」と気づいたことだ。ふり返るとその時点ではほぼ勘違いだったが、それでええねん!
一番お世話になったのは20代の米国人講師Jamesだった。いつも「口から出てこないだけで、あなたの英語のレベルは高い。鍛えれば必ずレベルアップできる」と背中を押してくれた。
最後のレッスンで彼が教えてくれた座右の銘が忘れがたい。

Practice does not make perfect. ONLY PERFECT PRACTICE makes perfect.

どうも元ネタはこの有名なアメリカンフットボールのコーチらしいが、彼は空手のマスター(米国でやってたらしい)から授かったと言っていた
Jamesと固い握手を交わし、私はすぐに次のスクールを探した。

これが難航した。次は講師の離婚相談を受けなくて良い大手チェーンに行こうと体験レッスンを受けてまわったが、しっくり来ない。
喫緊の課題の「インタビューで使える英語」という特殊なニーズに、レッスン内容がどうもフィットしないのだ。
極端な話、記者は「礼を失しないで相手の話を遮り、追加質問で突っ込み、面白いネタを引き出す能力」があれば良い。「スムーズな日常会話」とか「英語でプレゼン」みたいなのは不要だ。

さまよった末にたどり着いたのが、ご存知、GABAである。私はここに累計でそこそこのSUVが買えるぐらいのお布施を納めた。その価値はあった。
使いもしないクソ高いテキストを強制的に買わされるのには腹が立ったが、GABAには以下のようなメリットがあった。

1 マンツーマンレッスンとしては安い(除くオンライン)
2 主要駅の教室のどこでもショートノーティスで受講できる
3 講師間の引継ぎがシステム化されている
4 いろんな出身国の講師を選べる

特に3と4が重要。
強制的に買わされるクソ高いテキストは開きもせず、私はいつも雑談か「疑似インタビュー」を講師にお願いしていた。後者は適当なテーマで20分ほど即席インタビューをやって、残り時間で質問の仕方を矯正してもらうという、私が考えたカスタマイズプログラムだ。
GABAでは、こうした特殊ニーズがオンラインできっちり共有されている。飛び込みで入ったスクールの初対面の講師でも、簡単な自己紹介の後、すぐさま希望に沿ったレッスンに移れる。「時間」を買っている身としてはありがたい。

講師の出身国が多様なのも、私の特殊なニーズに合致していた。
私はインド人のあのウルトラ巻き舌英語が苦手なのだが、金融系の取材で遭遇する機会が増えていたので、あえてインド人講師を選んで耳を鍛えた。
後述するポーランド出張の前には、ポーランドだけでなくウクライナやドイツなど周辺国出身の講師にもレッスンを入れて下調べに利用した。

ということで、放浪の末たどりついたGABAで格闘しつつ、私はもう1人の師匠と日々、研鑽を積んだ。
師匠の名前はPaul Krugman。
ノーベル経済学賞を取った、あのお方である。

まとめ
・純ドメはまず「外国人と1対1」に慣れよう!
・GABAは使いようだ!
・インド人の英語も慣れれば何とかなる!

6 マスク大国のシャドーイング ~~社会人編③

Metaphor can be tricky thing, but Manhattan's Debt clock is as good as they come.
Public-minded businessman installed the clock in 1982, hoping to shame the politicians into acting responsibly.
Huge numeral counted off ever rising national debt. Ever rising because ,each year, the Government spent far more than it took in and was forced to borrow the deference.
But in the late 1990's, funny thing happened. Tax take soared along with stock market and mammoth deficit, first shrunk, then turned into record surpluses. The owner of the clock pulled a plug. 

上の英文はクルーグマンの「The Great Unraveling」(2003年)の「序文」のさわりだ。ただし、完璧ではない。なぜなら今、何も見ないで私がチャチャっと書いたものだからだ。
手元のテキストと比較すると、単数・複数や冠詞、時制などの細かいミス以外に何か所か大きな間違い・抜けがある。

Public-minded → Public-spirited
the Government → the Federal Government
Tax take → the Government's tax take
mammoth deficit → those mammoth budget deficit
最後の分の最初の「In September 2000」が丸々抜けている

けっこう違ってて凹んでいる。
でも、読み返すのは10年ぶりぐらいなので勘弁してあげてほしい。

(爽快かつ強烈なブッシュ批判本。邦訳は買ったけど通読してないな)

「東海道線の駅が全部言える子ども」みたいな自慢話になりかけているが、まあ、ちょっと聞いてほしい。
私はこの英文を軽く百回以上、読み上げたことがあるのだ。これぐらいの精度で覚えていてもおかしくないだろう。

GABAに通っていた時期、私は毎日、クルーグマンのオーディオブックをシャドーイングしていた。シャドーイングは「耳から聞いた英語をそのまま復唱する」という学習法だ。良いまとめがあるのでご参考まで
元テキストは買ったが、シャドーイングはなるべく見ないでやった。もちろん最初はボロボロだ。でも、同じコラムを繰り返し、繰り返し聞いていると、だんだん真似できるようになってくる。

