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北アメリカ大陸のカナダの東部には
「ケベック州」が広がっています。

州都は、ケベック・シティ。
最大の都市は、モントリオール!
人口約176万人の大都市で、
カナダで二番目に人口の多い街です。

カナダと言えば、元々はイギリスの自治領。
イギリスの植民地だったから英語、
というイメージが強いのですが、
ケベック州における公用語は「フランス語」。
カナダ全体でも、国民は
幼少期からフランス語も学んでおり、
多方面でフランス語を使用しています。

少し、視点を南に動かします。

アメリカ合衆国の州の一つ「ルイジアナ州」
メキシコ湾に面する南部の州の一つ。
カルビーのポテトチップスで
その名は日本でも有名になりました。

ただし、実は昔の「ルイジアナ」は
現在のルイジアナ州よりもっと広くて、
アメリカ中西部のほとんどを含む
広大な地域を指していた。

北は五大湖から、南はメキシコ湾まで!

名前の由来は「ルイ」という王様から。
…フランスの「太陽王」こと
ルイ14世に献上された土地だったんです。

カナダのケベック州。
アメリカのルイジアナ州。
北と南、かなり離れた土地に残る
「フランス」の文化と歴史…?


実はそこには、北アメリ大陸における
フランスの植民地、
「ヌーベルフランス」の歴史があります。
さらに言えばその下には、
先住民(ネイティブアメリカン)の歴史。
その上にイギリス植民地の歴史があり、
現在のカナダやアメリカの歴史がある…。

本記事では、ヌーベルフランスの歴史を、
取捨選択して書いてみましょう。

そもそも南北アメリカ大陸は、
1492年:イヨクニ燃えるコロンブスに
代表される「大航海時代」
ヨーロッパに「発見」されました。
(最初からそこにはあったのですが…)

ざっくりと言えば、
「西暦1500年」くらいから
アメリカ合衆国が西に拡大していき
フロンティアが消滅する1890年、
「西暦1900年」くらいまでの
約400年間、取った取られたの
熾烈な戦いが繰り広げられていくんです。

現在の世界地図を思い浮かべますと、
北米は、カナダとアメリカ合衆国、
中米は、メキシコやキューバなど、
南米は、ブラジルやアルゼンチンなど。
そんなイメージがあるかもしれません。

ただ、この「国境」が確立するまでには、
たくさんの植民地や戦争・独立が入り乱れ、
目まぐるしく変わっていく…。


順番に行きましょうか。

「大航海時代」の最初の主役は
スペインとポルトガルでした。

西で「新大陸」を発見、植民地を広げる。
東にも進んで、インド、東南アジア、
中国、日本にもやってきて、
鉄砲やキリスト教を伝えた。

スペインは強い。繁栄を誇っていた
アステカ帝国とインカ帝国を滅亡させ、
「ヌエバ・エスパーニャ」
(ニュー・スペイン)
という植民地を建設。
さらには太平洋を渡り、東南アジアの
「フィリピン」まで獲得していきます。
(当時の王太子フェリペの名にちなみます)

ただ、相次ぐ戦争と浪費で16世紀末には
本国スペインとポルトガルは没落…。
代わって17世紀前半に覇権を握ったのは
スペインから独立したオランダでした。
東南アジアに広大な植民地を建設。
(これが現在のインドネシア)

ただ、このオランダも徐々に
覇権を奪われていきます。どこに?
オランダに「英蘭戦争」で打撃を与え、
徐々に力をつけてきたイギリス。そして、
最強の太陽王ルイ14世が率いるフランスです。

17世紀までの流れは、こんな感じ。

◆16世紀全体:スペインとポルトガル無双
◆17世紀前半:新しい勢力オランダの覇権
◆17世紀後半:イギリスとフランスが台頭

この頃のアメリカ大陸を見ますと、

◎北米東海岸:イギリス
◎北米東北~中南部:フランス
◎北米西海岸:スペイン
◎南米:スペイン&ポルトガル

…そう、この頃はイギリスの植民地は
さほどでもなかったんです。広くない。
それがどんどん拡大していき、
同じく拡大してきたフランスと対決する!

フランスの「ヌーベルフランス」とは、
「ニューフランス」の意味です。
スペインのヌエバ・エスパーニャと同じ。

そもそもは1534年、フランス出身の
ジャック・カルティエという航海士が
北米を探検したことから始まります。
「赤毛のアン」で有名な
プリンス・エドワード島などを「発見」。
セントローレンス湾あたりを
「ヌーベル・フランス」と名付け、
フランスのものだ!と宣言するんです。

ただ、カナダって、寒いですよね。
先住民も多くて、すぐには支配できない。
しかしそのうち、このあたりに
ある動物がたくさんいることに気付いた。

ビーバーです。いい毛皮が採れるんです。
高く売れる。商人たちがやってくる。
宣教師たちもやってきて、
カトリックのキリスト教が広まる。
ケベックやモントリオールも少しずつ発展。

特に発展したのは17世紀のルイ14世の治世。
男性が多く、女性が少ない。
これでは人口が増えないと気付いた国王は、
国庫からお金を出して「国王の娘」と呼ばれる
独身女性を700人以上も送り出したのです。

ヌーベルフランスは拡大していきます。
1682年にはラ・サールという探検家が
ミシシッピ川、南のメキシコ湾にまで進出!
広大な「ルイジアナ」を作り出したのでした。

ただ、この頃にはイギリスも
北米の東海岸の植民地を拡大していきます。
ぶつかるんですよ。
「第二次百年戦争」とも呼ばれる
長い長い植民地戦争の始まり!

…長いので、結果だけ書きます。
イギリス側の勝利に終わりました。

1763年に結ばれたパリ条約。
フランスは、ケベックなどカナダの領土、
ミシシッピ以東のルイジアナを
イギリスに譲り渡します。
西のほうのルイジアナはスペインに渡す。
いわゆる「大英帝国」の幕開けです。

…正直、この頃にはフランスの王政にも
限界が近づいていたんです。
1789年、フランス革命!

ただし、じきにイギリスも分裂します。
1776年、アメリカ独立!

見方を変えると、北米での長い長い争いが
両国に無理をさせ、税も増え、結果として
革命や独立が起きた
と言えるかもしれません。

こうして「ヌーベルフランス」は、
歴史の舞台から去ることになったのです。

ちなみに、西部のルイジアナはスペインから
ナポレオンのフランスに返却されて、
1803年にはアメリカに売却されています。
イギリスが大英帝国として繁栄している間に、
アメリカは西のフロンティアを開拓。
ついには1890年、西海岸まで到達し、
次の時代の覇権をうかがうのでした。


最後に、まとめます。

本記事では「ヌーベルフランス」の
歴史を中心に追っていきました。
ケベック州やルイジアナ州には、今でも
フランスの文化が色濃く残っています。


一見、不思議に思える事柄も、
歴史と地理を探ってみれば
意外な経緯が明らかになるもの。

読者の皆様もぜひ、
ご自身の興味のある地域の
歴史と地理を探ってみて下さい!

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