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読書という営み

 近年、電子書籍が普及しつつある。場所を取らず、部屋も散らからない。旅先では大量の本をタブレット一つでどこへでも手軽に持ち歩ける。言ってみれば、無尽蔵の本棚へとつながるポケットサイズの魔法である。そんな電子書籍はどこか、22世紀に開発が待望される動物型ロボットの不思議なポッケを思い起こさせる。

彼が日の目を見る時代は来るのだろうか

 そんな現代にあっても私は紙の書籍を支持する。寝る前に紙のページをめくる静かな時間が好きだし、本が大量にある空間は物理的に守られている気がして居心地が良い。ジブリ映画「ハウルの動く城」のハウルはハンサムなカリスマ魔法使いだが、部屋は汚い。かなり汚い。しかしそれにはきちんと理由があって、散らかった家具や日用品、ゴミの一つ一つが魔女を避ける魔除けなのである。私に取っての本に囲まれた空間はハウルの部屋そのものである。

掃除婦ソフィーばあさん(「ハウルの動く城」より)

 それに紙の本のページをめくる静謐な時間は何物にも代え難い。過去を生きた膨大な先人たちの創作と思索に思いを馳せることができる読書だが、過去の歴史を示す多くの史料は文献である。紙に書かれた文章から歴史家はパズルを組み合わせるようにして、歴史学を押し進めてきた。つまり、何らかの文章は紙に書かれ、保存されなければ、時の流れに葬り去られるのである。

写本を作成する中世ヨーロッパの修道士

 500年後の歴史家たちによる「2020年代の歴史」を紡ぐ史料となり得るのは、noteに残された素晴らしい記事の数々ではなく、極めて個人的で一貫性のない私の昨年の日記帳である。
 紙の本は間違いなく、電子書籍よりも伝達可能な形で未来へと残る。ワンピースの世界のポーネグリフのように。(ワンピース見たことない方申し訳ありません)そんな時間の制約に囚われない、貧窮問答歌に記された名もなき農民たちの苦悩から、偉大な作家の傑作からなる、無尽蔵で壮大な世界の存在を、私は紙の本からは感じるのである。今後記事が増えていったら、プリントアウトして手元に残しておこうと思う。頼むぞ未来の歴史家たち。

 筆の進むままに書いていたら、書きたかったこととは別のことを書いていた。下書きに溜まったテーマの数々と向き合いながらのんびりと記事を書き残していきたい。

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