このオーディオブックは、6時間に渡ってクルーグマン御大が全テキストを読み上げるという贅沢なものだ。ここまでやるほどブッシュが憎かったのだろう。御大は、ちょっと早口だけど、発音、アクセントとも癖がなく、とても聞き取りやすい。
私もクルーグマンといい勝負の「アンチ・ブッシュ」だったから、「おお!言ったれ、言ったれ!」と大いに楽しめた。まさかアレを超える逸材がこんなに早く現れるとは思わなかったが…。

シャドーイングの欠点は「お外」でやりにくいことだ。歩きながら、あるいは電車内で英語でブツブツ言ってれば、完全に不審者だ。
でも、やりました、「お外」でシャドーイング。
味方はマスクである。日本なら、年がら年中していてもあまり不審に見えない(ロンドンだと凄く目立ちそう。気にする人もいなそうだが)。
通勤の行き帰りや取材の移動の合間に、マスクをつけてクルーグマンの英語を物真似しまくった。これを1年ほど続けた。
同じ本をずっとシャドーイングしたのだ。
特にPrefaceはお気に入りだったので、冒頭のように覚えてしまったわけだ。

政治と経済に跨るこの本は私の仕事にぴったりの語彙・フレーズの宝庫だ。シャドーイングマラソンの効果は抜群でリスニングの精度が格段に上がり、おまけにヒョイっと「クルーグマン節」が口をついて出るようになった。

クルーグマンをしゃぶりつくした後、私は他のオーディオブックにも手を出した。「深堀り」から「横展開」に移行したのだ。「Tuesdays with Morrie」や「The Last Lecture」といった柔らかめの読み物も聞いて、定額サービスのAudibleに加入した。数年後、スマホを導入してからは、BBCやCNNのPodcastもよく聞いた。

(高かったですよね、昔は。ねえ、丸善さん…)

あれこれ聞いた中でベストの1つが、「イギリス英語にも慣れなきゃな」と選んだカズオ・イシグロの「Never Let Me Go」だった。英女優Rosalyn Landorの朗読が素晴らしく、聞くたびにいくつかのシーンで涙がこみあげてくる。

(賛否ありますが、私は好き。表紙だけでグッとくるやん…)

英語の上達に合わせ、外国人インタビューの方法を質問だけ訳してもらう「片道通訳」に、その後は徐々に専門的で込み入った質問だけ訳してもらう「助っ人保険付き」へと切り替えていった。普通の金融・経済の話はできるが、複雑な商品設計や会計・法律、リスク管理の専門用語などはキツい。取材の質を保つため、詳しい日本の担当者に同席してもらうように頼んだ。

大部分を通訳抜きでこなすようになると取材効率は一気に上がった。時間が倍使えるからだ。
そして英語力強化に取り組んで3年ほどたった2005年の冬に、力試しの好機がきた。上司から「世界一周取材ツアー」の指令が下ったのだ。

まとめ
・好きな本をみつけて100回シャドーイングしよう!
・マスクをつければ、「お外」でもできるよ!
・そのうち口から英語がヒョイっと!ホントだよ!

7 敵は腰痛 エコノミーで世界一周 ~~社会人編④

それはこんな会話から始まった。

上司「高井、お前、海外出張、行ったことないだろ?」
高井「はい」
上司「年度末で予算が余りそうだから、ぐるっと世界一周してこいよ
高井「はい?」
上司「英語、できるんだろ?」
高井「はい!」

若者よ、こういう時はウソでもいいから躊躇なく「はい!」と答えるように。ぶっちゃけ、私の場合、この時点ではかなり怪しい英語レベルだった。

上述のように、入社10年ちょいで海外出張はゼロ。おまけに香港シンガポール・完全日本語ガイド付きパックツアー以降、海外に出たこともなかった。
長女と次女がまだ小さく、「今、海外に連れて行ってもなあ」と思っているうちに、ずるずると「純ドメ」濃度が上がっていた。

この出張は、ジュネーブに入ってフランクフルト、ロンドンと欧州の金融センターを回った後、米東海岸に転進(思わず敗色濃厚な表現に…)。ワシントン周辺からボストンにいったん北上してニューヨークに戻り、東京に帰ってくるという道程。文字通りの世界一周ツアーだった。
期間はわずか2週間。しかも全便エコノミー。腰痛持ち(当時)で、生涯で2回目の海外にしては、ムチャをしたものだ。
取材のテーマは海外の日本株投資家。2005年は夏にいわゆる「郵政解散」があり、小泉劇場に悪酔いした海外マネーが大量流入し、日本株を強烈に押し上げていた。現地に飛んで生の声を取ってこい、というわけだ。

