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【今の私ができるまで⑦】自分の夢を切り替えた大学生(就活編)

ども、にこさんです。

アイキャッチは千葉の五井ー上総中野を結ぶ小湊鉄道。何を隠そう、私の卒業研究のテーマで取り組んだエリアです。非電化区間のローカル線。ほのぼのとしたエリアを鉄道で走り切ったり、実際には市原市の方とも、このエリア(主に姉ヶ崎周辺)のコミュニティバス(ワンコイン)の導入に関わらせていただきました。その時は「交通空白地域」という言葉を使ってました。

前回も語りましたが、それなりに(笑)真面目な大学生活を過ごしておりました。もちろん就活も。
世代的には「就職氷河期」の真っ最中でしたので、本当に苦労しました。
説明会などは3年生の11月ごろから出ていた記憶があります。(リクルートスーツもだいぶくたびれました)

乗り鉄な自分でしたから・・・という不純な動機で、(大学でも色々学びましたが)交通系や旅行業への職種に狙いを定めた就職活動をしていました。みなさんがよく知る会社ばっかりだったと思います。

結果はことごとくだめでした。
なぜだったのか。

それは、思いは強かったのですが、理解がとても浅かったからです。

大学に入学するまでは、特に思いが浅くても、成績次第でどうにでもなったところがありましたが、ここが社会の洗礼。
この時に、「自己分析の大切さ」を知りました。

これまで自分が過ごし学んできたことはなんなのか。
それを生かせる強み・苦手な弱みはなんなのか。
最終的に、自分は何がしたいのか、その理由はなぜか。

この分析、めっちゃ浅かったです。

ことごとく不採用の連絡を受けて、「もう自分は就職できないんじゃないか」と落胆していました。長年夢をみていた「鉄道マン」に、21歳にして慣れないという挫折を受け、ここで「夢を【やりたい】から【できる】に切り替える」というアクションを取りました。

振り返ると、子どもの時から、親にワープロをおもちゃがわりに渡されていました。タイピングもさることながら、外字を作ってオリジナル時刻表を作ったりと、それなりに機械慣れはしていたようでした。研究室内のパソコンのもろもろの設定やネットワークのトラブルシューティングなど。自ずとITに興味関心と「得意」という要素はありました。(プログラミングはちんぷんかんぷんだったんですけど)
そこから、システムエンジニアの可能性にかけていきました。
(今では親に感謝ですね)

しっかり前職に内定をいただき、長年勤めさせていただきましたが、振り返れば「あそこでもう少し考えていたら違ったのかも」と思うわけです。
その時の気持ちを、これから社会に出ていく学生の皆さんには、同じ思いを持ってほしくない。自分の一生に一度の、学生から社会人への就職活動を、中途半端な気持ちでやってほしくない。そう思って、mindmap®︎を活用した自己分析の深耕を、いつしかやっていきたいという気持ちになりました。そそれを実現すべく、ちょこちょこですが、yentaやNPO法人鴻鵠塾の活動の中で、学生メンターとかもやらせていただいてます。

正直そこから入った「システムエンジニア」の会社のみなさんにはとてもお世話になりました。紆余曲折もありましたが、そこで学んだ経験が今も生きているので、本当に感謝しかありません。
(ここら辺は明日また触れていきたいと思います)

ただ、自分の進路は誰かが決めてくれるものではないということを、今進路を悩んでいる人たちに伝え、向き合って欲しいと心から思っています。
そのお手伝いも、ぜひさせていただきたいと思ってます。

もしこの記事を読んでくれている学生の方がいらっしゃったら、ぜひ話しましょう。あなたの壁打ち相手として、本当に自分のやりたいことは何か、強み・弱みはなんなのかという、自己分析のお手伝いをさせていただきます。


では続き(前職編)はまた明日。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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