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ARB(石橋凌さんのバンド)との出会いと気づき ~ 80・90年代日本音楽史「拾遺」Vol.7

1998年

就活の世界に有史以来、初めてかもしれない氷河期が訪れていた。青年はその渦中にあった。ただ、氷河期と言われても、氷河期じゃなかった時代を体験していないので、さほどの実感はなかった。

振り返ってみると、大学4年で就職が決まらず、「どうしたもんかなー」というモラトリアムの時期があったので、影響を受けていたとはいえるのだが。

*そのあたりの顛末は↓に書いている。

1999年

周辺ではミレニアムが話題になり、懐かしのノストラダムスの予言などもTVでよく見るようになっていた。青年は大学卒業後の新しい人生を歩もうとしていた。生来の気楽さ故か、就職は決まっていなかったが、それについて悩みまくる日々を送っていたということはなく、大学の就職課に通い、ゼミの先生との語らう日々だった(時間だけはあったので、毎日のように教授ルームにお邪魔して、お話をしていた。)。

その日々で青年は、「その後の人生の礎となる大きな学びを得た」かと言えばそんなことはなく。ただただ、気ままな、いわば高等遊民のような日々を送っていた。

振り返ってみると、その時、「自分が一体何を感じているのか」ということに、とても鈍感だったのだが。

1999年夏

青年は彷徨っていた。人生を彷徨っていた。彷徨っていることに気が付かないまま、暑い夏のある日、横浜関内にあったCDショップに足を向けた。

とあるポスターが目についた。モノクローム(一部、赤もあった記憶が)。頭に戦闘機乗りがするような大きなゴーグルをはめている。マイクを持っているからボーカルであろうその人物の雰囲気に何事かを感じた。「なんだろうこれは。バンドか?」

青年は、当時、日本のロックバンドは数多く聞いた経験があった。それなりに音楽の歴史の知識もあった。

たとえば、

80年代の欧州パンクニューウェーブの流れの果てに氷室京介らのBOØWYがいたし、70年代のアメリカ南部ロックをそのままパッケージしたかのようなRCサクセション、80年代に米国に飛び火したニューウェーブの流れを汲んだレベッカがいた。
この3つのバンドは80年代が終わり、90年代の訪れとともに、その活動に終止符を打った。80年代の終わりは伝説の3バンドの終焉ともに始まったのだ。

90年は、80年代初期のパンクを現代に再構築したブルーハーツ、70年代~80年代のヘヴィメタルを純粋に受け継いだX JAPANらが牽引していた。

そこに70年代英国ブルーズロックの系譜のイエローモンキーや、これらすべてのジャンルをその身体に内包したような椎名林檎が登場し、さらに活性化の兆しを見せていた。

その派生で、バクチクを始祖として、グレイ、ルナシーなどのいわゆるビジュアル系と呼ばれるバンドが出てきたし、ブルーハーツの系譜の果てにメロコアが出てくるわけだ。

このように日本ロックと向き合ってきたのだが、このポスターのバンドは知らなかった。

ARB

と書いてある。

傍らには、テニススタイルに身を包んだメンバーが映ったジャケット(アルバム)が平積みになっている。そして、店内モニターからは「反逆のブルースを歌え」という言葉が流れていた。

硬派。矢沢、キャロルとは違う硬派路線のように見えた。ジギーやジュンスカとも違う。ブルーハーツにやや近い音色。そんな風にも聞こえた。

目を落とすと、ベストアルバムらしき「BALLADS AND WORK SONGS」が目についた。店頭POPには「神に唾を吐き続けた男、、、」などと書いてある。

青年はこのARBなるバンドに興味を持った。引き付ける何かがあったのだろう。それが何かは分からない。直観、天啓。そういう種別のものだったのかもしれない。

そして、「BALLADS AND WORK SONGS」を購入した。


結論

結論から書く。

このアルバムを聴いて、青年は自分が孤独だったことに気が付いた。それに気が付かないふりをしていた。

大学時代の友人は月~金は満員電車に揺られている。それは自分とは違う世界の出来事のように思えていた。

月~金の朝。青年は孤独を感じることを潔しとしていなかった。だから大学の教授の部屋に向かっていた。そんなことに気が付いた。

気が付かされた。

さらに結論を続けると、おそらくこの気づきが、翌年入社することになる社会的理念の素晴らしい会社(今で言うSDGsの先取りを事業展開していた会社)との出会いにつながったのだと、今でも思っている。