詳細は本稿の趣旨から外れるのでカットする。本場に飛び込んで感じたのは「案外イケる」という自信と「これはアカン」という危機感だった。
「イケる」というのは、取材は何とかなるという手ごたえ。準備を綿密にやれば、ほぼ支障なくインタビューができた。
「アカン」のは雑談、いわゆるSmall Talkである。
取材の前後や「ちょっとお茶でも」となると、当然、雑談になる。
これができない。悲しいほどできない。日本語では雑談大好き人間なので、ギャップにかなり凹んだ。

この「アカン」が私の第2の迷走の火種になった。

(出張時の写真が見つからないので、MOMAで買ったお土産の絵本を)

この出張では、初めて奇妙な「英語電池切れ」を体験した。
最後の最後、ニューヨークでベテラン資産運用アドバイザーを取材している最中、突然、一言も英語が出てこなくなったのだ。
本当に、どうやっても、一言も出てこない。アタマにも浮かばない。
疲れが限界に来て、「これが最後だ」と思うと緊張の糸が切れたのだろう。

人の良い老アドバイザー氏は、パニくってポカンと口を開いたままの私の肩をポンポンと叩くと、隣室に行ってしまった。
待つこと数分、彼は2人の部下を連れて戻ってきた。
1人は30半ばくらいの男性。もう1人は南アジア系の若い女性だった。
「選りによってウルトラ巻き舌インド人かよ!」と天を仰ぐ思いだったが、なんと、男性の方はカタコトの日本語を話せる人だった。
地獄で仏とは、このことか。
彼と私はしばし、日本語でゆるーい会話を交わした。あとの2人はニコニコと見ている。
しばらくしてインド人のお姉さんが「彼の日本語、どう?」と聞いてきた。
正直、レベルはそれほど高くはなかった。でも、発音とか、文法とか、語彙とか、そんなモノはどうでも良かった。
私は「第二言語として十分なレベルだし、何より日本語を勉強してくれていることが嬉しい」と答えた。母国語会話で充電できたのか、英語で話せるようになっていた。
老アドバイザー氏は「彼はドイツ人で、英語は完璧。中国語も少し話せて今、日本語を勉強している」と説明してくれた。
おいおい、日本語、第二じゃなくて、第四言語かよ。
お姉さんの方はインドからアメリカに来て働き始めたばかりだという。

「これから世界をリードする君たちのような若い人が、世界中から集まって今、同じテーブルについて話をしている。素晴らしいと思わないか?」
若干、美味しいところを持っていかれすぎな感もあったが、老アドバイザー氏の機転で「英語電池切れ」体験は、悲惨な思い出にならずに済んだ。
ありがとう、爺さん。

この電池切れ現象に普遍性があるのか分からないが、以前、在外歴の長いある学者(青木昌彦さん?)が、「まれに全く英語が出なくなる日がある」と書いていた。「きょうは『そういう日』だから」と講義を切り上げるとも記していた。
達人と私では「電池」の容量の桁が違うとは思うが、バイリンガルでもなければ外国語を使って知的作業をするのは大きなストレスなのだ。
こっちから教訓を学べば、迷走せずにすんだのに…。

純ドメには世界一周強行軍はやはり過酷だった。
家族によると、成田の「お出迎えゲート」から出てきたときには「何とか生きて帰って参りました」という顔をしていたそうだ。翌日から高熱を出してぶっ倒れた。寝込んでいたら、上司から「原稿、締め切りは来週な」という鬼の通告があったのは、また別のストーリーとして語られるべきだろう。

まとめ
・(英語関係ないけど)ウソをついてでも好機を逃すな!
・何とかなる。なってないかもしれないが、なってると思え!
・無理すると「英語電池」が空になるよ!

8 迷走と倦怠 ~~社会人編⑤

世界一周ツアーの後、私は間違った方向性を選んでしまった。
「結局、ほぼネイティブレベルじゃなきゃ『英語を話せる』とは言えない」と思い込んでしまったのだ。
Small Talkのギコチなさに凹んだのが尾を引いていた。

それまでは英語を純粋な「取材ツール」として身に着けようとしていた。
クルーグマン先生と欧米経済紙がソースで、語彙は経済・金融分野に極端に偏っていた。The Economistのおかげで政治・国際情勢はギリギリ、カバーしていたくらいだ。
こんなんじゃ、ダメだ!もっと英語で教養を身につけないと!
熟慮ののちに血迷って選んだのが、
「聖書とシェークスピアを読む」
「英語で日記をつける」
という道だった。

(これは、ほとんど読んでません!)

