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これからの経営私論 ~あなたの「経」と「営」は何?~

「経営」(けいえい)という言葉があります。
「経営」者・会社「経営」・「経営」理念…!
特に、ビジネスにおいてよく使われる。

さて、読者の皆様におかれましては、
「経営」という言葉を
どんなニュアンスで使っていますか?

「そりゃあ、儲かるか、儲からないか?
利益が出るか、出ないか?
そういう意味。大事なことですよね?」

…確かに、経営にはそんな意味合いが強い。
よく言われるのは、
経営=「経理」と「営業」という捉え方です。

◆経理:お金を扱うこと
◆営業:お金を得ること


経営と「お金」は不可分のように思われる。

…ただ、本当にそうなのか?
少し立ち止まって考えてもいい。
本記事では「経営」という言葉の
語源と解釈の変遷について書いてみます。

※なお、私は「企業の経営者」でも
なんでもありませんが、被雇用者として
様々な会社の「経営」を受けてきた
「被経営のベテラン」でもあります。

もともとは、仏教用語だったそうです。
漢字からいきましょう。

『経』とは、けい、と読みますが
きょう、とも読む。
「お経」のきょうです。
元々は布地や織物の経糸、つまり「縦糸」。
布の縦には糸が通っています。
だから布地はばらけないんです。

◆なくてはならないもの
◆変えてはいけないもの

ここから、時が経っても
変えてはいけない教え、心をまとめるもの、
すなわち「お経」、そんな意味が生まれました。

一方の『営』は「横糸」を指します。

営む、いとなむ、とも読む。
生活や活動、そんな意味がありますよね。

「営々」という言葉がありますが、
休まず仕事に励む様子、また、
足しげく往来する、そんな意味の言葉です。

…ピンと来ましたでしょうか?
つまり「営」とは。

◆状況に合わせて変えていくもの
◆自分から変えなければいけないもの

社会情勢に合わせ、臨機応変に
対応することを指す言葉…。

では、この二つの漢字が合わさった
仏教用語の『経営』はどんな意味なのか?

◆「自分自身をどう活かして生きていくのか」

仏教は、自分の軸、心の在り様を考え、
世の中で行動していくもの。すなわち経営は、
「自己を」経営する、という意味合いだった!

◆『経』:自分の軸、変えていけないもの
◆『営』:他者との関わりで変えて合わせるもの

これらを見つめて、理解し、
自分から日々行動していく…、
これがすなわち『経営』だったのです。

ただ、時代が下るにつれて、
例えば寺で大規模な法要、イベントを行う時に、
その運営が円滑にいくように取り組むことを
「経営」と呼ぶようになります。


この意味が後に経済用語に取り入れられ、
今のような「企業活動」のニュアンスで
「経営」という言葉が使われ始めた…。


「個人の行動」をあらわしていた言葉が、
主に「組織の行動」を指すようになった。
そんな経緯があります。

さて、ここで書籍を紹介しましょう。
『世界は経営でできている』
岩尾俊兵さん。講談社現代新書。
下記のリンクからぜひ!

(ここから引用)

『仕事から家庭、恋愛、勉強、
老後、科学、歴史まで、
人生がうまくいかないのには理由があった!
一見経営と無関係なことに
経営を見出すことで、
世界の見方がガラリと変わる!
東大初の経営学博士が明かす
「一生モノの思考法」』

(引用終わり)

…刺激的な文言の紹介文が
並んでおりますけれども、
岩尾さんは、こう主張されています。

(ここから引用)

1 本当は誰もが人生を経営しているのに
それに気付く人は少ない。
2 誤った経営概念によって人生に
不条理と不合理がもたらされ続けている。
3 誰もが本来の経営概念に立ち返らないと
個人も社会も豊かになれない。


「結論を先取りすれば、
本来の経営は『価値創造
(=他者と自分を同時に幸せにすること)
という究極の目的に向かい、中間目標と
手段の本質・意義・有効性を問い直し、
究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、
豊かな共同体を創り上げること』だ。

この経営概念の下では
誰もが人生を経営する当事者となる。
幸せを求めない人間も、
生まれてから死ぬまで一切他者と
関わらない人間も存在しないからだ。

他者から何かを奪って
自分だけが幸せになることも、
自分を疲弊させながら他者のために生きるのも、
どちらも間違いである。

『倫』理的な間違いではなく
『論』理的な間違いだ』

(引用終わり)

…読者の皆様は、どう思われますか?

私は、なるほど、と思う反面、
そう言っても「お金」を考えずして
「経営」にはならないじゃないか!
とも感じました。
経営は、お金と不可分。
たとえ組織であっても個人であっても…と。

…しかし、よく考えてみますと、
経営=お金「だけ」でもありませんよね。
元々は仏教用語です。

◆「経営」=「経理」と「営業」
◆経理:お金を扱うこと
◆営業:お金を得ること

経営のことをこう捉えること「自体」が、
最近までのデフレの日本社会、
停滞する社会の影響
なのではないか?

バブル経済の頃は「ガンガンいこうぜ」。
インフレで、価格はうなぎ上り。
皆にまだ余裕があったように思います。

しかしバブルが崩壊しますと一転、
デフレ、安くしても売る、縮小傾向。
デッドオアライブのような環境になりました。

このような余裕のない世の中では
「お金は天下の回りもの」と
悠長に構えることが少なくなる。
お金が無くなれば倒産です。
利益は、戦って手に入れるもの、
「パイの奪い合い」という状況になりがち。
レッドオーシャン、血みどろの戦い…。

自然と、企業の「経営」は、
金銭、利益、目標、数字、などに
追われるものだ!と捉えられてきた
のです。

しかし本来の『経営』の意味を考えた時、
必ずしも、経営=お金「だけ」ではない…。

2023年の後半から、デフレから徐々に
インフレの環境に代わっていますよね。
「奪い合い」「敵をつくる」ことが
必ずしも「経営」にはそぐわなくなっている。


(もちろんお金は非常に大事ですし、
奪い合いの側面はまだ強いのですが…)

最後に、まとめます。

本記事では「経営」の語源と、
その解釈の変遷を追ってきました。

では、これからの「経営」は
どう捉えていくと良いのか?
私は、次のように提案します。
あくまで私の解釈です。

◆「経営」=「経験」×「営繕」
◆「経」験:これまで生きてきた生き様のすべて
◆「営」繕:これから新築したり改築したりする

過去を踏まえ、未来を見据えつつ、
現在を柔軟に力強く生きていくこと。
お金を「奪い合う」のではなく他者を認め、
WIN・WINで「お互いに」
他者と自分を「同時に」幸せにすること。

これからの「経営」には
そんな側面がより必要になると思うのです。
読者の皆様は、どう思われますか?

皆様の人生の「経」と「営」は、どうですか?
人生をどう「経営」しますか?

※書籍『世界は経営でできている』もぜひ。

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