見出し画像

自分の人生をかけて、相手の人生に向き合う。

「引き止められたのかな」

最終出社日、頭を下げながらオフィスを出ていく宮本を見届け、同期の伊藤がぽつりとこぼした。

新卒の宮本が入社してからの2年間、伊藤と私はずっと近くで彼女の活躍を見てきた。宮本は入社当時からトップクラスに優秀で人あたりが良く、間違いなく会社の次世代を担う存在だった。でも、たった2年で辞めてしまった。

数ヶ月前、「やりたいことが見つかって転職を考えている」と相談を受けた伊藤と私。2人とも、宮本にやりたいことが見つかって嬉しかったから、引き止めるよりも宮本の夢を応援したかった。結果、転職を応援する形になり、引く手あまたの宮本はトントン拍子で内定を獲得し、退職が決まった。

2年とはいえ、一緒に苦楽を乗り越えてきた宮本が明日からいなくなる。伊藤は、もしも自分たちが引き止めていたら、宮本は転職しなかったんじゃないかと後悔しているようだった。

私も寂しい気持ちは伊藤と一緒だ。だけど、やりたいことがあるなら引き止めない。貫いてきた自分の姿勢に疑問を感じ始めたのは、宮本が退社して3ヶ月後のことだった。

         ***

会社で1泊2日の研修をやるらしい。400人いる社員の中から、厳選した20名と役員だけが参加する研修合宿。

研修の本筋は、自分の価値観を明確にして、会社と自分の未来を考えることだったけど、ひときわ印象に残った言葉がある。

自分の人生をかけて相手の人生に向き合う、という言葉だ。リーダーやマネジャーといった管理職になると、部下をマネジメントすることも、部下のキャリアや人生に関わる機会も増えてくる。その際、自分の人生をかけて相手の人生に向き合うことが大切なのだ、という話だった。

相手を心から思い、愛を持って接する。そのためには、自分の内面を曝け出す必要があるし、うわべの優しい言葉ではなく、厳しい言葉も必要になる。

気付いたら、研修中だというのに宮本のことを考えていた。宮本が退職するまでの2年間、愛を持って接することも、自分の人生をかけて向き合うことも、全然できていなかった。宮本の夢を応援したいという割に、どんな会社に転職するのか、どんな未来を描いているのかも私は知らなかった。

本人の意思を尊重するという建前の元、私がやっていたのは放任だった。自分の人生をかけて相手に向き合っていれば、転職先で本当に夢が実現するのか、今の会社では実現できないのか、もっとあらゆる道を探ったはずだ。

もっと一緒に働きたかったし、宮本と一緒にやりたい仕事がたくさんあった。だけど、自分の正直な気持ちを口に出すのが恥ずかしくて、最後まで何も言えなかった。一緒に働きたいと言われて嫌な気持ちになる人なんていないのに、思っていたことを何一つ伝えられなかった。伊藤が後悔していた気持ちが、今になってやっとわかりはじめていた。

私と伊藤が人生をかけて向き合っても、宮本は夢のために転職していたかもしれない。だけど、私たちはやれるはずのことをやらず、そして後悔した。せめて、一緒に働きたいという気持ちだけでも伝えたかった。

自分の人生をかけて、相手の人生に向き合っているか。研修を受けたあの日から、私は私に問いかけ続けている。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?