これは、特に前者は大失敗だった。上の聖書の抜粋に解説を加えた本も、シェークスピアも、全く身につかなかった。「日本語で言えることは全部英語でも言えるようになろう。本も片っ端から原書で読みなおそう」などという目標設定も、120%間違っていた。
十年ちょい前の自分にツッコミたい。

「アンタ、日本語でも、シェイクスピアなんて読んでへんがな」。

「英語で日記」は完全な失敗ではなかった。

(これはトライする価値のある勉強法です)

やってみたら「日記は三日坊主」がデフォルトの私でも案外続いた。質の違うアウトプットで自然と「普段使い」の語彙の厚みが増す手ごたえもあった。もうやめちゃったけど。
英語日記は、悪くない。
悪くないのだが、やらかす落とし穴は、やはりここにあった。

(無茶言うな、という話である)

「ネイティブ表現」。これである。
第二言語として学んでも、ちゃんとそんな英語を使いこなせる人もいるだろう。でも、30近くで始めた純ドメの凡人にはそんなの無理なのである。
ネイティブの使う表現は知ってた方が良い。
でも、リソース=勉強時間と脳のキャパシティーは有限だ。
「ネイティブっぽい」より他にやることは、いくらでもある。
これ以外にも「字幕なしで英語をみられるようにしよう」とか「GABAのレッスンでSmall Talkを鍛えてもらおう」とか、出来もしないことにかなりの時間と労力を割いてしまった。

もう1つ、英語力が停滞した要因はモチベーションの低下だった。
詳細は割愛するが、数年の間に決まりかけた海外赴任が2回も取り消しになったのだ。
これは、かなり凹んだ。かなーり、凹んだ。
特に2回目は年齢的にラストチャンスだったので、落選後は「もう英語はテキトーでもいいか」と投げやりになった。
2016年にはロンドンに赴任するのだが、それは記者ではなく、デスクという取材現場から一歩引いた仕切り役ポストで、英語をガンガン使う仕事ではなかった。この辺りはのちほど。

レッスンの枠を使い切ったところで、GABAに通うのも中断した。
迷走と倦怠で、向こう数年、私の英語上達ペースはガクっと落ちた。

まとめ
・「純ドメ」がネイティブレベルを目指すのは無茶だ!
・モチベーション、超大事!ウソでもいいから目標を探そう!

9 ネイティブ英語なんていらん! ~~社会人編⑥

2014年、私は人事異動で国際報道担当部署に移った。
純ドメなのに、畑違いの部署への唐突かつ無茶な人事で、最初の1か月は緊張と不安の連続だった。現在、モスクワ駐在中の友人は「余裕たっぷりに見えたぞ」と言うのだが、無駄にヘラヘラしているので傍目に大変そうに見えないのが私の損なところなのだ。

配属から1か月ほど、疲弊しつつあったある日、私と対照的にバリバリ国際派である上司にちょいちょいと呼ばれた。

上司「高井君、キミ、最近、海外出張行った?」
高井「えーっと…2005年に行ったのが最初で最後ですね」
上司「おいおいホント!? それ、ありえないな」
高井「……(海外出たのが人生で2回だけなんて言えない…)」
上司「ま、いいや。じゃ、君、ポーランド行ってきて」
高井「はい?」

2006年に三女が生まれたこともあり、海外旅行のハードルはグッと上がっていた。行こうと思えば行けなくはないが、「5人で海外」はなかなかの出費になる。三姉妹が十分に楽しめるかもビミョーな気がしたし、あれこれメンドクサイので踏み切れなかった。

ポーランド出張は地元メディアの招待で、政治家や経済人、各国から招かれたジャーナリストが参加する大規模なイベントだった。
出張に備えてGABAのレッスン枠を新規に買い、ポーランド人や周辺国の講師を選んでレッスンを受けた。
これはとても、とても、とても役に立った。
現地でも市民の生の声を聞く機会はなかなか取れない。周辺国の市民の愛憎半ばする本音ともなれば、さらにレアである。民主化後に育った若いポーランド人の意識などを知る良い機会になった。クソ高い不要なテキストをまた買わされたけど、こういうとき、GABAは便利である。

出張自体のハイライトは東欧革命の起点、「連帯」発祥の地・グダンスクでの取材やアウシュビッツ訪問だったのだが、お仕事濃度が高すぎるのでカットします。アウシュビッツのことはそのうちnoteに書くかもしれない。

ワルシャワで参加した会議はとても良い意識改革になった。
ネイティブスピーカーもそこそこいたが、参加者の大半は私と同じ「英語は第二言語」という人たちだった。
彼らの英語は、全然、ネイティブっぽくなかった。ポーランドの若者は発音も綺麗で「ほぼネイティブ」みたいな人もいたが、仲良くなったルーマニア人とロシア人の英語はお世辞にも流暢とはいえないものだった。
でも、会議でも、雑談でも、ガンガン、でかい声で発言する。
特にロシア人のオッサンは凄かった。
クリミア併合直後で、ただでさえ反ロシア感情の根深いポーランドでの会議。オッサンは四面楚歌状態だったが、あるセッションでは「先に内政干渉してウクライナを抱きこもうとしたのは欧米だ!」「クリミアは歴史的にロシアの一部だ!強盗に取られそうになったから守っただけだ!」と訛った英語で持論を吹きまくった。
内容はともかく「やったれや!オッサン!」と声援を送りたくなった。

