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『宇都宮ライトレール』が開業しました!
2023年8月26日のことです。

栃木県の県庁所在地である
宇都宮市から東へ、芳賀郡芳賀町を結ぶ
第三セクター方式の軌道。
いわゆる「路面電車」です。
新しい路面電車の路線ができるのは、
珍しい。日本では70年以上ぶり。

宇都宮と言えば、栃木県の中心です。
関東地方と東北地方を結ぶ
交通の要衝の街。人口、約五十万人。
北関東地方では、一番大きな街です。
(水戸市は約二十七万人、
前橋市は約三十三万人)

…しかしこの宇都宮市、かなりの
紆余曲折を歩んできた街でもある。
本記事ではこの街の
歴史と地理を書いていきます。

そもそも、うつのみや、とは何か?

出雲神を祀る「二荒山神社」の別名、
「宇都宮大明神」が由来だと言われます。
できたのは4世紀頃のこと。
下野国のナンバーワン、すなわち「一宮」。
(いちのみや=うつのみや説もあります)

ここで祭られている神が
豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)。
第10代天皇の崇神天皇の皇子です。
西の都から派遣され、このあたりの
「毛野(けの)」という一族を制した。
これが後に「上毛野」「下毛野」に分かれ、
「しもつけの」が「しもつけ」となり
「下野国」になったそうです(諸説あり)。

…ただ、宇都宮はずっと下野国の
中心都市だったわけではない。

西には「日光」があります。
奈良時代・平安時代には、
国府は、現在の「栃木市」に置かれた。
国分寺と国分尼寺は「下野市」に置かれる。
それぞれの土地に、勢力が割拠していた。

「宇都宮」の名前が
天下に轟いたのは中世から、です。
宇都宮を拠点にした「宇都宮氏」という
武士の一族がかなりの力を持っていく。

第3代の宇都宮朝綱(ともつな)は
「坂東一(関東一)の弓取り」として
源頼朝に褒められた。
第8代の宇都宮貞綱(さだつな)は、
「元寇の際の総大将」。
第10代の宇都宮氏綱(うじつな)は
下野国だけではなく
上野国・越後国まで支配していた。
第17代の宇都宮成綱(しげつな)は
「北関東の覇者」となり、
勢力が落ちていた宇都宮氏を盛り返した。

宇都宮の一族は、凄かったんです。

…ところがですね、名門の宇都宮氏も、
天下人の豊臣秀吉には、かなわなかった。
秀吉は1597年に突然、第22代の
宇都宮国綱(くにつな)を改易します。
これにより宇都宮氏は
歴史の表舞台から消失していく…。

さて、江戸時代になると、
徳川家康は死後に「神」として
宇都宮の西、日光に祀られる。
江戸幕府としては、超重要な場所!
そんなところに強い大名を
置くわけにはいきませんよね。
もし逆らって東照宮を占領されたら?
弱い大名を配置しておくに限る…。

宇都宮藩の当主の移り変わりは凄まじい。
奥平家、本多家、奥平家、松平家、本多家、
奥平家、阿部家、戸田家、松平家、戸田家。
幕末の下野国は、大名領がわずか五割。
旗本領、直轄領、寺社領。飛び地も多かった。

いわゆる「分割統治」でした。
そのため、明治時代の「廃藩置県」時、
現在の栃木県には
「20以上の県」が乱立していたのです。

そんなバラバラな地域がまとまるのは
容易なことではありません。
県庁を栃木町とする「栃木県」が誕生する。
…そう、実は最初は宇都宮が
栃木県の県庁所在地ではなかった
んです。
「宇都宮県」としてしまうと、なんだか
宇都宮に支配されている感じになるので、
各地域(各旧県)が反対したのでしょう。

しかし、宇都宮の人としては、
これはちょっと許せない。

県庁の場所を巡って、招致合戦、
綱引きが連綿と続いていきます。
その結果、1884年に県庁が宇都宮市に移転!
ただ県名は「栃木県」のまま。

…ここに苦心の「妥結」の跡が見えます。
有名な田中正造は栃木県議会議員でしたが、
宇都宮への県庁移転に大反対していました。

さて、ここで栃木県の歴史に
大きな影響を与えた人物が出てきます。

三島通庸(みしまつねみち)。
1835~1888年。
「土木県令」「鬼県令」とも呼ばれた。
とにかく土木工事を強引に進める人。
薩摩藩の出身です。

彼は1874年、大久保利通の指示により、
東北の酒田県令(旧庄内藩)に就任します。
じきに合併して「山形県」が誕生すると、
初代の山形県令に就任。
「これからは海路より陸路だ!」とばかりに
「東京へと続く道」をどんどん作る。
公共施設も「洋風の建物」をがんがん作る。

…時代が変わる時、
新時代風の大きな道路や建物ができると
人の気持ちが変わる
んですよね。
「時代が変わったんだ」と感じるから。
豊臣秀吉は、大坂城を作った。
それに似ています。

三島は、1882年には福島県令に着任。
どんどん道路をつくる。
1883年には福島県令と兼任で
栃木県令にも就任。
ひたすら道路をつくる…。
その展開の末での1884年、
宇都宮への県庁移転、なんです。

ただし、労役に駆り出され、かつ、
税金を使われていく民の不満は溜まる。
この三島のかなり強引な手法に反対し、
「福島事件」「加波山事件」
起きたりもしています。

しかし三島は、意に介さない。

1885年には警視総監に就任、
自由民権運動を弾圧する中心になります。
1888年、脳溢血のために死去。
まさに「我が道を行く、我が道を作る」
ゴーイング・マイウェイな人
でした。

彼の影響もあって、
1886年、宇都宮は東京と鉄道でつながります。
1890年には日光間の鉄道も開通。
観光地である日光へ鉄道を
「東京から直接つなげる」という政府の計画も
ありましたが、宇都宮の人たちは
この「宇都宮ショートカット案」に大反対!
立ち消えにさせています。

こうして「交通の要衝」となった宇都宮は、
物資が集まり、運ばれていく集積地になる。
特に洋風建材としてよく使われる石材が、
全国各地へと続々と運ばれます。
そう、宇都宮は「大谷石」と呼ばれる
石材の宝庫でもあったのです。

戦後、1982年には東北新幹線が開業。
1990年には上野-黒磯間に
「宇都宮線」の愛称がつけられる。
2001年には湘南新宿ラインの運転開始、
ますます東京との結びつきが深まります。

…ただ、物資が集まって人も増えますと、
住宅地も増えて、駅前は混雑、
ましてや「車社会」の地方のことですから、
大渋滞が生じることになりました。

そんな状況を打開すべく、今回、
2023年に「LRT」が開業したのです。
1987年の「新交通システム構想」から数えて、
実に30年以上もかけての開業でした。

最後にまとめます。

本記事では宇都宮の
歴史と地理の概略を書いてみました。

「LRT」は今は宇都宮駅の東口から東へ、
芳賀・高根沢工業団地を結んでいますが、
2030年前半頃には
宇都宮駅西側区間も開業予定とのこと。
今回のLRT開業により、さらに宇都宮は
違った「道」を歩んでいくと思われます。

読者の皆様の街では、
どんな「道」が開かれていきますか?

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