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What is a Case? (abridged)

多くのビジネス・スクールでは、教材として「Case(ケース)」と呼ばれているものが使用されている(10〜20ページ程度の、実在する企業が直面した課題・問題を記した教材)。Caseとは一体どんなものなのか?以下は、Harvard Business School Pressから出ている「The Case Study Handbook: How to Read, Discuss, and Write Persuasively About Cases」(William Ellet 2007年)の第2章、"WHAT IS A CASE"から要点を抜粋翻訳したものである。

ケースメソッドを取り入れた講義では、インストラクターと生徒がアクティブに参加し、双方が学習を実りあるものにする役割を担っている。

ケースメソッド型講義のインストラクターは、適切な質問を適切なタイミングで行い、参加者のあらゆる発言に呼応し、Case("ケース教材"のことを以降Caseと記す)の本質について議論が展開するよう、クラス運営を行う。運営は、インストラクターの技術に依存するというより、どちかと言うとアート(芸術品)に近い。

ケースディスカッションに参加している生徒たちは、ディスカッション中のほとんどのコンテンツを提供する。新たな「知」の構築には必要不可欠な存在である。もし生徒たちが準備不足のままに参加すると、ケースメソッドは成立しづらい。ディスカッションを実りあるものにする責任者たちの準備が出来ていなければ、クオリティは保てない。

レクチャー型の授業において示されるファクトはほとんどの場合、一つの真実に向けて積み上げられていく。ケースディスカッションで提供される多くのファクトや情報は、一つの真実に向けて組み上げられることはない。

このことは、それまでに生徒たちが受けてきた教育手法からは、劇的なシフトとなる。権威に裏付けされ、誰もが認める一つの真実に安堵できる状況から、個人的な責任が厳しく問われ、曖昧で収束しない複数の答えが存在する状況への、ラディカルなシフトである。

Caseには何があって、何がないのか


Caseは、現実で起こっている状況を疑似体験できるようになっている。現実の出来事がリアルに表現されているので読む者をCaseの主人公役に引き込んでいく。Case分析の対象は、個人から国家まで、幅広く、Caseの分量は1ページから50ページのものまである。一方で、全てのCaseに共通した目的がある。それは、入り組んだ状況を荒削りなままに、リアリティに溢れた状態のまま伝える。そこには関連性が低いもの、瑣末な話題、認識違いも含まれ、わずかな情報しかない時もあれば過剰に情報が書かれている時もある。

いわゆる学校で使われている”教材”というものは、事実を一貫したロジックでしっかりと整理されている。しかし現実社会に直面すると、その状況は常に流動的であり、常に不確実性を伴い、情報が選択されて整理されては現れてこない。Caseはこれと同じ状態になっている。科学者が実験を行って仮説を検証するのと同じような教育的効果を、ビジネスマンに提供するのがCaseである。この役割を全うするためCaseにはいくつかの特徴がある。現実の課題を疑似体験し、実際の事象をシュミレートするには、以下の3つの特徴を有する必要がある。

・ビジネス上の意義ある課題を取り上げている
・一定の決断を導き出せるに足る情報
・結論が記述されていない

意義/インパクトのある課題が含まれないCaseには教育的価値は無い。従ってどのCaseも何がしら重要な事象に関連している(例えば、価格決定のジレンマ、負債と資産のバランスについて、工場における重大な問題等々)Caseは一定の根拠ある決断を導き出すに足りる適切なファクトが必要であるが、結論がCase中に書かれていることはない。

多くのCaseには、以下のような複雑な要素も存在する;
・”ノイズ”が乗った情報:関連性が薄い / バイアスがかかっている / 誤情報 / 切り取り / 発展性の無い情報
・Caseの情報だけでは不足で、類推をする必要性のあるもの
・Caseのあちらこちらに情報が散財している、見せかけの情報がある

Caseは、現実世界を忠実にシミュレートするためにあるので、上記性質を有していることが「絶対的に」必要である。
したがって、Caseを読む者には以下の力が求められる;
・Caseに書いてある情報から自分なりの判断・結論を導き出す力
・関連性がなかったり、価値の低い情報をフィルターする力
・類推によって不足した情報を補足する力
・Caseの各所に存在する、エビデンスとなる情報を関連づけ、一つの判断・結論に統合する力

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Case中に主人公が結論と受け取れるような発言をしている場合があるが、これら主人公たちの欲、願望、視野の狭さという要素が入り込むので、これらの発言にも疑問を呈する必要がある。本文や図表には有用な情報が認識しづらくなるような、ノイズが挿入されている場合もある。しかし、ノイズのような無用な情報は、現実世界には必ず存在する。情報が氾濫している現代において、有用な情報は必ずしも多く存在しない。Case学習は、関連性や価値によって情報をフィルタリングするという、難しいけれど現代には必須な能力を醸成する。

どのCaseにおいても限られた情報から類推する力が求められる。これがレクチャーやそれに使われている教科書の世界から、Caseやケースディスカッションの世界へと移行する際のハードルとなる。レクチャー・モデルに必要な主たる力が”記憶力”だとすれば、Case・モデルでは”類推力”が主たる力となる。

Caseは話が順を追って整理して書かれているように見える。イントロや結びがあり、タイトルや注釈、いわゆる教科書にあるような図表があったりする。ビジネスCaseは教科書のように一見ロジックに沿って書かれているように見えるが、実際はそうではない。Caseのコンテンツは論理的な形で提示されているわけではない。この点は、類推しながら情報を読み取るのに加え、Caseを読む者にとって最も難しい仕事となる。初心者は、Caseはロジカルな順を追って書かれていると勘違いしてしまう。論理的では全くない、と言い切れなくてもどうも引っ掛かるような箇所に当たると困惑してしまい、つい時間を費やしてしまう。

例えば新聞記事では、最初の段落に明確に主題が書かれている。学校の教科書
では、最初のページが著者の疑問について費やされていたら、その後の数百ページでこの疑問に答えを求める内容が順を追って整理されて書かれている。一方、Caseでは、オープニングとエンディングに書かれている内容は、その中間に書かれているものとは一見すると関連性が薄いように捉えられる書き方がされている。(おわり)

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