朝飯とランチをだいたい一緒に食べる仲になったルーマニア人の若者も、英語は私の方がうまいのだが、発言量と会話推進能力は彼の方が上だった。
いや、前言を撤回する。
それはつまり、
「彼は私より英語がうまい」
ということなのだ。

「こんなんでええんや! いや、こっちの方がええんや!
開眼した私は「ネイティブっぽさ」を目指す道をきっぱりと捨てた。

まとめ
・カタコトでもガンガン話しちゃえ!
・ネイティブっぽいとか、どうでもいいから!

10 ブートキャンプへようこそ! ~~社会人編⑦

その翌年の秋から、私は海外赴任候補者が対象の社内研修に参加した。
いや、正確には「海外赴任を希望している癖に英語力がイマイチ足りない社員」を短期間で鍛え上げるブートキャンプと言った方が良いだろう。
冒頭にスコアを挙げたTOEICやVersantはこの時に受けた。

プログラムは週2~3回、1回90分のマンツーマンレッスンと、週末に半日英語漬けにされるグループレッスンの二本柱。これを通常業務と並行してこなす。受講中にロンドン行きが決まり、赴任準備も重なった。かなりキツイものがあったが、会社のカネでこれだけお勉強ができたのは有難かった。

幸運だったのはマンツーマンレッスンで良い講師に恵まれたことだ。
Scottはウィスコンシン州出身の30代のナイスガイで、話題豊富な楽しい話相手で、熱意も十分。レッスンでは15分ほど話すと小休止を入れ、文法的な間違いやより良い言い回しの提案を示してくれた。記憶力と細部への「耳配り」にいつも驚かされた。
海外赴任が決まってモチベーションも回復していたし、何より、これだけ集中的にやれば、さすがに英語力は上がった。

Scottとのレッスンでの大きな収穫はボディランゲージの重要性だった。「身振り手振り」が発音や滑らかさを左右するのを身をもって体験した。
忘れられないのが「Absolutely事件」。私がこの単語を使った際、Scottが「どうもニュアンスが伝わってこない」と反復練習を求めてきた。
私「Absolutely」
S「No. Absolutely」
私「…Absolutely !」
S「No. Absolutely !」
何度やってもうまく行かず、終いには苛立ったScottが空手チョップ的なジェスチャー入りで「Ab-so-lute-ly !!」と叫んだ。
つられて私も手刀を振りかざして「Ab-so-lute-ly !!」と大声で応じた。
するとScottの表情が一変し、「それだ!」とOKが出た。
これを機に「日本語の会話ではあり得ないほど身振り手振りを入れて話す」という方針が採用され、それは驚くほど効果があった。

この経験はスピーキングテスト、Versantでも応用できた。
英語力は上がっているはずなのに、Versantのスコアは伸びず、「60点の壁」に阻まれていた。Scottも私も原因が分からなかった。
だが、研修の最後のテストで、ついに61点を記録した。
カギを握ったのは「ぬいぐるみ」である。
最終テストを自宅で受ける直前、私はちょっとした思い付きで、PCの近くにぬいぐるみを置いた。

(こういう感じである。コリラックマは正義)

そして、
「子どもの宿題を親が手伝うのは、良いことか、悪いことか。自分の意見を90秒で述べなさい」
なんて問題が出たら、ぬいぐるみと目を合わせ、身振り手振りをまじえて必死で説明をした。
始めてすぐ「おいおい、これちょっとした発明だぞ」と気づいた。
それまではヘッドセットをつけてPCの画面に向かい、矢継ぎ早の問題に四苦八苦して回答をひねり出していた。
だが、ぬいぐるみとはいえ、「相手」がいると、それは対話になるのだ。
それまでの受験と比べて、明らかに発音やアクセントが改善し、何よりも沈黙が少なくなった。「相手」がいると、つなぎのフレーズを挟んで間をもたせようという本能が働くのだ。

この新技を報告すると、我が師は「ミスタータカイは天才か!?」と驚愕し、Scottのレッスンを受けている受講生にはあっという間にスコアアップのテクニックとして拡散された。
もしVersantのようなテストや会話の自宅学習で伸び悩みを感じているなら、これは是非、トライする価値がある手法だ。
ただし、無用な心配をかけるので、家族には目撃されないよう、ご注意を。

まとめ
・「良い先生」を見つけろ!見つけたら手放すな!
・身振り手振りを大げさにやってみよう!
・「ぬいぐるみメソッド」は効果的!羞恥心なんて捨てろ!

