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「名言との対話」11月20日。トルストイ「最上の幸福は、一年の終わりにおいて、年頭における自己よりも、よりよくなったと感ずることである」

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ: Лев Николаевич Толстой [ˈlʲef nʲɪkɐˈla(j)ɪvʲɪtɕ tɐlˈstoj]  ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシア小説家思想家で、 19世紀ロシア文学を代表する文豪

1865年から69年にかけて「戦争と平和」を発表、この時37歳から41歳。そして1873年から77年にかけて雑誌の連載として「アンナ・カレーニナ」を書く。この時のトルストイは40代半ばから後半にかけてだ。この小説の舞台は1874年から始まる。トルストイの生きた帝政ロシアの末期が舞台として設定されている。

戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」なはの世界的名作である。トルストイは私有財産を否定し、非戦論・非暴力を信条とした作家で、今なお世界に大きな影響を与えている。

この文豪にしてもスランプで精神が不安定な状態も長く続いている。文豪トルストイは34歳で結婚し13人の子供を設けた。その妻とは80歳を過ぎて妻と不和になり家出をしている。「幸福な家庭はすべて互いに似通ったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」(トルストイ「アンナカレーニナ」)。

健康には関心が高く、乗馬、テニスを好んだ。ピアノが上手であり、好きな作曲家はショパンだった。

トルストイは近代日本のインテリに人気が高い。歴史家・徳富蘇峰。文豪・徳富蘆花。布施辰治弁護士。高校生詩人・山田かまち。陶芸家の加藤唐九郎武者小路実篤など白樺派の面々。また岩波文化人を育てた岩波茂雄。文芸評論の小林秀雄。、、、、。私の知ってるだけでもこのような人たちが心酔している。

少し詳しく紹介してみよう。

  • 「幸福の姿は一つだが、不幸の形はさまざまだ」、とトルストイはいった。(山田風太郎『人間臨終図鑑』)

  • トルストイ「他人の罪は目の前にあるが、自分の罪は背後にある」(辻信太郎『みんなのた坊の哲人訓』(株式会社サンリオ)

  • 徳富蘇峰は34歳から13ヶ月の欧米漫遊ではトルストイにも会っている。日清戦争直後であり、欧米は軍国主義であった。この影響を受けて帰国後は国権主義に転向した。

  • 徳富蘆花は巡礼紀行を終えてトルストイのすすめる農業生活に入る、そして最後は美的百姓で終わる。すべてが本物ではなく、真似であったというのが人生の総括だったのだろうか。1906年(39歳)にはトルストイ邸に5日間滞在し、農業生活をすすめられている。晩年のトルストイと一緒に馬車に乗った貴重な写真もある。「君は農業をして生活できないか」と助言を受けている。蘆花は「世を照らす光はこれと人知るや 翁が窓のともし火のかげ」との歌も詠んでいる。

  • 1914年、舞台『復活』(トルストイ原作)が」評判をとった。須磨子の劇中歌、「カチューシャかわいや わかれのつらさ」で始まる「カチューシャの唄」が大ヒットした。

  • 岩波茂雄は若いときからトルストイを尊敬していた。岩波新書創刊の辞。「、、武力日本と相並んで文化日本を世界に躍進せしむべく努力せねばならぬことを痛感する。、、現代人の現代的教養を目的として岩波新書を刊行せんとする。、、、躍進日本の要求する新知識を提供し、岩波文庫の古典的知識と相俟って大国民としての教養に遺憾なきを期せんとするに外ならない。、、古今を貫く原理と東西に通ずる道念によってのみ東洋民族の先覚者としての大使命は果たされるであろう。、、」

  • 小林秀雄:若い人々から、何を読んだらいいかと訊ねられると、僕はいつもトルストイを読み給えと答える。

  • 武者小路実篤新しき村東京支部にあてた葉書には「トルストイは矢張り好きです。愛しています」という記述がみえる。

  • 加藤唐九郎「大家といわれる人たちは、年取るほど作品が若くなってくる。ゲーテ然り、トルストイ然り。」

2013年に映画「アンナ・カレーニナ」を観た。「戦争と平和」と並ぶトルストイの名作の映画。映画としては舞台仕立てでよく工夫されていると感心した記憶がある。

トルストイの世界的な人気は、大作の中に散りばめられた名言に共感する人が多いことも一因だろう。以下、紹介する。

・人間は、すべての可能性を自分の内に備えている。

この世における使命をまっとうせんがために、我々の仕事を明日に繰り延べることなく、あらゆる瞬間において、自己の全力を傾注して生きなければならない。

・天才とは、強烈なる忍耐者のことである。

日記とは自己との対話である。

真の賢人は、いつも快活である。

我々は刑法を活用する前に、囚人を罰する前に、こういう不幸な人間が作られていく環境そのものを絶滅するように努めねばならない。

人生の意義を探し求めようとしない者がいるならば、その人間は生きながら死んでいるのだ。

悔恨がないのは、前進がないからである。

トルストイの人道的で励まされる言葉には、影響を受ける人が多いことがよくわかる。それらの言葉の中で、私は「最上の幸福は、一年の終わりにおいて、年頭における自己よりも、よりよくなったと感ずることである」という冒頭の平凡だが、含蓄のあるこの言葉を採りたい。

確かに年頭と年末の自分を比べて、偽りなく相当の進歩があったと満足できることは、幸福感を誘う。その幸福感が薄皮を重ねるように毎年積み重なって幸福の深さを味わうことができるのだ。「真の文明人は、人生における自己の使命を、知っている人間のことである」とトルストイが言うように、使命感に裏付けられた日々の精進という幸福は最上のものだろう。


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