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「体罰根絶」への0.01%の迷い

タイトルで容認派と誤解されないよう、先手を打ちます。
私は、自分の経験を含めて体罰を忌み嫌っているし、根絶すべきだと信じている。
ちなみに両親からは一度たりとも体罰を受けたことはない。私自身は3人の娘に手を上げたことなど一度もないし、そんなことを考えたこともない。
体罰は、受けた被害者だけでなく、それを目撃した人にも、いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こしかねない。
そんなものが教育なわけがない。ただの暴力だ。

なのだが。
私には100%そう言い切れない、0.01%の迷いがある。
ただの一度だけ「あれはもしかしたら必要だったのかもしれない」と時折思い返す出来事があるからだ。

その話の前に「99.99%」を構成する自身の昭和な個人史を振り返る。

ビンタデビューは小学2年生

私の自業自得のビンタデビューは2年生だった。
担任が何かの都合で休み、隣のクラスの30前後の女性教師が代打で帰りの会の進行役をやった。内容は忘れたが、ずいぶん長い時間、説教が続いた。
ようやく終わって教室から駆け出るとき、こんな戯言を大声で叫んだ。

「先生!あんまり怒ると、しわが増えるよ!」

アホな男子だ。
下駄箱まで逃げ切れず、駆け寄ってきた教師に捕まった。
冷たい声で「きをつけ!」と言われたかと思うと、
バチーン!!
と気持ちの良い一発を頂戴した。「こんなことぐらいで、殴んなよ」と反発しただけで、トラウマにはならなかった。

その後、3年、4年と担任に恵まれ、体罰を受けるようなことはなかった。
だが、「ビンタフリー」な生活は5年生になって終わった。
6年生まで2年続けて担任だった若い教師がビンタ連発マンだったのだ。昭和50年代後半というのを考慮してもヤツのビンタ発動のトリガーは軽かった。
「ビンタされる方も納得」なケースもあったが、窓から身を乗り出した、
廊下をスライディングした、といったものまで問答無用でビンタをかまされた。
そんな調子のビンタ大安売りの日々を2年過ごした。

鼓膜を破られた友人

中1の担任、屈強な若手体育教師オオヤのビンタはマジできつかった。
ビンタ慣れしてくると、手がヒットするのに合わせて首を振ってインパクトを軽減する技を身につけるものである。
だが、オオヤはこの「いなし」を感知すると「てめぇ……」と激怒し、左手で顔面を押さえつけて改めて渾身の一発を繰り出すのだった。
それはそれは目から火が出るような一発で、これぞビンタ、という破壊力だった。発動のハードルも低く、ビンタの大バーゲンな日々が続いた。

私はこの小5から中1までの3年間で、2人の教師から軽く100発を超えるビンタを喰らった。私にも落ち度はあったが、いくらなんでも殴り過ぎだろう。

中学時代には、親友Iが体罰で鼓膜が破れるという被害にあった。
掃除をさぼったIの担任が、「お前!そこに土下座しろー!」と叫び、体育館の入口前にIは膝を折って座ると次から次へと両手を振り下ろして滅多打ちにした。
殴っている間、教師は「うわああぁぁ!」とか叫んでいた。他の教師が遠巻きにそれをニヤニヤ笑いながら見ていた。
「こいつら、アタマおかしいんじゃないか?」と思った。
その後、友人宅で麻雀をやっていたら、Iが「あれ…おかしい…左の耳が聞こえない」と言い出した。鼓膜が破れていた。

人生最後の理不尽なビンタ

私が(おそらく)人生最後のビンタを喰らったのは高校3年生のときだ。
詳細は省くが、今思いだしてもハラワタが煮えくり返るほど理不尽な一発だった。
こうして私の体罰個人史は(おそらく)幕を閉じた。

ビンタ100発喰らおうが、行動が改まることはなかった。
友人は下手したら後遺症が残りかねない酷い目にあった。
最後は、訳の分からない不意打ちの暴行まで受けた。
そもそも、私は「みんな好きにしたらエエがな」が信条だ。
体罰など容認するはずがない人間なのは、ご理解いただけると思う。

なのに、0.01%の迷いがあるのはなぜか。

小さな連続窃盗事件

それは小学校3年生のときのことだった。
担任のK先生は、 私は生涯で出会った一番好きな教師だった。
専門は音楽で、年齢は当時、50前後だっただろうか。いつもスラっと背筋を伸ばし、優しいけど時には厳しく、授業は分かりやすかった。
旦那さんを早くに亡くされ、一人息子と名古屋の高級住宅街・白壁にマンション暮らしをしておられた。夏休みにはクラスの友だち10人ぐらいで先生の自宅に遊びにいったものだ。
小学校を卒業するときには他校に転任されていたので、中学に進んだ後、有志数人でご挨拶にいった。成人式の後にも同じように「晴れ姿」を見てもらいにお伺いした。
そんな、多くの子どもたちに慕われる、素晴らしい先生だった。

K先生は曲がったことが嫌いな筋の通った人で、ウソやごまかし、サボりなどには厳しい指導をした。鋭い目で真っすぐににらまれ、よく通る声で叱責されると、「悪いことはできない」と反省したものだ。
だが、「怒ると怖い先生」ではあったが、手を上げるようなことは一切無かった。
ただ一度きりの例外を除けば。