暑いときには熱い食べ物が良いように、悲しいときは悲しいバラードが良いように、心がざわついていて本当の自分がわからなくなっているときには「ダイレクトなメッセージ」を乗せた音楽が必要だったのだ。

1999年夏自宅

ARBというバンド名が何のことかも知らないまま、CDを聞きはじめる。

1曲目「AFTER'45」。

ライブバージョン。ピアノで始まる。引き込まれる。

「悲しみを拭い去れずに夜の川を渡る」。青年は、悲しみを孤独と置き換えて聞いていた。

1945-6年は両親が生まれた年。そんなことも頭をよぎる。「雨がやめばすべてうまくいくさ」。今は人生の雨の時期。雨はいずれ止む。そんなことも考えていた。

「灰色の水曜日」

キーボード?ピアノ?主体の楽曲。この手の楽曲に弱いのだが、「夢に生きていたころを思い出して」というくだりで、何のための大学に入ったんだっけ?なんてことを考えていた。ぼんやりと。

「Just a 16」

思春期を歌った曲には、年齢の数字を使ったタイトルが多い。ハウンドドッグの「15の好奇心」、BOØWYの「16」、森高千里「17歳」などだが、いずれも「私は、今を生きている」という前向きなテーマ性を持っていた。

が、ARBのこの曲は違った。悲しみの歌だった。他人から見ると自分のことなんて「何も、誰も知らない」。それはそうだ。自分のことを知っているのは自分だけだ。と、その時感じたわけではなく、後付けである。が、この曲からは、孤独を感じた。

そして、このARBというバンドは尾崎豊に近いものがあるとも感じていた。彼の「15の夜」は思春期の青年の存在証明がテーマだが、ARBの「Just a 16」は生前、その存在証明が叶わなかった少女の物語だった。

ARBが身近になってきた。
初期の尾崎豊に顕著だった、大人社会、エスタブリッシュメントへの諦めとその反面としての渇望がこのバンドの根幹なのかもしれないなと感じ始めていた。

「ファクトリー」「HOLIDAY」「Heavy Days」
この辺りの楽曲は、まさにそんな大人社会に巻き込まれた若者の叫びのように聞こえていた。大学ではやりたい学問を学んだ。できることならば、会社も自分が納得のいくところを探していこう。そんなことをぼんやりと考えていた。

そして最後の曲。

「魂こがして」

アルバム収録は、ライブバージョン。ピアノ?で始まる。やはりこの展開には弱い。Xの「紅」「サイレント・ジェラシー」「Rusty Nail」など、この展開はヘヴィメタルの典型なのだ。ARBはメタルではないが、とはいえ、この静かに盛り上がる展開には弱い。

曲はこんな歌詞で始まる。
「スポットライトは孤独を映し。。」

青年は自分が孤独だったと気が付いた。さみしかったんだと気が付いた。このフレーズを聞いた瞬間このバンドは、人生の友となることが確定した。

そして今、

青年は、2000年に入社した会社にて、生粋のARBファンの上司と出会った。孤独の先に開かれた道の先にARBを語ることができる人物と、狭い会社で出会った。彼はカラオケで「ダディーズ・シューズ」を毎回歌っていた。

さらに最近、とある生粋のARBファンとも、狭い街角の居酒屋で出会った。

青年は「ストレングス・ファインダー」では「運命思考」が強く、こういう出会いは偶然ではなく必然と捉えている。

いろいろな意味での「再出発の時期だぞ!」と、狭い関内の街角で出会った在りし日の石橋凌が語りかけてくれているような。そんな心地よい予感の只中にいる。


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