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【古典に触れる】 ─ 落語初心者が落語の面白さを語る話 ─

(1709文字)

先日落語を観に行ってきた(実は初めてではなく2回目)。

読者の皆さんは落語、と聞いて浮かべるものはなんだろう?

落語を観に行ったことのなかった頃の私はこんな風に考えていた。

・「難解そう…」
・「昔の話だから笑いのツボが合わなさそう…」
・「年配のかた向けで若者には合わなさそう…」
・「笑点みたいな感じ?」

どちらかというとマイナスのイメージが多かった印象。皆さん(特に落語を観たことのない人)が落語に対してどう考えているのかはわからないが、1つは共感してくれる考えがあるのではないだろうか。

そんな偏見に満ちた僕が落語を観て考えが変わった体験を綴りたい。
戦国時代を端に発する落語という芸能は現在もなお、多くの人を楽しませてやまない。そんな日本の伝統文化に、全く専門用語を使わず、ほぼ初心者の視点から切り込んでみたいと思う。

※個人の考察・主観が大いに入った記事です。客観的な視点から間違った場所があればコメントにて教えていただけると嬉しいです。

落語は古典、現代、リメイクの3つに大きく分類される?

https://www.photo-ac.com/main/detail/809739#goog_rewarded

どうやら落語の演目は3つに分けることができそうである。私が観た際はこの3つに分類できると考えた。

  1. 古典

  2. 現代

  3. 上記のミックス

おそらく、落語、というワードだと1のイメージが強いと思われがちだが、現代がテーマの話ももちろんある。さらに落語家によって同じ話でもリメイクを少し加えたりすることもあり、誰一人として同一にはにならないそうだ。

古典

一番とっつきにくそう、難解そうなイメージだが、そんな心配は全くなかった。設定はもちろん江戸時代を思わせるような、奉公人の話・町人が主に登場する話が多いが、平易な言葉で語られる。

現代

文字通り、内容が現代の話である。
時にはディスりを入れながらも現在の諸問題やトレンドに鋭く切り込み、和装の落語家さんの姿から語られる意外性にも面白みを感じる。
柳家喬太郎師匠がうまいのなんの)

上記のミックス

設定は古典を継承しながらも共存するはずのない現代の文物や価値観を反映した古典のリメイク作品のようなものがこれに当たる。伝統のような、決められた型にはまるわけではなく、常識破りといった言葉が合うように思われる。

古典と現在、伝統とトレンドの「面白み」を話し分ける落語家さんの凄さがよく分かる。


徹底的にオプションを削ぎ落とした「洗練された面白み」 

https://www.photo-ac.com/main/detail/23272728#goog_rewarded

現代のエンターテイメントは、顧客の五感全て(特に視覚)を使わせたり、目まぐるしく変化する情報を浴びせかけることで面白さを生み出しているように思われる。確かに、人間はどちらかというと目に見える大胆な変化を好む傾向があるのは間違いないだろう。しかし、この観点からは、落語は上記のそれとは対極に位置したものだと考える。

席から舞台を見る聴衆はどんな体験をしているのだろうか。

舞台にいるのは、ひとり。
聴衆の意識は舞台の上、
座布団1枚の上に正座した落語家の一挙手一投足、
口から語られる一語一語に集中する …

視覚的な情報量・変化は比較的少ない。しかし、そこには、うまく言語化できない「洗練された面白さ」があった。

観客に配慮した間の取り方、登場人物に扮した身振り・手振り、言葉選びや平易な口調、とても1人で語っているようには見えない人物の語り分け。

さらに1人で語っているからこそ、聴衆がどの登場人物が話しているのか・どんな人物が話しているかも欺くことができる。このように、情報量が少ないことを逆手にとって、意図的に聴衆の認識を欺くことから生まれる意外性のようなものをうまく利用しているのではないだろうか。

そこには、「古い・時代遅れ」といったものはなんら感じさせない、オプションを削ぎ落とした「洗練された面白み」、普遍的な笑いの力のようなものを感じ取ることができた。

最後に

古典に触れてその価値を再発見してみる。

ぜひ長期休みは寄席に出かけてみてはいかがだろうか。

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