夏休みが終わり、2学期に入ってしばらくしてからのことだった。
クラス内で、ちょっとしたモノが無くなる事件が相次いだ。
無くなるのは、鉛筆や消しゴム、ヘアゴムなんかの小物類で、大したものではなかった。
それでも、それは確かに「紛失ではなく誰かが盗んだ」と思われる不自然な現象だった。
「クラスに泥棒がいる」。
3年生といえば、まだ10歳。これが騒ぎにならないはずがない。
まずは定番の「みんな目をつむりなさい」が行われた。「怒らないから手を挙げなさい」というヤツだ。
でも、犯人は名乗り出なかった。
そのうち「アイツがあやしい」「アイツじゃないか」と疑心暗鬼が広がっていった。

しばらくして、どんな経緯かは分からないが、犯人が判明した。
クラスでも目立たない、地味な女子だった。仮にXさんとしておこう。
緊急の学級会が開かれ、K先生とXさんがみんなの前に立った。
K先生が「みんなのものを盗んでいたのはXさんでした」と真っすぐに話した。Xさんは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、「みんな、ごめんなさい、もうしません」と謝罪した。
私は事態がうまく理解できず、ボーッとしていた。クラスメートも同じような状態だったと思う。
教室にしばらくXさんの泣き声だけが響いた。

そして、K先生がきっぱりとした口調で「これからXさんに罰を与える」と宣言した。
言い終わるや、私たちに背を向けるようにしてXさんに向き合い、
「歯をくいしばれ!」
と大声で言った直後に、右手ですさまじい張り手をXさんに見舞った。
それは、10歳の女の子が勢いで床に倒れ込むほどの、強烈なビンタだった。
教室の空気が凍りついた。
「立て!」
K先生がそう叫ぶと、Xさんは立ち上がり、教壇の前に戻った。
今度は左手の、手を顔に添えるようにして引き倒すような殴打で、Xさんの体はさっきと反対方向に吹き飛んだ。
「立て!」
立ち上がるXさん。2人の位置が入れ替わり、K先生の顔がはっきりと見えた。
今思い出しても、それは「鬼の形相」という言葉がぴったりの、すさまじい憤怒の表出だった。
次の1発はとりわけ強烈で、横っ飛びになったXさんの体が教室のドアにたたきつけられ、はめ込まれたガラスが割れるんじゃないかと思うほどのすさまじい音が響き渡った。
「立て!」
その後、壮絶な「罰」は数分つづいた。
誰もが金縛りにあったように身動きもできず、声も立てず、それを見続けた。
X先生の目にも涙が浮かんでいたように思うのは、もしかしたら私の記憶の改竄かもしれない。
だが、先生が、ひっぱたくのではなく、顔に傷が残らないように押し倒すように平手を打ち出していること、怒りだけでなく悲しみを身にまとっていることは、幼い私にもはっきりとわかった。

盗癖、クレプトマニアというのは、こじらせると、とてもやっかいな精神疾患の1つだ。
こちらのサイトに詳しい解説があるのでご興味のある方はリンクを参照いただきたい。少し抜粋させてもらう。

診断基準を見てもわかる通り、窃盗直前のスリルや緊張感、窃盗後の達成感や解放感等が特徴的で、盗むこと自体が目的にもなっており、窃盗を他者から咎められたり、逮捕されることがあっても窃盗行為を繰り返してしまいます。
自分自身でも窃盗行為を止めることが困難なため、窃盗行為の後で強い罪悪感や後悔を経験することも少なくありません。
「自分で何とかしないといけない」と思うことで、社会的に孤立し、適切なサポートに繋がらず、結果として重症化してしまうことも多く見られます。

クレプトマニア医学研究所のサイトより

Xさんは、おそらく常習的な盗癖の入り口にいたのだと思う。
そしてK先生は、長年の教師経験から、この悪癖が重症化すると人生が大きく悪い方向にそれてしまうのをご存じだったのだろう。

「性根を叩きなおす」という言葉がぴったりくる、数分にわたる激しい殴打が終わり、K先生がXさんを隣に立たせて、私たちに言った。
「Xさんがやったことは許されないことだ。でも、いま、先生がXさんの中の悪い心を退治した。もう2度と、同じようなことはしない。だから、みんなはXさんと今まで通りの友達でいてあげてほしい」。
Xさんは、しゃくりあげながら「ごめんなさい、もうしません、ごめんなさい」と繰り返した。

この出来事がある種のけじめになったかのように、Xさんがクラスで浮いたり、仲間はずれにされることはなかった。だれも盗癖を話題にもしなかった。
進級して、私はXさんとクラスが別になった。記憶が曖昧だが、たしか小学校のうちか中学に入って転校してしまったように思う。
その後、Xさんの消息を聞いたことはない。

今でも時々、あのK先生の悲しみのこもった、鬼の形相を思い出す。
Xさんの盗癖は、転校先で、あるいは大人になってから、再発してしまったのだろうか。
それとも、あの「体罰」が彼女の中に芽生えていた良からぬ芽を摘み、人生の躓きの石を取り除いてくれたのだろうか。
そんな思いが頭を巡る一方で、もう1つ、別の疑問も浮かんでくる。
たとえその後の彼女の人生をより良いものにできたとしても、そのためにあのすさまじい殴打は必要だったのだろうか。
今なら、専門家によるセラピーなどの手法も選択肢になりそうだ。
だが、当時は昭和も昭和、そんな制度も発想もなかっただろう。
言葉だけの叱責や指導、クラスでの話し合いで、同じように彼女の「芽」を消すことはできたのだろうか。

私自身にとって体罰は「百害あって一利無し」だった。
Xさんが受けた体罰についても「良い体罰」だったと言い切る自信はない。
これからも、私は、体罰について「0.01%の迷い」を抱えていくのだと思う。

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