11 サバイバル英語でええねん! ~~社会人編⑧

ブートキャンプを経て、私は2016年春にロンドンに赴任した。
純ドメさん、44歳にして初めての海外生活である。
そんなの、大変に決まっている。
何が大変って、「サバイバル」が大変なのだ。

前述したように、仕事に関係する英語力はそこそこのレベルに来ていた。
だが、サバイバルと仕事は全く別だ。
銀行口座開設や不動産契約、子どもの学校探しや面接などの入学手続き(三姉妹はみんな現地校に行きました)などなど、生活の諸々は、当たり前だが、英語でやるしかない。
一番悲惨だったのは、英国のNTTにあたるBTにブロードバンドを引っ張る工事を頼んだときだ。
コールセンターの南アジア系お姉さんの、英語だと気づくのに30秒かかる巻き巻きの英語に泣かされ、しかも3回もアポをスッぽかされ(あるある、だけど、ほんと来ないのよ、約束した工事の日に)、やっと来てくれた労働者階級特有の訛りのきついイギリス人のおっさんの英語は4回聞きなおしても分からなかった。

最初の頃こそ「みんなBBCのキャスターみたいにしゃべってくれればいいのに」と思ったが、現地で半年も過ごすと、考えが変わった。
「英語なんて、通じりゃなんでもええんや!」という完全な開き直りの境地に達したのだ。
背中を押してくれたのは、多様なロンドン市民の皆さま。もう、それはそれは、多種多様な英語が飛び交っているのだ。
ネイティブ英国人より聞きやすい欧州大陸出身の英語話者から、謎のアクセントの英語とソマリ語のチャンポンでまくしたてるUberドライバーまで、「何でもあり」な世界が、そこにはあった。
開き直ってからは、私も「文法とか気にせず、デカめの声で言いたいことをまくしたてる」というテクニックを身に着けた。

ニュースや政治家の演説、TEDなどのプレゼンテーションの英語が聞き取りやすいのは「原稿にちゃんとセンテンスの区切りがある」からだ。
これは、口から発してはいても、話し言葉とは言えない。
日本語で考えたって、

「この前さ、この前って正月ね、正月。田舎に帰ってお雑煮食べ過ぎて、いや、おれ田舎、名古屋なんだけど、モチばっかりなんだよね、雑煮。モチオンリー。んで、三が日、雑煮と、あと寿司とすき焼き? そんなん、どんだけ運動したって太るやん、フルマラソンやっても。いやフルマラソンとかやらんし、そもそもコタツから出ねーし。んで4キロ増えて、でも、この歳だともう、水飲んでも太るし、減らない、減らない、マジで」

というようなのが(ちょっと酒が入ってるかもしれんが)話し言葉というものだ。
ある程度語彙を頭に詰め込んであるのが前提条件だが、開き直ってしまえば、口から出まかせで英語は出てくる。
それで、だいたい通じる。
口に出さなかったら、絶対、通じない。
つまり、そういうことである。

まとめ
・人生いろいろ、英語もいろいろ!
・ちゃんとしたセンテンスでしゃべるヤツなんていない!
・英語はサバイバルの道具だ!開き直れ!
・でまかせでも口に出せ!出さなかったら、絶対通じない!

12 読んで、読んで、読みまくれ! ~~社会人編⑨

悟りを開いた私は、「ネイティブ方面を目指す」という方向性を完全に放棄した。

ロンドン時代はよく「Big Bang Theory」や「Grand Tour」(あの「Top Gear」の後継アホ番組)を見ていたが、それは純粋に面白いからで、「こういう英語はどうせ聞き取れないからな!」と英語字幕付きにしていた。
たくさんミュージカルにも行ったが、音楽の勢いと役者の演技力で筋は見えるし、ちょっとあらすじを予習しておけばセリフが7割ぐらいしか聞き取れなくても何とかなる。これも勉強とは言えないだろう。

(戦利品。3週間でこれだけ見るとか、アホやな…)

では、ロンドン時代、英語の勉強をしなかったのかと言われれば、そんなことはない。
やったのは、ひたすら読むことだ。
それも、ひたすら音読、である。そう、私の勉強法は、高校時代に逆戻りした。
ここでタイトル画像を再掲しよう。

(全部、音読。ひたすら、音読)

左から順に、

①英キャメロン政権の総括 ☆☆☆☆
②サウジアラビア石油相ヌアイミの自伝 ☆☆☆☆
③英中銀総裁の金融システム改革論 ☆☆☆
④FRB議長グリーンスパンの評伝 ☆☆☆☆
⑤「英国のアラブ人社会」を追った記者のルポ ☆☆☆☆☆
⑥ご存知ヤーギンの名作「石油の世紀」 ☆☆☆☆☆
⑦当代きっての論客ピンカーの新刊 ☆☆☆☆

