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【流儀】Nurse&Craftが目指す社会

今回は、私たちのウェブサイトに新しく公開したページ「社会インパクト」について、少しお話しします。ここには「セオリー・オブ・チェンジ」と「ロジックモデル」について書かれているのですが、初めて見る方にとっては補足情報がないと読み取れない部分もあるかと思いました。

さて、2020年から過疎地での医療・介護事業を開始してきましたが、私たちが目指す社会とその理想とする姿までどうやって登っていくのかは、正直なところ、それまで明確に説明できるとは言えず、ぼんやりと霞がかかったような状態でした。

その状態は私にとって非常に苦しいものであり、大きな悩みでありました。私がその状態であるということは、私のピッチを聞くオーディエンスや訪問客などにとっては、より捉えどころのない話だったはずです。特に私たちの事業領域から遠い人ほど掴みにくいものだったと思います。

それがようやく、この7カ月間の起業家育成プログラム(Knot Program)によってモヤが晴れ、明確に示すことができたというわけです。

セオリー・オブ・チェンジ

まず、セオリー・オブ・チェンジ(Theory of Change, 以下ToC)という言葉はご存知でしょうか。これは社会課題の解決を目指す事業の経営の骨子の考え方で​、「変化の理論」や「社会変革理論」などと訳されることもあります。(大丈夫です。私も最近まで知りませんでした)

ToCという判断基準があることで、事業の方向性を決定する際の意思決定の軸となります。これがあると組織内はもちろん外部に対しても、「自分たちがどんな未来を目指すのか」が明確になります。

ここで私はアウトカム(顧客に起きた変化)によって引き起こしたい社会変容を「色々な地域で、『100年生きたら、おもしろかった』と思う人がいる、未来に期待できる社会」と示しました。

これは、病気があってもなくても、パートナーがいてもいなくても、自分の人生の最期に「なんておもしろい人生だったのか」と思える人々をたくさん増やし、今日が一番楽しく、明日を楽しみにできる社会にしたいという想いからです。

また、その下には「課題が引き起こしている社会の負の状況」についても書いています。ここには、時代はとっくに移り変わっているのに昭和的で古く単一的な価値観や体制が今なお残されてしまっている状況にあると考えており、そのせいで私たちの手から色々なものが失われてしまったと思っています。

ロジックモデル

続いてロジックモデルですが、これは原因と結果の因果関係を論理的に図示したものです。事業が成果を上げるために必要な要素を体系的に図示化したものです。簡単に言うと、我々がどのような社会課題に向き合って、どのようにその山を登っていくのかを示しています。

ロジックモデル​では、事業の目的や目標を明確にし、事業の効果や影響を測定するための指標や方法を決め、事業の進捗や成果を評価していきます。つまり、ロジックモデルを見ることで、誰のために何をすることでどのようなことをもたらすかがわかります。

具体的に説明すると、まず横の流れについては、私たちの事業活動(N&Cモデル)によるアウトプットによって短期・中期・長期のアウトカムを示し、ToCにもあった社会インパクトまでの道筋を立てています。紫色の矢印はその影響が及ぶ先を示しています。

次に、縦に三つ並ぶマスについて説明します。これは私たちの事業を提供する対象者のことで、上段を「自治体」、中段を「高齢者」、下段を「医療介護従事者」としています。ちなみに、自治体と高齢者は“過疎地を含む、過疎地の”という意味であり、医療介護従事者は”過疎地を訪れる”という意味になります。

そして、アウトカムによる成果の指標(インパクト指標)とするのはコミュニティの数で、一つのコミュニティを1000人としています。これは現在の拠点での活動から導いた数字です。また、それぞれのマスの下に書かれているのは計測方法です。

以上のようにロジックモデルを組み上げていますが、これはもちろん、事業の進展や取り巻く状況の変化に合わせてロジックモデルも変化しうるため、適宜見直していく必要があります。

最後に

私はいわゆる就職氷河期世代なのですが、私の子供の頃は日本人はもっと豊かであったように思えます。父親も、「皆が貧乏だったけど、今日よりも明日はもっと良くなると信じて日々過ごしていた」とよく言っていました。

しかし、いざ社会に出ても一向に未来が明るくなっていく気配はなく、それは「失われた20年」と叫ばれ、今では「失われた30年」とまで呼ばれるようになってしまいました。私はそのような世間の状況に、国がダメだ、会社がダメだと誰かのせいにして、過去の遺産だけで食っているだけのように思えて仕方ありませんでした。

おそらく、私は昔からずっと怒っていたのだと思います。だから、そんな社会を変えたかった。ここに私が起業家として存在している理由があるのです。

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