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【漫画で解説】「地域包括ケアシステム」って結局何なのよ! 〜親の介護で困らないために〜




お悩み相談
 

60代主婦です。最近、田舎で一人暮らしの母(88歳)の物忘れが激しくなってきています。約束をすっかり忘れてしまったり、財布の置き場所がわからなくなって探し回ったり、タマゴがあるのを忘れてまた買ってしまい冷蔵庫にタマゴが何パックもあったり、そんなことが続いていて心配しています。兄弟の話の中では「今のうちに高齢者施設などに移ってもらったほうが安心」という話も出てきています。長年住みなれた家だし、ご近所さんとも仲がいいので、母は嫌がると思いますが…。こんな時、どうすればいいのでしょうか?

 

登場人物
 

森田先生:とりあえず何でも診る総合診療(プライマリ・ケア)の医師。
40代。

Yさん:2人の子を持つ30代専業主婦。元病院看護師。

 


______

 

森田「今回は認知症気味?の遠方のお母さんのご相談ですね。」

 

Yさん「娘さんの気持ち、よく分かるわ〜。家族としてはこのまま一人暮らしは不安。施設に入ってもらったほうが安心。…でも、本人は自宅がいいのよね〜。」

 

森田「ですよね。日本はこれから怒涛の高齢化社会を迎えるわけですから、今回のお悩みのような事例は、今後もっと増えそうですよね。」

 

Yさん「そうよね〜。」

 

森田「…でも実は、国もキチンと考えてくれているんですよ。最近良く聞く『地域包括ケアシステム』がそれです。」 

 

Yさん「う〜ん、『地域包括ケアシステム』って、たしかによく聞くけど、これいまだによくわかんないのよね。結局何なの?っていっつも思う。」

 

森田「そうですね。そういうご意見よく聞きます。確かに、わかりにくいかも・・。いちおう厚労省はこんな説明をしていますね。」

   

 

「団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を実現していきます。」

出展:厚労省のHP「地域包括ケアシステム」
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/  

 

 

Yさん「う〜〜ん、『重度の介護状態になっても住み慣れた地域で』ってね〜。そんなこと出来るのかしら。国はこれ、ホントに本気で言ってるの?」

 

森田「本気だと思いますけど…。」

 

Yさん「だって重度の介護の人が家に居たら大変じゃない!家族の負担はどうなるのよ。昔みたいに長男のお嫁さんが介護してくれる時代でもないし。女性だって働きたいし!すべての女性が輝く時代、って国も言ってるじゃない!そんなこと言っときながら、裏ではまた『嫁は家にいて親の介護をしなさい』って言ってるってこと?変なの!」

 

森田「そうですよね。でもYさん、よく見てください。あのイラストの真ん中の『住まい』のところ。『自宅』と『サービス付き高齢者住宅など』が同列で書いてあります。」

 

 

 

Yさん「あ、本当だ!」

 

森田「そうなんです。だから、『地域包括ケアシステム』って、『自宅』で家族が介護するっていう話ばかりではないんですよ。」

 

Yさん「そうなんだ。…でもさ、だったら今までと同じじゃない?何が新しいの?」

 

森田「そうですね〜。じゃ、『従来型』と『地域包括ケアシステム型』の違いがよく分かる、実例を元にした漫画があるので、それを読んでもらいましょうか。」

 

Yさん「漫画はいいわね〜。」

 

森田「ではどうぞ。」


Yさん「う〜ん、これ、私は看護師として現実を知ってるから…。たしかに分かる気もする…。でも、複雑な気分ね。」

 

森田「そうですね。…では『地域包括ケアシステム型』いってみましょう。」 




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Yさん「先生、これ。うまくいきすぎじゃない?」

 

森田「まあ、実例を元にはしてますが、表現としてはあくまでも漫画ですから(^_^;)。で、Yさん、この2つのストーリーで決定的に違う部分が一つあります。何だと思います?」

 

