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板書とノートの無理と無駄

黒板に書くことを板書(ばんしょ)と言う。
読解授業では、板書を軸にして授業が進むことが多い。それをそのままノートに書き写させられることが多い。話し合いに夢中で参加しながら、板書の文字をノートにきれいに書き写すことなんて、できるのだろうか?私にはできない。
私が子どもの頃は、話し合いに参加することに夢中で、板書された文字をノートに丁寧に書き写すゆとりはなかった。授業が終わるころにあわてて書き写した。そして、首藤のノートは汚いとしかられた。自分で見ても汚いノートだった。
しかし、考え直してほしい。話し合いに夢中で参加しながら、板書の文字をノートにきれいに書き写すことなんて、できるのだろうか?
級友の発言はみんなに聞こえているので、教師がいちいち板書しなくても、発言と同時にみんなに共有されている。それを板書するのは無駄ではないか。
話し合いにのめり込んで参加しながら、板書を書き写すのは無理ではないか。
そう考えて私は、『国語を楽しく』第1章第1節の4を書いた。
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