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あれは私の青春そのもの 〜 「卒業写真」 荒井由実。卒業式✖︎音楽

卒業式。

地元の田舎では、コアメンバーは保育園・幼稚園から高校までほぼ変わらない。

小、中、高としだいに周辺地域からの仲間が増えていくだけ。

だから卒業にちなんだ酒飲み語りネタもあまりない。

コアメンバーは15年くらい変わらないから、まあそれはそれで、僕にとって卒業式とはそういうものだった。

一つ。

その中で一つ挙げられることがある。

それは、しおり。本の栞。

最終学年時。担任だった女性の先生が卒業式の数ヶ月前、受験に向かう自分に手渡してくれたものだ。

お守りとして。

その時の言葉は今でも覚えている。

「これは私が困難な時に一緒にくぐり抜けてきたもの。君にこれをあげよう。これがあれば大丈夫。」

何かと青年期特有の勘違いなロジックや正義感でいろいろ本音をぶつけながら語っていたので、そういうことをしてくれるのかと、驚きと嬉しさがあったように記憶している。

その栞とは、受験を共に過ごし、卒業までの日々をカバンのポケットにいれて共に過ごした。

高校卒業の日。栞🔖を見ながら、ぼんやりとそんな言葉を思い出していた。

それが卒業式の数少ない思い出。

入学式

大学は横浜。1995年4月。この年は何があっても変じゃ無い時代で、そのことは前に記事で触れた。

そんな時代に一人暮らしが始まった。初めて卒業の本質に突き当たっていた。

それは圧倒的な孤独。

端的に言えば、夜はこんなにも静かなのか、昼の時間はこんなにも長いのか、ということ。

心許せる友人ができ、ロマンチックな出会いが始まるまでの日々は圧倒的な孤独の中にいた。

それまでは友達は作るものではなかった。周りの仲間から打ち解けた順に友達になって行った。仲間はいつもそこにいた。

しかし、1995年春は仲間はそこにいなかった。周りは全て知らない人だった。初対面だから当たり前だが。僕の思考回路、現代風に言えば僕に所属しているAIが認識回路をショートしかけていた。

圧倒的な孤独。

そんな時、救いになったのはミスチルのes であり、もう一つは、あの栞だった。

手帳に挟んでいたあの栞。

寂しいとき、訳もなく悲しいことがあったとき、その手帳を開いた。

するとあの言葉が浮かんでくる。

「これは私が困難な時に一緒にくぐり抜けてきたもの。君にこれをあげよう。これがあれば大丈夫。」

ミスチルのes を聴きながら、その栞と言葉に勇気づけられていた。

そんな日々はいつのまにか終わっていた。いつのまにか新しい生活が始まった。

ただあの日々の残像は消えない。

圧倒的な孤独と、救い。

何かの使命感が沸き起こってきた。そうだ、自分も誰かにとっての、この栞のような存在になろう。

いつの日にか
きっとそれは、いつのまにか

振り返ってみると、この日々もまた青春そのものだった。あの栞が、青春そのものだった。

その栞は、今でも。





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