Yさん「え〜?そうね〜。なんとなく世界観がぜんぜん違うのは分かるんだけど、具体的に何が?って言われると…う〜ん、何だろう。最終的なお看取りの場所も両方とも自宅ではないし…しいて言えば、2つ目の方が、自宅期間が長いわね。そこかな?」

 

森田「ま、それもそうなんですけど、もっと根本的なことが違うんです。それは『本人の選択』を重視するか、しないか、ということです。これ、ついつい忘れがちなんですけど、一番の根っこにあることなんですよ。」

 

 

 

本人の選択 ⇔ 家族の安心
 


Yさん「う〜ん、ま、『本人の選択』が大事なのは分かるけど…。」

 

森田「そうですよね。『けど…』って思う気持ちもわかります。現場では、えてして『ご家族の安心(例えば施設入所)』と『本人の選択(例えば自宅生活)』がぶつかり合うことが多いですもんね。そして、なかなか本人の希望通りに行かないことも多い。」

 

Yさん「そうね・・」

 

森田「そう、でもね。こうして介護で困った時、最初に『本人の選択』を軽んじてしまうと、後々困ることになりがちなんです。」

 

Yさん「どういうこと?」

 

森田「1つ目の漫画の例で言いますと、『ボケが強くなってきて、ご家族の意向で施設に入所した』という話ですよね。この段階で、すでに『本人の選択』にもまして『家族の安心』が重視されています。つまり『人生の選択と責任の主体』が『本人』から『家族』に移行してきているわけです。」

 

Yさん「なるほど。」

 

森田「選択と責任の主体が『家族』ということになれば、ご本人の生活と介護を任されている施設側は、『本人の希望』にもまして『家族の希望』に配慮するようになるのは当然です。」

 

Yさん「なるほどね。で、その流れで、包丁は持たせない、外出は許可制、夜は睡眠薬、っていう流れになっていくわけね。」

 

森田「そうかもしれないですね。施設に入るのか、自宅にいるのか、料理をしたいのか、外出したいのかしたくないのか、デイサービスに行くのか行かないのか、胃瘻にして長生きしたいのか、食べられなくなったら人生終わりと悟るのか…そうした『人生の選択』とその『責任』は本来なら『本人』のもののはずです。しかし、そこを軽んじてしまうと、『選択と責任』の主体は『本人』から『家族』…そして数年後には『施設』にまで移行…、さらに肺炎で救急車で運ばれると今度は『選択と責任』の主体が『病院(医師)』に…と徐々に遠くに行ってしまいかねません。」

 

Yさん「そうね。施設側としても、本人の希望通りに包丁持ってもらって『責任をとれるのか!』といわれたら取れない。だから安全志向に、という傾向はあるわね。」

 

森田「そうですね。もっといえば、救急病院の医師のように普段からの人間関係のない専門家の立場ならよりその「安全志向」の傾向は強くなります。選択と責任の主体が本人から遠くに行くに従って、より『安全・安心』のみが重視されていく傾向になりますよね。」

 

Yさん「で、最終的には一番安全な『胃瘻で寝たきり』となるわけね…。」

 

森田「そうですね。でもその『安全』は、医療側にとっての『安全』なだけかもしれない。本人にとってはどうなのかな?ということです。実は、地域包括ケアシステムにはもう1つ大事なイラストがありまして、『植木鉢モデル』と呼ばれるこれなんですが、、」


 厚労省HPより http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/0000126435.pdf


森田「植木鉢とか葉っぱに、医療とか介護とか、住まいとかいろいろ書いてありますが、一番の基礎のところは、実は『本人の選択・本人家族の心構え』と書いてあるんです。実は、地域包括ケアシステムって、高齢者施設・住宅の整備とか医療と介護の連携とか、そういう上モノの部分も大事なんですが、それにもまして『そもそも本人の選択は何なのか、家族に心構えはできているのか』、そういうところが基礎にないと上手くいかないよ、というメッセージなんじゃないかな、と思うんです。」

