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【短編小説】ヤマモトの魂

「スカートは身体にあわせて揺れる動きが魅力的なんだと気づいたんだ。スカートの中が気になるというのは結局二次的なもので、風でゆれるカーテンが美しいと感じることに近い気がする。」

 ヤマモトが急にそんな事を言ったのは高校二年、秋が深くなり期末試験が近づく昼休みだった。

「この前、中学からの友だちに誘われてそいつ学校の学園祭に行ったんだ。共通の知り合いが女装コンテストに出場していてさ、面白かったんだけど、スカート姿を見て一瞬ドキッとしたんだよ。ずっと柔道部のゴツいやつなのに。それから、あれはなんだったんだろうと考えていたんだ。」

 窓際の席、秋の終わりの日差しが青白い顔のヤマモトを照らしていた。
 痩せて背が高く顔色の悪い男が静かに大真面目に話す内容は、男子高校生にありがちなくだらない下ネタではなく、哲学的な話のようにも思えたけれど、そんな上等なものでも無いように感じた。
 ただ今もその時の光景は良く覚えている。きっとそのくらい突然おかしなことを言うヤツだと思ったのだろう。

 ヤマモトは勉強ができた。頭が良かった。時間を惜しんで勉強するタイプでなく、何でもすぐ理解して覚えた。いつも飄々としていた。顔色が悪くぼんやり空中を眺めることが多かった。こういうのを要領が良いと言うのだろうとクラスの大多数が思っていた。
 そんなヤツがそんなことをボソッと口にした。恥ずかしそうな素振りもなくいつものように飄々と話した。僕はそうなのかもね、と分かったような振りをするばかりだった。

 その後ヤマモトと僕は同じわりと良い大学に進んだ。ヤマモトは余裕で、僕は背伸びをしてなんとか滑り込んだ。大学はとても楽しかった。世の中の景気もよく、今になって思えば理由もなく当たり前のように明日は今日より良くなる気分がしていた。新しいもの、面白いものがどんどん生まれた。ヤマモトとも色んな所に遊びに行った。

「今の景気がいつまで続くか分からないけど、多くの人がお金を増やすことに熱中しているみたいだ。そのお金で何かしようとしているけれど、結局多くの金額を使う景気の良い話になるばかりで、お金を使ってどう幸せになっていこうか分かってないように感じるよ。僕はまだ学生だけど、できればもう少しゆっくり楽しい人生を送りたいかな。」

 大学の仲間達でスキーへ行った帰り道、助手席の彼がボソボソ話したことはよく覚えている。その時は無理して日帰りしないでどこかで一泊して帰りたかったのか、どこかに寄りたかったのかなんて思ったけど、ヤマモトなりに違和感を持っていたのかもしれない。そんなことを言ったきり、カーステレオにあわせて鼻歌をうたっていた。
 その頃は毎年の流行にあわせてスキーウェアや用具を揃えてスキー場に遊びに行くことは大学生にとって普通のことだと思っていた。ご存知の通り、僕たちが就職して数年後、好景気が突然終わった。今では最新流行のスキーウェアを追いかける若者なんてそういない。

「インターネットが普及することで今まで発言の機会がなかった人たちにも発言権が与えられるようになったと思うんだ。それが良いことかどうかは分からないけど、今まで権威とされていたものがそうでなくなるかも知れないね。それを可能性と考えるか、終わりの始まりと見るかは分からないけど、その流れは止められないよね。」

 大学時代の友人の結婚パーティーで会った時、ヤマモトがポツリといった。商社に就職したヤマモトは、そういった仕事をしているそうだ。そういった仕事と言われても詳しくはわからなかったが、インターネット関連の何かというのはなんとか理解できた。当時メーカーで営業職をしていて電子メールさえまだだった僕にはピンとこなかったけれど、今なら分かる。そういった予兆が当時からあったのであれば、現在の問題は起きるべくして起きたことなのだろう。同じような仕事をしていた友人もその場にいたが良く分かってなかったようだった。ヤマモトは変わらないなあと思った。

 結婚して子供が生まれ、会社を変わるなどして今ではヤマモトとは年賀状のやりとり程度の関係になった。せいぜい数年に一度、大学の同期会で顔を合わせるくらいだ。そのかわりSNSでよくヤマモトの言葉を見るようになった。特に何の説明もなく思ったことをつぶやくことがある。

「地球の危機ではなくて今の人類社会の危機だよなあ」

 SNSだから、昔からの知り合い、社会人になってからのつながり、色々な人がいる。ヤマモトのするような背景も党派性も分かりにくい投稿にはコメントもつけにくい。この歳になれば家族旅行に行ったとか、子供の発表会だとか、老体に鞭打ってマラソンに参加して筋肉痛になったみたいなことを投稿するのが普通だ。今ではヤマモトのつぶやきに僕くらいしかいいねをつけなくなっている。それでもヤマモトは思ってもみないようなことを淡々とつぶやいている。

「僕はずっと知らないことが知りたくて生きてきた。昔からそうで、今も変わらない。でも多くの人は歳をとるとそういう興味がどんどん薄れていくらしい。会社の上司や同僚、友人もそうで、それは人によってそうなるわけでは無いようだ。それが普通のこと。ここ数年、それをすごく感じるようになったんだ。」

 久しぶりにヤマモトと飲んだ。近況報告や家族のこと、健康のことなんていうオジサンらしい話題を一通りしたあと、ポツリと言った。

「じゃあ若い人とつるめば良いかといえばそれはそれで違うわけ。積み上げてきた感覚が違うから。彼らは彼らの感性が積み上がっている。きっと彼らは女装コンテストなんて経験していない。」

 僕が女装コンテストのことを覚えている前提でヤマモトは話す。たしかに覚えている。そういうところ、心を許してもらえているだろうかなんて思う。いい歳したオジサンがそんなことを思うのは少し恥ずかしい。残った瓶ビールをコップに注ぎながらヤマモトは続ける。

「同年代の人たちが知ることを諦めていっているように見えるのは寂しいけど気持ちは分かるんだ。色んなことを見聞きした。もうそれで十分だ。そう思うのは分かる。新しいことも今までの組み合わせだと思えてしまう。大きく間違ってないと思う。仕方がない。でもそれだけじゃないだろうって思ってしまうんだ。」

 そこに立っていたのは10代の頃から比べれば随分肉がつき、色々な経験をして泣いたり笑ったり悔しい思いをした脂っぽい顔のオジサンだった。騒々しい居酒屋の蛍光灯に照らされ、おでこがわずかにテカるオジサンだった。髪は羨ましいくらい昔と変わらなかったが白髪が探さなくても済む程度に混じっていた。

「こういうのを昔の文化人は若者の魂なんて呼んでいたのかな。」

 僕はそうなのかもね、と分かったような振りをするばかりだった。


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