ダイアナ妃とグラナダの1日 〜 「Candle in the Wind」 エルトン・ジョン 、 スペイン旅日記Vol.6
グラナダはあの日、真夏の日差しに覆われていた。
40度を超える気温。湿度が極端に低い気候は、日本の夏からすれば、ずいぶん過ごしやすい。でも、直射日光は尋常ではない強さで、皮膚を焼き続ける。
グラナダへは、サラマンカという街での語学研修後に向かった。グラナダ滞在初日はスペインサッカーリーグの開幕にあたり、街は多少ざわついていた気がするが、その記憶は、あの暑さの中、朦朧とした感覚の中で、儚く点灯している。
あのシーズン。
イタリアのFWビエリが1シーズンだけ、アトレティコマドリーに在籍していた。ブラジルのテクニシャン、ジュニーニョもチームメイト。サッカー好きにはたまらないチームだった。レアルマドリーにはスーケルにミヤトビッチ、バルセロナにはグアルディオラ、ルイス・エンリケ、、そんな時代。
暑い日差しに覆われた南ヨーロッパの歴史ある街グラナダ。その翌日。
時間や日時は正確ではないかもしれないが、開幕戦で盛り上がった翌日だったろうか、サッカーとは違うざわつきがホテルのフロアを支配していた。
テレビが緊急事態を告げている。スペイン語を完全に習熟していない若者にも何かが起きたことは一目瞭然だった。
交通事故、パリ、そしてプリンセッサ・ディアナ(プリンセスダイアナのスペイン語発音)。
その日もグラナダは眩暈がするほど暑く、アルハンブラ宮殿も蜃気楼の彼方にたたずんでいるような気がして。ダイアナ妃の悲劇もまた、どこか非現実な架空の出来事のように思えたのを覚えている。
正直に言えば、ダイアナ妃のニュースをそれまで積極的には見ていなかったし、記憶には英国王室時代から十数年の空白がある。だから、一緒に乗っていた婚約者との顛末も、彼女の世界的な活動も全く知らないままだった。
しかしこの非現実な事実は、ダイアナ妃を身近にした。ニュースや新聞ではしばらく彼女のニュースで溢れていたし、若者は翌週、スペイン版TIME誌を買い求めて一時的に多くの情報に接していたからだ。
やがて。
葬儀の日が訪れた。その頃、日本に帰国していたかは、定かではないが、すでに身近なものとして感じていたせいか、この葬儀もまた、印象的なものとして記憶に残っている。
涼し気な教会らしき建物。画面はどこかモノトーンの装いである。その画面の向こうにモノトーンのエルトン・ジョンがいた。
彼は歌い始めた。「Candle in the Wind」という曲を歌い始めた。一部歌詞を変えて。
風の中にあっても、その灯(伝説)を点し続けてほしいという願いがこもった楽曲は、ダイアナ妃の追悼にはぴったりだった。まさに彼女の人生に捧げる歌詞だ。
そう、この曲は、結果的に二人の伝説的な女性に捧げられることになったのだ。
一人は、マリリン・モンロー(本名:ノーマ・ジーン)
そしてもう一人は、ダイアナ妃
エルトン・ジョンは、ダイアナ妃に捧げるため、歌詞の「ノーマ・ジーン」の部分を「England Rose」に変えて歌った。
モノトーンの冷気すら漂うような教会の中に、その楽曲は流れていく。
その夏は、この曲で終わった。
今も、この曲のことを思い出す時がある。そんなときは、あの焼けるような太陽の体感とともに、暑かった1997年のグラナダの風景が思い出されるのだ。
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