今年のノーベル平和賞で思うこと 2023年10月

今年のノーベル平和賞はイランの獄中人権活動家が受賞した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3

これを聞いた時にまず思ったのは、順番が違うだろう、である。なぜ火中の栗を敢えて取りに行ったのだろう、である。
たとえイスラム的価値観の中でのこととはいえ、体制維持のための人権抑圧はよろしくないと思う。彼女の活動は大切である。が、イランはイスラエルと揉め、アメリカと揉めている。2020年にはイランの英雄の将軍がイラクでイスラエルに暗殺された。イランは核開発で、アメリカの音頭取りによって西側から長らく経済制裁を受けている。イランの核濃縮器がイスラエルによって暴走・破壊されたこともあった。対してイランはハマスやヒズボラに武器支援などをしてイスラエルに攻撃を仕掛けている。

イランから見れば、イスラエルが核武装をしている以上、対抗しようとするのは当然であろう。また資源国だが宗教国家(宗教的最高権威者が国家権力者も兼ねる)なので、外資が簡単に資源に手を出せず、政府の転覆を計ろうとする。イランが過剰に反応するのも道理がある。1951年に民主的な選挙によって成立し、石油を国有化したモサデグ政権を、アメリカが支援したクーデターで1953年にひっくり返したのは良い例だ。

何が言いたいのかというと、ほとんどの人が同意できるような受賞候補が他にいただろう、ということだ。例えばミャンマー軍事政権はイスラム教のロヒンギャを迫害して、大量の難民をバングラデシュに出している。他にもイスラエルの今のネタニヤフ政権によるパレスチナへの国際法違反、人権侵害は多くの人が酷いと思うだろう。
このような人たちを支援している団体に賞を贈ればよかったのである。

もともと平和賞は政治利用されやすい。選考者はその気が無くても、その人たちの立っている前提が世界共通の前提ではないので、どうしてもバイアスがかかってしまう。選考者はそのことにもっと自覚的であるべきだと思う。
安易な正義感による選考は、対立している人たちを追い詰め、過剰な反撃を生む可能性がある。その反撃が更なる過剰な相手側の反撃を生んでしまう。つまり安易な選考が被害を増加させることにつながりかねないのだ。

追記

私は2018年の夏、1ヶ月イランを旅行した。当時はアメリカのトランプ大統領による、核合意交渉の一方的な破棄で、再び経済制裁が強化され、ドルの闇両替に人が群がっていた。
日本でのイランの印象とは全く違い、人々は親切で、温かかった。もし何の情報の仕入れずに旅行をしたら、この国が世界の厄介者だ、ということに気付かないだろう。宗教国家ということにも気付かないはずだ。女性ドライバーも普通に見かけた。インドやエジプトと違い、女性が普通に働いていた。
女性は全身を覆う宗教着(チャドル)を着用するよう義務化されてしまったが、その中はジーパンをはいていて、出かけるときにただチャドルをひっかけるだけだそうだ。以前はそんな決まりが無かったので、「あれ、着ると暑いから不評なんだよ」という話も聞いた。
私はこの国に非常にいい印象を持った。

旅行後、イランの記事を意識的に読むようになると、旅行中は見えなかったことも知った。2022年スカーフを正しく着用してなかった女性を警察が殺してしまい、大きなデモにつながった。特に風紀警察がかなり強権的だということも知った。死刑も私からすると適用し過ぎである。

日本人はイラン人をごちごちのイスラムファンダメンタリストと思っているようだが、私がホームステイした家も、その親族も全くそんな印象は受けなかった。アメリカ南部のキリスト教ファンダメンタリストである福音派のように進化論を信じないような人たちではない。
1979年までは、腐敗し、資源を外国にかすめ取られはしたが、資本主義国であり、中東の中では豊かな生活を享受していたのだ。


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