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【中編】文系と理系の歴史

隠岐さや香さんの書籍、『文系と理系はなぜ分かれたのか』の読書感想文の中編になります。

前編は以下から覗いて見てください!

中編の今回は、日本の近代化と文系理系を覗いてみる。

江戸〜

遡ること江戸時代前半までには、いわゆる西洋諸国で勃興したような自然科学分野という概念は存在せず、学問は朱子学などの儒学などが主流だった。
鎖国体制を敷き、中国から輸入した学問でこと足りていたこともあり、学問は生きるために思想や原理を指す、「道」を追求するものが主流で、実務を扱う「術」と呼ばれた学問は低い扱いを受けていた。

8代将軍徳川吉宗は、洋書の漢訳書の輸入を解禁したことで、オランダを介して西洋の文物が日本に入ってくるようになり、「蘭学」や「洋学」という名で自然科学的な学問が発展した。中国とは対照的なのは、一部のエリートのみに広まったのではなく、一般庶民層にも広く西洋の文化が伝わった点である。

始めは西洋の文物の視覚的な面白さによって広まっていた蘭学や洋学だが、時が経つにつれてその実用性などが重視され始めた。列強諸国の中国進出が日本で大きな危機感を呼び、啓蒙思想の輸入も相まって、従来の中国の思想中心の考え方が変わっていくことになる。日本は良くも悪くも分権的な体制だったため、各藩が独自に西洋の武器などを輸入して実験をしたりするなどができたことがその後の発展の速さにつながった。

明治〜第二次世界大戦

明治時代になると学制が交付されて公的な教育機関が誕生した。まだ明確な文理の区別は存在しなかったが、殖産興業の考え方により次第に実学的な理系の学問が体系化され、次第に文理の区別ができていった。官僚制度において、文系の人材は長官を務めるのに対し、理工系の人材は補佐官止まりなどの区別が現れ始めたのだ。

その後の1910年代に、第二次高等学校令で文系と理系が分かれるという文言が発されてこれが現在に続く文理の元となった。

その後戦争が近づくにつれて、国家の都合の悪い思想や研究をする大学教授が職を追われるなど学問の統制が強まりつつある中で、文系よりも、兵器研究など戦争で使える技術を生み出す理系を優先する動きが高まった。実際に、学徒出陣では文系学生がまず戦場に駆り出される結果となった。

戦後、そして現在

戦争の敗北は、日本人にとって大きな転換期だったが、学問に対する価値観は連続性を持っていた。富国や実用性といったものが重視された結果、科学技術の重要性が叫ばれ、何人もノーベル賞を輩出する国にまで成長した。

そして、現在も変わらず理系教育の重要性のみが叫ばれ続けている。実際自分の経験的にもそのように感じる。しかし、それに対して人文・社会科学系の学生は少ない上に、大きく取り上げられることはない。

日本の理系教育は遅れていると言われているが果たして理系ばかりにフォーカスしていてもいいのだろうか。わたしたちが取り組む歴史などの人文学系の学問は必要ないのだろうか。

答えはNoだと考える。実用性・お金になるかを主たる物差しにして学問の優位性を測ろうとする考え方のままでいいのか、と疑問符が残る。

終わりに

日本の近代化と文理の概念が作られる過程を見てきた。
今の考えは現在のみに存在する概念ではなく、連続的に続いてきたものであることを忘れてはならないと感じた。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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