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教師OS

教育書を書きセミナーに登壇するような民間教育に携わる教師たちの中に流通する言葉に「OS理論」というものがあります。「あの人のOSは優秀だ」「あの人のOSは汎用性が低い」といった使い方をします。まあ、いわゆる「地頭」と考えていただければ当たらずとも遠からずでしょうか。

しかし、それなら「地頭」と言えば良いわけで、わざわざ「OS」と呼ぶ必要はありません。僕らがこれを「OS」と呼ぶのは、理論や実践の先行研究がどれだけインストールされているか、それをばらばらに知識としてもっているだけではなく融合して理解したり場合分けで理解したり階層分けして理解したりしているか、更にはここが一番大切なのですが、それらの理解を実際場面で使いこなせているか、こうした意味合いが込められているのだと思います。要するに、「よく勉強していて、それらを有機的に活用している」ことを「OSが優れている」と言うわけです。

OSは一般に数年に一度、ヴァージョンアップがあるわけですが、僕らの「OS」も数年に一度、大規模なヴァージョンアップをしているような気がしています。毎年のように新刊を出し、しかも頻繁にセミナーを開催しているような人たちは、間違いなくそのようなヴァージョンアップを頻繁に繰り返しています。そうでないと新しい提案なんてできませんから。またこのことは、ものすごい量の新しい情報をインストールし続けていることの裏返しでもあります。一般のOSはヴァージョンアップする度に多様性が担保され、多くのニーズに繊細に応えられるようになりますが、「OS」の優れた実践者・研究者にも同じ構図があります。

開発された学習ソフトのほとんどが使えないものになってしまうのは、開発者が「教師OS」といったものを持たず、やりたい授業の技術的側面とコンピュータのOSとの間でスムーズに動くということしか考えないからでしょう。しかし、授業は素人が見て理解できるような表側の技術だけで機能しているわけではありません。それどころか、授業者本人さえ気づいていないような「無意識の知」「暗黙の知」といったものがその授業を機能させていることもしばしばです。ICT教育に携わっている人たちの多くにも似たような人たちがたくさんいて、「OSの優れた人たち」から見ると、どれだけ優れたICT技術を活用していても授業の本質をはずしている、要するに指導事項の本質をはずしているということがよく見られます。

すっかり職員室ではお馴染みになった校務支援ソフトにも同じことが言えます。開発者は評価評定だの通知表だの名簿づくりだのという教師の事務仕事をばらばらに捉え、それらをコンピュータでスムーズに展開させることだけを考えて開発しています。また、情報のやりとりができるようにとネットワークに対する意識はあるようです。しかし、それぞれの機能がどれだけ有機的に働いているか、つまり一つ一つの事務仕事なら事務仕事、指導記録なら指導記録がどれだけ教師の「OS」の中でつながりをもって捉えられているか、その観念がありません。だからシステムは見事なのに使いづらいものになってしまっているのです。最近はずいぶんと改良されましたが、当初開発され使用が強制されたシステムはほんとうにひどいものでした。これも教師としての「OS」の欠如がもたらした現象だと僕は感じています。

教師の中にも「技術に使われている」という印象の教師がたくさんいます。本人はよく勉強しているつもりなのですが、それぞれの技術がばらばらに理解されていて、この教科だからこの技術、この活動だからこういう技術と、使いこなしているというよりは、その教師がその技術を知っているということしか伝わらない、そんな授業、学級経営がたくさん見られます。

また、そういう教師たちはネットワークに対する意識だけは高いと見えて、やたらと人とつながろうとします。しかも校務ネットワークのあらゆる情報が上部構造に一元化されるように、彼らはできるだけ「エラい人」とつながろうとする傾向もあるように見えます。いくら「エラい人」と自分がつながったとしても、「エラい人」から見れば一元化されて集まってくる情報同様、相対化して見られ、評価されるだけだというのに。

ずいぶんと皮肉っぽく語ってきましたが、実は若手教師を育てるには、ここで言う「OS」に働きかけることを第一義とする必要があるのだということなのです。〈ミニマム・エッセンシャルズ〉を指導するにしても、〈リフレクション〉で支援するにしても、忘れてならないのは「HOW=どのように」ではなく、「WHY=なぜ」です。どのようにすればいいかよりも、「なぜその方法がいいのか」です。失敗した方法の代わりに成功するであろう方法を与えるのではなく、「なぜその方法が失敗したのか」なのです。

〈エスタブリッシュメント〉とは「確立」を意味し、政治的には「既存体制」を意味する言葉ですが、若手教師を育てるということはその若者らしい教師としての「OS」をつくってあげることなのです。と同時に、その「OS」を自分でヴァージョンアップしていけるような基礎体力と柔軟性をもつくってあげなくてはならない。僕は〈ミニマム・エッセンシャルズ〉を指導する上でも〈リフレクション〉で支援する上でも、徹底して「WHY」を語り、「WHY」に気づかせようとします。最後に〈スリング・アウト〉するのもヴァージョンアップの癖をつけさせるためなのです。

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