 

Yさん「なんだか哲学的になってきたわね…。う〜ん、まあ、なんとなくわかるけど、、でもさ、そりゃ本人の選択を重視するのは大事だし、家族の覚悟も大事。たしかに理想よ。。でもさ、だからって、そうもいかないことだってあるのは先生だって分かるでしょう。だって、田舎の家で、一人暮らしさせて何かあったらどうするのよ!」

 

森田「Yさん、『何か』ってなんですか?」

 

Yさん「え?…例えば徘徊してどっかで事故にあったり。。」

 

森田「そうですよね。あと、火事や運転事故で他人を傷つけてしまうようなことは避けるべきですよね。ですので、2つめの漫画の例は、上手にIHを導入していますね。」

 

Yさん「そうね。あ、漫画の例では『徘徊』も、心配しながら見守ってるわね。」

 

森田「そう、実はここに、『本人の選択』をしっかり実現するための大事なポイントが隠れているんです。」

 

Yさん「え?どういうこと?」


森田「ではここで、東京大学の准教授で、なんとご自身も手足が不自由で車椅子生活をされている、熊谷晋一郎先生のお話を聞いてみましょう。」


熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう) 1977年山口県生まれ。生後間もなく脳性麻痺により手足が不自由となる。小学校から高校まで普通学校へ通い、東京大学に進学。医学部卒業後、小児科医として10年間病院に勤務。現在は障害と社会の関係について研究するとともに、月2回ほど診療現場に出ている。


『(大学進学にあたり東京で一人暮らしを考えた時、)当然のことながら親は大反対し、母がついてくると言いました。(中略)でも、実際に一人暮らしを始めて私が感じたのは、「社会は案外やさしい場所なんだ」ということでした。
 大学の近くに下宿していたのですが、部屋に戻ると必ず友達が2〜3人いて、「お帰り」と迎えてくれました。いつの間にか合い鍵が8個も作られていて、みんなが代わる代わるやってきては好き勝手にご飯を作って食べていく。その代わり、私をお風呂に入れてくれたり、失禁した時は介助してくれたりしました。(中略)それまで私が依存できる先は親だけでした。だから、親を失えば生きていけないのでは、という不安がぬぐえなかった。でも、一人暮らしをしたことで、友達や社会など、依存できる先を増やしていけば、自分は生きていける、自立できるんだということがわかったのです。
 「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。』

以上、http://www.univcoop.or.jp/parents/kyosai/parents_guide01.html から引用。


Yさん「ちょっと!熊谷先生、すごい人ね!脳性麻痺で手足が不自由で車椅子生活なのに、東大入ってお医者さんになって、しかも一人暮らしまで、、」


森田「そう!すごいですよね。そして熊谷先生はその体験の上で、『依存先を増やすことこそが自立』と言われています。」


Yさん「うーん、逆転の発想のように聞こえるけど、熊谷先生の話を聞いたらなんとなく分かるような気もする。」


森田「そうそう、実は2つ目の漫画でも、ご本人・ご家族は上手に依存先を見つけているんです。」


Yさん「え?そうだっけ?」


森田「ほら、この人たち。」



Yさん「あ、本当だ!そう言われると、上手に依存してるわね。」


森田「ね?お婆ちゃんと娘さんは、住み慣れた地域の中で、こんなにたくさん、上手に依存先を見つけているんですよ。」


Yさん「なるほど『上手に依存先を増やしていく』か…。熊谷先生は『障害』の方だけど、高齢者も根っこは同じなのかもね。あ、もしかしたら、子育てだって同じかも!」


森田「そうそう。PTA活動なんかもそうですね。『めんどくさい』なんて言いながら、でもやってると仲間が増えてきて、子供を預けられる家が増えてきたり。それも依存先を増やしたということかもしれないですよね。」


