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と、仕事の仲間に言われたときはショックだった。

いえいえ、何かの集会に入っていた私を止めようとして、とかではなくて。

「なんか最近OOO(私の上司)に似た話し方になってきてるよ」「OOOさん(私の上司)が言いそうな事言うねー」

私の役目は上司の目指す方向にチームを動かし成功に導く。当時の私はこの言葉が誉め言葉と捉えていて嬉しかった。会社の目指す方向に向かえているんだ。一緒に仕事していたら、そりゃ考え方も似てくるよね。同じ視点で物事を見るようになるんだから。

私は常に誰かのお手本になっていたいと思って仕事をしてきた。リーダーとして、社員として、女性として。私がしっかりと仕事をしている姿を見てもらえれば、社員からも信頼される。この自分の哲学みたいなものは、アメリカ社会で今まで経験した多くの反面教師から学んだこと。仕事をしない、ごますりはうまい、大きな口でOOできる!と言ってたから任せたのにやらせてみると、実はできない。

ある時、会社の規定を決める決めないで議論をしていたときに、私がすごく信頼している同僚に言われたこと。

「なんか考え方が、OOさんに洗脳されてない?」

彼女が言わんとしたことは、私の意見が会社全体を見ず、あまりにも上司に偏りすぎているということ。上司の肩を持ちすぎている、と。私が?まさか?私にはちゃんと自分軸がありますけど。会社の方針、方向を鑑みた上での意見のつもりだった。

でもこの言葉をきっかけに、自分の見方が変わっていった。同僚の言った通り、全体を見渡す余裕がなかった。私の上司がこう考えるはずだから、こうした方が良いと、私の仕事の仕方に偏りができていた。知らない間に、言われるがままに動いている”イエスマン(ウーマン?)”だった。

そう気づけた後、物事の見方が変わった気がする。OOさんはどう思うだろうと考えていた自分から、会社として、良いことなのかどうなのか、という視点で考えられるようになった。

思ってもみないことを身近にいる人に言われた時、「そんなことはない」と答える前に?「私ってそんなとこある?」と一度見つめてみると良いかもしない。

あなたが聞きたくない事かもしれないけど、知らないあなた、気づいていなかったあなたを知るためにも、ちょっと耳を傾けた方がいいかも。







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