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いろ衣都つむぎ ~人間理解はほど遠くて~

人間って謎だなあって、ものごころついたときには思っていました。
わたしは思ったことをほとんど口にしない、無口でおとなしすぎるほどの子どもでした。
保育園、幼稚園でも、ひとりぽつんと、教室の隅を歩いていたり、本を読んでいたりしました。わたしには他の人がわかりませんでした。どう口を利いたらいいのかもわからなかったし、内面になにを抱えているのか、まったくわからず、人を遠いものとしか認識できませんでした。
わたしは両親にも、ほんとうに思っていることは話せなかったのです。父や母に話してもいいことは、日常の表面にある普通に起こることだけでした。
それ以外のことに聞く耳を持った人たちではありませんでした。
わたしは、父は呑んだくれの救いのない男、母は感情がまばらに発現する冷たい女(その上不潔)だと思い、信頼はしませんでした。

人に心があることは、だれでも知っています。わたしは、心がわからないと友だちになれないと思っていたのかもしれません。
年を重ね、中学校へはいると、部活動で、仲のよい友だちが何人もできました。その子たちとは共通言語があったのです。趣味が同じということで。
でも、それ以外の、なにの言葉もわたしは持っていませんでした。

わたしは16歳で高校を中退したのですが、それ以後は、真実を求めてさまよい続けました。
アルバイトをいくつかやって、大人の社会というものは、学校生活よりうんと楽なのだ、と知りました。学校で覚えなければならない対人関係はものすごくねじれていましたが、バイト先では単純でした。
職場だと思えば、上っ面な言葉などすらすら出てくるのです。
その日々を経て、わたしは対人関係にそう困らなくなりました。

いま、50も半ばを過ぎて、人間のことがわかるようになったかといえばーー
どうでしょう。
人はみんな孤独で、痛みを抱いているということ。
あなたのことはわからない、でも寄り添ってはあげられると言ってあげらあれるようになったこと。
他人の心を探ろうとはしなくなったこと。
わからないことは、わからないままでいいと、そのままで、人と接することを覚えたこと。

人間って謎だなあと思います。
だれでもみんな謎です。
でも、その深みが、人間を唯一無二の存在にしているのだと思います。
だから、わたしはもう、謎を解き明かそうとは思いません。
人間を理解するより、共鳴し、共感して、共に生きたい。
それができたら、わたしは人に近づける。
そんな気がします。



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