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『ジッグラト・スペアリブ』モデルという
立ち位置の確認用のモデルを提案し、投稿しました↓

最初は、「会社・仕事」にあてはめてみた↓

次に、「家庭(環境)」にあてはめてみた↓

人間の組み合わせというのは無限で、
かつ移り変わっていくものですから、
自身がどのような環境にあるのか、
立ち位置はどのようなものなのかを
メタ的に客観的に把握しておくことは
とても大事
だと思うのです。

というわけで今回は、実用地歴提案会らしく
「地理」の面、このモデルを
「地域(社会)」にあてはめてみます。

≪『ジッグラト・スペアリブ』モデルの概要≫

◆縦軸と横軸により、四つの象限に分ける
◆縦軸は柔軟的(ジグソー)か固定的(ピラミッド)か
◆横軸は標準的(スペア)か属人的(アドリブ)か
◆「環境」と「仕事」で、四つの象限の立ち位置分析

①「ジグソー」な環境で「スペア」の仕事
→柔軟的な環境で、標準化された仕事を行う
②「ジグソー」な環境で「アドリブ」の仕事
→柔軟的な環境で、属人化された仕事を行う
③「ピラミッド」な環境で「アドリブ」の仕事
→固定的な環境で、属人化された仕事を行う
④「ピラミッド」な環境で「スペア」の仕事
→固定的な環境で、標準化された仕事を行う

これが、モデルの概要。
これを「地域(社会)」版にすると…?

①「ジグソー」な環境で「スペア」の役割
→柔軟的な地域社会で、標準化された役割を担う
②「ジグソー」な環境で「アドリブ」の役割
→柔軟的な地域社会で、属人化された役割を担う
③「ピラミッド」な環境で「アドリブ」の役割
→固定的な地域社会で、属人化された役割を担う
④「ピラミッド」な環境で「スペア」の役割
→固定的な地域社会で、標準化された役割を担う

さあ「想像」していただければ幸いです。
読者自身、皆様はいま、
①②③④どの象限にいるでしょうか?

…わかりやすくするために、
補足で説明していきましょう。

≪柔軟的な地域社会/固定的な地域社会≫

人が出たり入ったりで流動が激しく、
かつ色々な人や商売が目白押し、
フラットで刺激的な地域、が
「柔軟的な地域社会」です。

ぱっと思い浮かぶのは、
東京、とか、ニューヨーク、パリ、などの
「大都会」
ですね。

その逆、人口がそもそも少なく、
入れ替えのほとんどない固定メンバー、
ほぼ固定した土地で農業に従事していて
「ここは21世紀?」と
疑われそうな古色蒼然とした地域、が
「固定的な地域社会」です。

ぱっと思い浮かぶのは、
人里離れた秘境、限界に近い集落、
どちらかというと「田舎」、
そういった農村風景
、ですよね。

ただ、深掘りしておきますと、
どちらが良い悪い、ではない。
都会だから柔軟、田舎だから固定、
というわけでもない。

一見、都会、自由な空気に見えても、
そこを「支配」している「顔役」たちが
古色蒼然とした閉鎖的な考えの持ち主で、
「伝統」を振りかざしてガチガチな雰囲気…。
これは「固定的」ですよね。

一見、農村、不自由に見えても、
柔軟な考えを持った人が移住してきて
人の出入りも頻繁で
フリーダムに創作活動などを行っている…。
こういう地域社会ならいくら「田舎」でも
「柔軟的」だと言えるでしょう。

そうなんです、
必ずしも都会だから、田舎だから、とは
言い切れない部分がある。
ましてや情報爆発の現代では、
ネットやSNSを通して、
いくらでも情報網・流通網がありますし。

≪標準化された役割/属人的な役割≫

そのような地域社会の中で、
どんな「役割」を負っているのか?

これは「地域社会のコミュニティ」、
共同体の強さ、束縛、そういったものにも
左右されます。


イメージしやすいのは「回覧板」でしょうか?
先進的な大都会では想像できない
かもしれませんけれども、
いまだに「アナログな回覧板」が
情報共有の大きな役割を担っているところもある。

「町内会(自治会)」などもあります。
地域清掃、お祭りの運営、市民運動会…。
そういったものに「駆り出される」ことも
あったりします。
もちろん都会であっても祭りはあるので
そこでは役割が「束縛」されているかもしれない。

特に子どもがいる場合は
「子ども会」などに強制参加、
組み込まれることもあるでしょう。
大きくなったら「青年団」「消防団」
入ることも、ある。

中世のドイツには『都市の空気は自由にする』
ということわざがありまして。

ある意味で「閉鎖的」「強制的」「袋小路」的な
空気を嫌がって、都市に出てきて、
「市民」として自由に過ごす、なんてのは
古今東西、変わらないわけです。

それらに対して、自由なアドリブで
属人的な活動・役割を担っているかどうか?
言い換えれば「個人的な活動」。縛られない。

ビジネスで言えば自由な商業活動です。
織田信長の「楽市楽座」的なもの。
自由で、弱肉強食なステージ。

「閉鎖的な社会」ではともすれば、
出る杭は打つ、新規参入にいやがらせ、
そういった負の面がありますよね。
ただし、正の面としてとらえれば
「怪しい業者が入ってこないよう
仕組みでガードして
護送船団方式でみんなで豊かになる」

という一面も、あります。

さて、あなたが今いる場所、業界では、
「役割」や「縛り」はどれほどありますか?

≪歴史的に考えます≫

日本社会は、江戸時代が長かったので、
比較的、身分の差、田畑の場所、所属する藩、
そういったものに縛られていました。

「固定的」で「代替的」な役割。
「ピラミッド」で「スペア的」な役割。
分を守って生きることが美徳とされた。

もちろん坂本龍馬的に
「脱藩」して「かんぱにい」でも作れば
ジグソーでアドリブ的な役割を
担えたでしょうけど、少数派です。

これが、明治維新でひっくり返る
福沢諭吉はこう言いましたよね。
「門閥制度は親の仇でござる」
「天は人の上に人をつくらず、
人の下に人をつくらず」、
学問をしろ! 能力を伸ばせば自由になる! と。

ということで、青雲の志をいただいた
若者たちが、東京に出てきた。
ピラミッドから、ジグソーへ。
スペアから、アドリブへ。

その傾向は今現在でも基本変わりません。
向都離村現象、都に向かい村を離れる、
地方では人口減少、自治体消滅などが
大きな問題になっている。
その根本の問題は、衰退していく地域社会が
柔軟で人を受け入れられるようなものに
なっているかどうかではないでしょうか?

≪まとめます≫

どうでしょう。
「地方創生」などの話にまで広げると
なかなかに奥深い話です。

最後に、私自身がどのように
変遷してきたかをまとめて、終わります。

④「ピラミッド」な環境で「スペア」の役割
という農村社会で生まれ育ち、
②「ジグソー」な環境で「アドリブ」の役割
という大都会、東京で働いたこともありますが、
③「ピラミッド」な環境で「アドリブ」の役割
という「地方都市」で今は活動しています。
ですが、ネット上・SNS上ではけっこうフリーダム、
②の象限にいる、と言えるかもしれません。

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