見出し画像

成長の物語

突然ですが、読者の皆さんに質問します。

あなたを支えているものは何ですか?

家族でしょうか。それとも恋人や友人でしょうか。或いは学生時代に部活動で辛い思いしながらも努力し続けた、その経験でしょうか。仕事上の辛い時期をなんとか乗り越えた、そんな経験が自分を支えているという方もいらっしゃるかもしれません。しかし、具体的には何を挙げられたとしても、それらを私なりに抽象するなら、それはあなた自身の「成長の物語」であるとだけは言えると思うのです。私たちは「自らが成長してきた」「これまでの成長の要因から見て、いまはこれを選択すべきだ」と考えながら現在(いま)を生きています。時にはその「自分の体験的成長の要因」を担当する子どもたちに押しつけようとさえするくらいです。他人に「これは価値あることだ」と押しつけたい衝動に駆られるほどの物語であるわけですから、それが「自分を支える物語」だと言っても差し支えないほどに重要なものと感じているのだということです。

しかし、子どもたち一人ひとりと私たち一人ひとりとは違う人間です。人間は多様であり、それは教師も子どもも違いありません。自分がどれだけ確信を抱いていたとしても、その具体的な経験の価値を子どもたちに押しつけて良いはずはないのです。しかし、人間を支えているのが「自らの成長の物語」であるという点についてだけは、ほぼ間違いのない普遍構造と捉えて良いのではないでしょうか。

もう一つ考えていただきたいことがあります。その「自らの成長の物語」はどのくらいの時間をかけて形成されてきたものでしょうか。おそらくは長い時間をかけて形成されてきたのではないでしょうか。決して、「昨夜、突如気づいた」とか、「学生時代に恩師に教えられた」とか、「何年何月何日のあの経験によって目が見開かれた」とかいったものではないはずなのです。長い年月をかけてさまざまな経験を重ねた結果として、自分の毎日を支えるほどの自分自身の真ん中にある大切な同伴者となってきたのです。

こう考えてくると、実はAL授業の究極の目的は、子どもたち一人ひとりに「自らの成長の物語」をつくらせてあげることなのではないか。それはおこがましいにしても、少なくともその手助けをすることなのではないか。そして私たちには子どもたち一人ひとりが「自らの成長の物語」を創り上げていくことに資する授業をつくることが求められているのではないか。私はそう思うのです。

例えば、一時間のAL授業において最後に〈リフレクション〉の時間を設けて振り返るとしましょう。このとき、その一時間で「学び」や「発見」や「ブレイクスルー」が成立していたとしましょう。しかし、〈リフレクション〉とはその「学び」の内容そのものを振り返り検討することではありません。「発見」の内容そのもの、「ブレイクスルー」の内容そのものを振り返り検討することでもありません。〈リフレクション機能〉とはその学びが成立する以前の自分と以後の自分、その発見の前後の自分、そのブレイクスルーの前後の自分を比較しながら、「なぜ、その学びや発見やブレイクスルーが自らにとって有意義であり有益であり有効であったのか」を検討する営みなのです。そしてそれ以前の自分はその新しい世界、新しい世界観になぜ気づかなかったのか、なぜ気づけなかったのかを省みる試みなのです。そしてできれば、この構造と同じ構造で、自分の思い込みやバイアスによってまだまだ気づいていない、気づけていない世界があるのではないかと、「未来志向で考えられる構え」をもつための試みなのです。要するに〈リフレクション〉とは、過去・現在・未来の連続した時間軸の中に、いまこの現在の「学び」「発見」「ブレイクスルー」を経験した自分を位置づけてみる、ということなのです。そこにこそ本質があります。

ということは、毎日毎時間「深い学び」や「新たな発見」や「ブレイクスルー」を成立させることは不可能だとしても、日常的な「浅い学び」や「ちょっとした気づき」や「些細な驚き」を集積していくことは可能なのではないでしょうか。それが例えば10時間分たまったらどうでしょう。一ヶ月分たまったらどうでしょう。それが三ヶ月分たまったらどうでしょう。それは一時間のAL授業で成立した「深い学び」「新たな発見」「ブレイクスルー」に優るとも劣らない、いや実は一時間の授業で成立したものなどとは比較にならないほどに大きく、質の高い「深い学びの種」「新たな発見の種」「ブレイクスルーの種」にならないでしょうか。だってそれは、長い時間をかけて子どもたち一人ひとりが、小さいとはいえ学んだり気づいたり驚いたりしたことの集積なのですから。

要するに、私があなたに問いかけたいのは、そうした日常の授業における「浅い学び」や「ちょっとした気づき」や「些細な驚き」をノートやワークシートに記録させていますか?ということなのです。授業の自己評価でもいいし、毎時間の学習感想文でもいいし、振り返りジャーナルでもいいし、毎時間課題に即した短作文を書かせるでもいい。その記録が10時間、一ヶ月、三ヶ月という単位で集積されたとき、それは子どもたち一人ひとりのリフレクションにとって「宝の山」として機能するのです。

毎日毎時間、元ポートフォリオを集積させる。数ヶ月に一度、少なくとも学期に一度程度はそのポートフォリオを通して振り返ることで〈凝縮ポートフォリオ〉化させる。AL型授業はこうした「自らの成長の物語」に資するものであるべきなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?