である。ちなみに全部、面白い。ご参考までに☆を付けておいた。少なくとも①と③と⑥は邦訳がある。

この7冊プラス2冊、合計9冊を2年のロンドン駐在時代に音読した。部分的に黙読したが、9割以上は音読した。平日は夜に帰宅してから、休みも暇があれば1~2時間、ひらすら読んだ。
このラインナップのうち、700ページ超のグリーンスパンの評伝は、ベッドで一語一語、一文一文、すべて読み上げた。クソ重すぎて持ち運ぶ気が起きなかったからだ。一度、音読中なのに寝落ちするという離れ業を演じ、ベッドから落っことしたら、床に本が「立った」ほど分厚い。
音読じゃなければもっと読めそうだが、前述したように、声に出して読むのが大事なのだ。
ちなみにこの音読本以外に、ネット・新聞・雑誌の記事を日常的に読んでいた(こちらは基本黙読)ので、インプットの量は日本にいたころの十倍ぐらいに跳ね上がった。

若干趣味的ではあるが、本は記者という仕事に関連したものばかりだ。
偏ったセレクションには、無論、メリット・デメリットがある。
最大のメリットはその分野の勉強と語彙の習得が同時にできること。
最大のデメリットは、ナチュラルな英会話の足しにはならないことだ。
例えば私は「合計する」と言おうとすると、add upではなくaggregateが口をついて出てきてしまう。
口語としては不自然だが、仕方ない。
何かを得れば、何かを失うのだ。
この音読マラソンは、仕事用の英語力の底上げに大きく寄与した。

大量の音読には、英語を英語として理解する「英語脳」の強化にも役立つ。

量をこなすのに大事なのは勢いだ。読み始めたら、なるべくノンストップで音読する。声がかれちゃうので水分補給は適宜する。
そして「辞書を引く」あるいは「検索する」という作業は極力避ける。
私の語彙力は大したことはない。
上記の本なら、1ページに1つや2つ、場合によってはけっこうな数の知らない単語、確信がもてない単語が出てくる。
でも、音読の最中は、滅多に意味は調べない。
調べるのは、何度も出くわして、

「あー!もう!この単語、イライラする!」

となってからだ。そうすると、調べたときにとってもスッキリして意味がアタマに刻み込まれる。
勢いキープと記憶定着の一石二鳥である。
これは、テキストのレベルを調整すれば、誰でもできるはずだ。

そして、意味を調べるときには、できるだけGoogle画像検索を使う。
試しにlament(嘆き悲しむ=動詞、名詞=悲嘆)を検索してみる。

こんな感じで、ニュアンスがばっちり分かる。
ポイントは先に辞書的なサイトで日本語の意味を調べないこと。すぐに「画像」のタグを押して、先にイメージを固定する。それだけでピンとこなかったら、あきらめて辞書サイトを見る。

日本語経由で英単語を解釈するルートを太くしないこのひと工夫は、長い目でみるとけっこうメリットがある。特に動詞、形容詞、副詞などニュアンスが大事な単語には有効。画像検索だと、ジョークやマンガが出てきて、ニュアンスがつかめることもある。procrastinateを例に挙げておこう。

単なる「先延ばしにする」という訳語を見るより、ダメダメ感が伝わってこないだろうか。

英語を見ると翻訳したくなるのは、受験英語の弊害なのだろう。
だが、日本語を経由する癖を直さないと、大量のインプットは難しい。
アウトプットも同様で、会話で致命的なラグができる。
「英語脳」がある程度できれば、英語を読むとき・話すときにはそちらにスイッチを切り替えられるようになる。

この音読マラソンで「英語脳」がかなり固まり、日本語の3分の1ほどのスピードではあるが、英語を読むことにはほとんど労力を感じなくなった。
ネイティブ路線はあきらめ、会話は「サバイバル英語」で割り切る腹が固まった。
2年も住めばさすがに外国人にも慣れた。

こうして、筋金入りの純ドメさんは、悪戦苦闘の獣道を経て、英語コンプレックスからようやく抜け出したのだった。

まとめ
・時間は有限。目標を取捨選択しよう!
・大量音読で「英語脳」を鍛えよう!
・イライラしたら画像検索でスッキリしよう!
・「英語脳」ができると捗るぞ!

目指せGood Bad English Speaker! ~~さいごに

私の悲しく、険しく、でもちょっと楽しい英語獣道を余すところなく語ってきた。
2万字を優に超える本稿をどれだけの方が通読してくださるか、非常に心もとないが、細部こそが参考になるかも、と詳述してきた。ご容赦を。

私が一番言いたいのは、

一定年齢まで純ドメ人生を歩んでしまったら、「英語は道具」と割り切ってしまおう!

ということだ。

以前どこかで読んだ、こんなエピソードを私は気に入っている。
欧州での国際会議の冒頭のあいさつで、ドイツ人の経営者が、

"English is NOT global language"

と切り出した。
「おいおい、まさかドイツ語でしゃべれってのかよ」と聴衆が固唾をのむ中、彼は続けてこう宣言した。

"Bad English IS Global language! Speak out!" 

