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「How to」よりも知りたいこと

悩みごとがあるとき、わたしはすぐに書店へ行く。
ヒントになりそうな本を、あれやこれやと探すのです。
もちろん、google先生にも聞きくし、noteやインスタも検索します。
悩みの沼から一刻も早く抜け出したくて、いつもいつも必死です。

でも、大人時間が深まるにつれ、
悩みごとなんて解決できないのでは?
と、気づいたりもする。

たとえば、
「満たされた人生を生きるには?」とか。
そんな方法、死ぬまでわからないだろうし、
今日が満足なら、それでいい気もする。
正解は、どこにあるんだろう。



わたしはいつも正解がほしい

正解が見つからなくても、どこかにある気がしてしまう。
正しい方法論で、間違いなく正解に辿り着く道を
誰かが教えてくれると、信じている節がある。
そう思う人は、わたしだけではないはず。

たとえば、おいしいスコーンの焼き方には正解がある。
それこそ、素人のわたしでも満足できるレシピがたくさん。

でも、「満たされる人生」には正解がない。
答えっぽいものはいくらでもあるけれど、
「これが正解!」と太鼓判は押せない。

それでもどこかにあるはずだと、
探しても探しても、やっぱり見つからない。
ぐったり疲れて沈む日が、たくさんある。

何年も何十年も、悩み続ける問いもあって、
いい加減、あきらめようとふいに思った。

答えを探すことも、悩むことも。
全部、やめてしまうおうと。

この世の誰も、正解を教えてくれないのなら、
いっそ自分でつくってしまえばいい。
と、むずかしいことを簡単に言ってみる。

きっと何を選んでも、人生には正解しかない。

「How to」では創れない人生を

悩んだり迷ったりするたびに、
どうしたらいいか「方法」を探してしまう。

それはきっと、すべての分岐点には、
たった一つの正解があると信じているせい。
今までずっと正解を選ぶように育ってきたし、
正解でいるように働いてきたからしかたない。

たった一つの正解を追い求める性質は、
過去の自分が、がんばって生きた証拠。
良くも悪くもなく、ただの過去だから、
ありがたいと思いつつ、そろそろお別れしたい。

多彩な人生の中で、正解がひとつしかないなんてケチすぎる。
だから、選べないほどたくさんの正解がある、と思う方が
お得だし、なんでも選べてわくわくする。

ひとつしか選べないから、正解だけを選びたい。
間違えたくないから、正解がほしい。
そう思っていたけれど、未来にはすでに正解しかない。

誰かの正解が、自分の正解ではない。
書店に並ぶ誰かの正解は、活力にもなれば、絶望にもなる。
用法容量を守って、これからも適度に頼っていきたいな。

今日を生きるわたしに、明日も生きる答えを、
少しずつ残していけますように。



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