Yさん「わかる!子育て中のママは孤独になりがちなのよね。特に実家が近くにない場合、本当に大変。それって、依存先が少ないからなのかもね。」


森田「そうですね。たしかに『家族が頼り!』という思いは誰にもあると思います。でも、そこだけに固執してしまうからこそ、熊谷先生も『親がいなくなったら自分は生きていけない』と思っていたのかも。でもその後、家族だけではない、社会に甘えていいんだ、『依存していいんだ』と気付かれた。2つ目の漫画もそう。上手に依存先を見つけている。」


Yさん「なるほどね。」


森田「難しい言葉で言うと、『自助・互助・共助・公助』とか、『介護の社会化』とかいうことなりますが…』


Yさん「その辺の難しいところはパス!」


森田「あと『きずな貯金』てのもありますが……。ま、つまり、上手に依存先を見つけるのは大事、って話です。でもそれって大変。隣近所の付き合いからはじめて、近所の介護・医療機関の情報まで、クチコミ含めて収集しなきゃいけない。なので、これまでのように、なんとなく家族だけで解決してしまいがち。家族だけで抱え込んだままだと、結局『たった一人で孤独に介護する』とか、それも限界になって、本人の選択を考慮せず遠くの『一見なんでも揃ったきれいな病院・施設』に預けてしまう……1つ目の漫画みたいに…。」


Yさん「いや、施設に預けてるんだからさ、それだって同じで、上手に依存してるんじゃない?」


森田「そういう風にも見えますけどね。でも、そもそも前提に『本人の選択』もないわけで…それって、『上手に地域に依存出来なかったゆえの丸投げ』なんじゃないかな、と…。」


Yさん「丸投げか〜、先生、またズバリ言うわね。」


森田「いや、最近、地域で生活してると、お馴染みのお爺ちゃんお婆ちゃん達がフッと消えちゃうんですよ。『そう言えば、あそこの爺ちゃん最近見ないね。』なんて言ってると、実はご家族の意向で先月遠くの施設に入ったんだ、みたいな。なんだか悲しいんですよね。『本人はどう思ってたのかなー』とか、『もっとこの地域で上手に依存してほしかったのになー』とか、思うんですよね。」


Yさん「なるほどねー。ま、全てがそんなにうまくいくとは思わないけど、そういう方向性もある、ということは分かったわ。じゃ、最初の『お悩み相談』についてまとめると…


田舎で一人暮らしの認知症のお婆ちゃんをどうするか。それは、本人の人生にとって何が大切なのか、本人も含めてよく話し合ったうえで、『本人の選択』を第一に考える。『本人の選択』を実現させるために上手に『依存先』を増やす。


ということね。」


森田「簡単ではないですけどね。」


Yさん「そうね。簡単じゃない。…特に『地域で依存先を増やす』って難しいわよね。」


森田「そうなんです。そこをどう乗り越えるのか…。これ、実はソーシャルワークという分野につながっていくのですが…」


Yさん「う!またよくわかんない言葉が出てきた!」


森田「では、ソーシャルワークについては、また別でお話しましょう。というところで、今回はおしまい。(^_^)」


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地域包括ケアの本

財政破綻・病院閉鎖・高齢化率日本一...様々な苦難に遭遇した夕張市民の軌跡の物語、夕張市立診療所の院長時代のエピソード、様々な奇跡的データ、などを一冊の本にしております。まさにこれが地域包括ケアシステムのあるべき姿だと思います。
日本の明るい未来を考える上で多くの皆さんに知っておいてほしいことを凝縮しておりますので、是非お読みいただけますと幸いです。


漫画の作者ご紹介 


今回の漫画は、手足が不自由で車椅子生活の双子の姉妹(遺伝性の難病によるもの)、岩崎絵里子さん・麻里子さんに書いていただきました。お二人は、熊谷先生と同じく上手に依存先を見つけながら、それぞれ別の賃貸住宅で一人暮らしを満喫されています。


岩崎 絵里子:従来型の医療・介護担当

岩崎麻里子:地域包括ケア時代の医療・介護担当


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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)