この宣言のおかげで、会議では非ネイティブの発言が活発になったそうだ。

ロンドン駐在時代、仕事後にパブに繰り出した際、酔ってネイティブモードでまくし立て始めたイギリス人スタッフに、私も真似してこんなことを言ったことがある(こっちも酔ってたので、ね)

"It's a local language. I can't understand what you are saying. You must speak in global language, I mean, in BAD ENGLISH!"

(オフィス近くのOld Bank of England。パブとかレストランとか、雑音でリスニングつらいねん。気使ってしゃべれよ、ネイティブども!)

先日、外資系勤めの長い知人と飲みに言った際、面白い話を聞いた。
その方は留学経験もあり、その気になればネイティブっぽく話せるけど、社内ではあえてちょっと日本人英語的に話しているという。
「『こいつは大丈夫だな』と思われると、ネイティブがカサにかかってまくし立ててくるから、相手するのが大変」だからだそうだ。

上はツイッターで先日拾った画像だ。信憑性がどこまであるのかは置くとして、英語と日本語が恐ろしくかけ離れた言語だというのは、実感に近い。
こちらは、こんな距離を埋めて、意思疎通が可能なレベルまで英語を勉強してやっているのだ。
「一人でも日本語が分からない人がいたら会話は英語で」というマナーも守っている。
こっちは、そこまで歩み寄っているのだ。
ネイティブが「理解不能な言語」で話し出したら、怒って講義する権利が、我々にはある。
たまに「英語の巧拙や英語で話す内容」で相手の知性を判断するバカに遭遇することがある(とくにアメリカ人に多い印象)。あからさまでなくても、そういうのは伝わってくるものだ。
そんなバカは放っておこう。バカだから。

この長い文章も、ようやく最後にたどり着いたようだ。

もし今、冒頭の苦い逸話のように、英語話者と2人っきりで部屋に取り残されたとしたら、私は胸を張ってこう答えるだろう。

"Can you speak English?"

"Yes! I'm excellent BAD English Speaker!”

英語なんて、ただの道具だ。
純ドメには、それ以上でも、それ以下でもない。

ENJOY!

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大長編にお付き合いいただき、ありがとうございました!
付録込みで2万5000字…やりすぎました。反省してます。
でも、これでも1割ぐらい削ったんですよ…。
ツイッターやってます。フォローはこちらから。
こんな本も出してます。このnoteの1000倍面白いです!たぶん。
未読でしたら、ぜひ!

付録:ノウハウまとめ

先に要点を読みたいせっかちな方、あるいは長文すぎてポイントを忘れちゃった方のため、「まとめ」のまとめをつけておきます。
これだけ読むと「当たり前やん」「レベル、低!」と思われそうな気もしますが。

まとめ
・勝手に思い込むのは時間の無駄。テキストか先生に当たろう!
・英語で歌うのは、発音練習になるし、楽しいぞ!
まとめ
・英語を勉強するときは無理やりでも没頭しよう!
・リスニングは「好きな世界」のコンテンツで!
・知らない単語は聞き取れない。たくさん読んで語彙を増やそう!
まとめ
・学生のうちは純ドメほど英語!やらないと鉄板で後悔するよ!
・英語はエリート様以外も必要かもしれない!逃げるな!
・音読するといろいろ捗るぞ!
まとめ
・「フレーズ集」は所詮、付け焼刃だよ!
・でも、付け焼刃でイケる場面は案外多い!うまく使おう!
まとめ
・純ドメはまず「外国人と1対1」に慣れよう!
・GABAは使いようだ!
・インド人の英語も慣れれば何とかなる!
まとめ
・好きな本をみつけて100回シャドーイングしよう!
・マスクをつければ、「お外」でもできるよ!
・そのうち口から英語がヒョイっと!ホントだよ!
まとめ
・(英語関係ないけど)ウソをついてでも好機を逃すな!
・何とかなる。なってないかもしれないが、なってると思え!
・無理すると「英語電池」が空になるよ!
まとめ
・カタコトでもガンガン話しちゃえ!
・ネイティブっぽいとか、どうでもいいから!
まとめ
・「良い先生」を見つけろ!見つけたら手放すな!
・身振り手振りを大げさにやってみよう!
・「ぬいぐるみメソッド」は効果的!羞恥心なんて捨てろ!
まとめ
・人生いろいろ、英語もいろいろ!
・ちゃんとしたセンテンスでしゃべるヤツなんていない!
・英語はサバイバルの道具だ!開き直れ!
・でまかせでも口に出せ!出さなかったら、絶対通じない!
まとめ
・時間は有限。目標を取捨選択しよう!
・大量音読で「英語脳」を鍛えよう!
・イライラしたら画像検索でスッキリしよう!
・「英語脳」ができると捗るぞ!

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