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この生きづらい世界で

私は発達障害だ。

自閉スペクトラム症、あるいはASD(エーエスディー)。「アスペルガー症候群」という言い方なら知っている人が多いかもしれない。

はっきりそうだとわかったのは大人になってから。いわゆる「大人の発達障害」の検査・診断ができるクリニックで検査を受け、確定した。

この世界はあまりに生きづらい。治るわけでもないのに、数万円かかる検査をわざわざ受けに行った。理由がわかった今だって生きやすくなったわけではない。理由がわかっただけで何も変わってはいない。治療薬もない。

子供の頃から協調性がなかった。人とのコミュニケーションが困難で、未就学児の頃から不登校(園)だった。ごっこ遊びも苦手で、兄弟がいるのに一人遊びが好きだった。とにかく人との関わりや集団生活が苦手だった。

小学校は途中から不登校。中学校は修学旅行にも言っていないし、卒業式にも出席しなかった。高校は留年した。なんとか進学した大学は1年で留年、そのまま中退。
社会に適合できない人間だということが、年を重ねるごとに証明されていくようなものだった。

ここ数年でやっと自分の機嫌の取り方がわかってきたり、経済的にも時間的にも色々と自由がきくようになり、楽に息ができる時間が多くなった。20歳くらいまでは世界にまったく色がなかった。白黒映画に半透明のゴミ袋を被せたような。成人してからしばらくするまで物心がついていなかった…と言ってもあながち間違っていないのかもしれない。

自分がASDだということは家族にも友人にも、(先日、一部の人に話した。そして話したことを後悔した。)もちろん職場にも明らかにしていない。治るものでもないし、配慮されたいわけでもない。言い訳にしたくないし、そうだと思われながら生きるのがまだ怖いからだ。

どうしてこんなにも生きづらいのかずっと不思議だった。周りの人間が当たり前のようにできていることができない。きちんと診断を受けようと思うに至ったあの時は確かうつ状態で、うつについて調べているときに出てきたワードが発達障害だったように思う。なんとなく興味があって調べ始めるとあまりにも自分のことのようで、気づけば時間を忘れて情報収集していた。

コミュニケーションや人間関係に関する困難、こだわりの強さ、音や光への過敏性・・・まるで自分の説明書を読んでいるようだった。

1件目のクリニックではまともに話を聞いてもらえなかった。軽い精神安定剤の処方を提案されたが、全く理解されていないと感じて高い初診料だけ支払って帰ってきた。

2件目のクリニックではやっと話を聞いてもらえて、検査しましょうということになった。その後あらためて受診し、数時間かけて検査を受けて、さらに数週間後に結果を聞きに行った。

正直、もし発達障害でなかったらどうしようと怖かった。障害でもなんでもなくただの欠陥人間だという事実が突きつけられるだけだと思ったから。私はずっと、自分のことを不良品だと思って生きてきた。返品できない不良品でごめんなさいと常に思っていた。

大人になると、社会に適合しづらい人間がより鮮明に炙り出されると思う。“普通”の輪郭がはっきりしていく。自分でもわかってくる。他と同じことが同じようにできない不便さに心底嫌気がさすときが来る。

冒頭に、一部の友人に話したが後悔したと書いた。一見ふつうに見える発達障害当事者が言われる言葉、不動の第一位「そんなの誰にでもあるよ!」を言われたのだ。どういう意図で言うのかわからない。もしかしたら優しさなのかもしれない。

相手の言っていることが意味のない音のような何かに聞こえる苦しさが誰にでもあるのだろうか。周囲に溶け込むため、誰にも迷惑を掛けたくなくて、変な人と思われないために、こだわりの強い自分を殺して違和感から無理やり目をそむけて生きている人が世の中の大半なのだろうか。

言い訳にしたくないから、それを理由に何かを諦めることはしたくないから、周りを観察して言葉や行動を倣ってそれっぽく振る舞ってきた。

人の気持ちがわからない。わからないなりに理解しようとしてきた。感情表現が下手すぎる。下手なりに精一杯大げさに笑ってみたり眉を下げてみたりする。挨拶の意味も意義もわからなかった。わからなくてもわからないなりに意味を調べたりして根拠を探した。大きすぎる音、明るすぎる世界、聞こえない声。

以前付き合っていた恋人の話。告白されて、付き合う前に「私はこういう人間だ」と伝えた。苦手なことが多いこと、どれだけ頑張っても自分でカバーできない範囲があること。それでもいいと言われた。そうとはいえ自分なりの配慮として、ASDの人との付き合い方、みたいな本を買って渡した。自分の苦手なことも伝えた。それから少しして、「自分にはあなた(私)のことを支えきれない」と言われた。なぜか”支えられる側”の人間になっていた。私の伝え方が間違っていたのかもしれない。関わり方を間違えたのかもしれない。別れた理由は別にあるけれど、まぁそういうこともあった。

カサンドラ症候群という言葉がある。ASD当事者の人間と親密に関わることで心身の不調をきたすというものだ。たしかに私と関わると心が健康になるとは思えない。恋人相手だとそれは顕著で、本当に、親密に関わる相手こそ大切にしなければならないと頭では理解しているのにどうしても感情的になってしまう。たとえば、予定が変わると全部だめだと思ってふさぎ込み何もできなくなるか、泣くか、怒るか。

きっと、まだ大切にできる範囲の人とだけ適切に関わりを持ちながら生きていくのがいいのだと思う。関わってくれる友人には本当に感謝している。まともに対人関係を築けなかった自分が、今の私を見たらどう思うだろう。信じられないと思う。

自分を罵倒する言葉なら無限に湧いてくるけれど、普段はむしろポジティブなほうだし、仕事ができる人だと思われているらしい。でも、アスペっぽいな(あえてアスペと言おう)と気付いている人もいると思う。そんなにちゃんと擬態できているとも思えない。

この生きづらい世界で、明日も平気な顔して生きていく。


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