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日本よりエジプトはもっと暑い!と
思うじゃないですか。
エジプトと言えば砂漠、ピラミッド!

しかし一年中暑いのか、と言えば
そうでもないんです。
そもそも、エジプトの北のほうは
地中海、海に面していますよね…。

本記事ではエジプトの歴史と地理を。
まずは、地理からいきましょう。

…エジプト、と言っても広い。
海の近くと内陸部では気候が違う。
国土面積は約100万キロ平方メートル!
日本は約38万キロ平方メートルだから、
約三倍弱もの広さを持つ国です。

南北に流れる長い川はナイル川。
アフリカ大陸の内陸部、
ヴィクトリア湖から流れる国際河川で
全長約6,700キロメートル。
日本の南北より、ずっと長い川です。

首都はカイロ。ナイル川の下流のほう。
アスワンという街もあり、これは上流。
このカイロとアスワンの気温を見ると…。
(もちろん、年によって変わりますが)

≪8月の平均最高気温≫

◇アスワン:40.9度
◇カイロ:34.2度
◇那覇:31.5度
◇東京:30.8度

「ほら、やっぱり暑いじゃないか!」と
思いましたか?
ただし、日本ほどムシムシしていない。
湿度は低く、カラッとしている。
続いて、冬のほうも見てみましょう。

≪1月の平均平均気温≫

◇アスワン:22.9度
◇カイロ:14.0度
◇那覇:19.5度
◇東京:9.6度

…ちょっと意外とは思いませんか?
那覇より、カイロのほうが寒い。
そう、砂漠の気候は「水が少ない」ため
気温を保持する機能が少ないんです。
夏と冬、昼と夜の温度差が、激しい。

「エジプトって一年中暑いんでしょ?」

そう勘違いして、
冬のエジプトに薄着で旅行して
大変な思いをする人も多いとか…。
そもそも、カイロって鹿児島と
同じくらいの緯度ですから。

ちなみに、海に面している都市、
アレクサンドリアの平均気温はこちら!

◇8月:27.9度
◇1月:14.3度

なんか過ごしやすそう…!
地中海に面しているので、
砂漠気候+地中海性気候になるんです。
冬には、雨もけっこう降る。

エジプト=砂漠だけでは、ない。

だから農業もできます。
そもそもローマ帝国の昔は、
「穀倉地帯」として帝国本土に
小麦がどんどん運ばれていきました。
「パンとサーカス」と言われて、
ローマでは「食べ物と娯楽」が
非常に大事でしたからね。
エジプトは、そのパンの小麦の原産地。

「砂漠で小麦ですか?」

そう、実はナイル川の周りでは
農業がしっかりとできるのです。
「エジプトはナイルのたまもの」!
古代ではナイル川が定期的に氾濫し、
熱帯雨林のある上流から
栄養分を含んだ水が流れ込み、染みこむ。
ナイル川の恩恵により、
エジプトは古代から栄えてきたのです。

だからピラミッドも作ることができた…。

歴史を、ごく簡単に見ていきましょう。

古代エジプト、と言えばすぐ
ピラミッド、ツタンカーメン!
と連想されるので、彼の事績を少々。

「ファラオ」と呼ばれる王様の統治が
始まったのは、紀元前3100年頃のこと。
今から5000年ほども前の話です。
ここから、ローマ帝国の支配を受ける
紀元前30年頃まで、
ファラオの統治がずうっと行われていた。
何と「3000年ほど」も、その歴史がある。
ツタンカーメンの歴史は、そのごく一部。

ツタンカーメンの父親は
「アメンホテプ4世」という王様です。
この人、かなり強引でした。
多神教であった古代のエジプト王国を
「無理やり」一神教に変えた人です。

「アテン(アトン)という神だけ信じろ!」

首都テーベで神官たちの権力が強くなり、
それに対抗して首都を
アケトアテンに変えたと言われています。
「アテンの地平線」という意味です。
(現在のテル=エル=アマルナ)
自分の名前もアクエンアテン
(イクナートン)と改名する。徹底的!

…日本史で言えば、
寺院や僧侶たちの権力が強くなった
奈良の「平城京」から、
「長岡京」「平安京」へと
遷都したようなものでしょうか?

ただし、このアメンホテプ4世の
強引な改革は強烈な不満を引き起こします。
その後を継いだのが、ツタンカーメン。

お父さんがいた頃は
「トゥトアンクアテン」という名前。
いわば『ツタンカーテン』
アテン、信じてますよ!というスタイル。
しかしのちに「トゥトアンクアメン」、
つまり『ツタンカーメン』へと
名前を変える。

アテンの神だけを信じさせるのではなく、
アメン(元の多神教の神)でいいよ!
と名前でみんなに示したのです。

首都もアケトアテンから
メンフィスに遷都。

こうして世の中を鎮めた後、彼は
わずか16~19歳の若さで亡くなった。
悲劇の王。紀元前1300年頃の話です。

その後エジプトは、紀元前332年に
アレクサンダー大王により征服され、
「ギリシャ風の文化」が流入します。
「アクレサンドリア」
この頃に作られた都市です。

ギリシャ風、いわゆる
「ヘレニズム文化」というもの。
この歴史の延長上で、後に有名な
クレオパトラ女王が出てくる…。
そう、クレオパトラの頃は
「ギリシャ風エジプト」なんですよ。

彼女がローマに敗れて、
エジプトは帝国の一部になります。
属州の名前は「アエギュプトゥス」
これが「エジプト」の語源です。
ピラミッドの時代に
「俺たちはエジプトだ!」と
言っていたわけではない。

しかし盛者必衰と言いますか、
ローマ帝国も東西に分裂してしまい、
東ローマ帝国の一部になります。
帝国ではキリスト教が国教化され、
古代エジプトの神官たちは消滅。
寺院は教会に改築されたりする。

しかし7世紀、エジプトは
ササン朝ペルシャに占領される。
続いて、イスラム帝国に占領される。
16世紀からはイスラム教国の
オスマン帝国が支配していましたが、
徐々に強くなってきた西欧諸国の
半植民地になっていく…。

エジプト、国土が豊かでしかも
場所的にとても重要な国なので、
各国から狙われてしまうんですね。

現在の「エジプト共和国」
できるのは、第二次世界大戦後、
1953年のことでした。

最後に、まとめましょう。

本記事ではエジプトの歴史と地理の
ごく一部だけを、私なりに
取捨選択して書いてみました。

「エジプト=砂漠、暑い」
「エジプト=ピラミッド」
「エジプト=イスラム教」


それは、エジプトの
奥深い地理と歴史のほんの一部!

「日本=どこも同じ金太郎飴」
「日本=前方後円墳」
「日本=マンガとアニメとゲーム…?」


と言われるようなものです。
実際には多神教と一神教のせめぎ合いや、
ギリシャ、ペルシャの歴史もあった…。

そんな奥深いエジプトに、まだ
私は行ったことがありません。
一度行ってみたいものです。
(もちろん、暑くない冬の時期に…)

まだ行ったことのない皆様も、
ぜひエジプトの色々な一面を
調べてみてはいかがでしょう?

新鮮な驚きがあると思いますよ!

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