『足りてる』夫と『足りない』妻
先日、テレビ番組で、株主優待で主に生活をしている桐谷広人さん(元プロ棋士)が紹介されており、それを感心して見ていた。
総資産5億。
なのに、現金を使わずに暮らす!と周囲に宣言しているために、現金が使えず、貯まる一方でお困りとか。こんなに憎めないお金持ちが、かつていただろうか。
桐谷さんは、毎日移動は自転車。日々、優待券を消費するために奔走している。その元気なこと、いきいきとしたこと。
「すごいね!なんかかわいいね!」なんて楽しんでいたら、夫が言った。
「お金があるからだろう。自由なんだろう。いざとなれば、お金でどうにでもなるから好きにできるんだ」。
ああ、そうか、人はお金があれば、かえってお金に縛られずに自分に素直になり、自由になれるのか、ほぉ、なんて感心した。
ただ、誤解のないようにいうと、私たち夫婦は、一度もそんな富豪であったことはないので、全ては想像でしかない。
でも、なんとなくどことなく本質を突いているような気がして考えていたら、続けて彼はこう言った。
「僕は特に欲しいものなんてないけどな。だいたい足りてる。せいぜい、こういう(スマホの)動画を少し見たいくらいのもんだ」と。
ここで私の思考は一瞬停止した。
欲しいものがない。足りていると?
いや、確かに足りているとは思う。
家もご飯も仕事もあり、食べたいものはたいてい食べられ、欲しいものもそれなりに買う。友達もいるし、楽しいこともある。
そう、足りている。
それで彼は本当に充足しているというのか。素晴らしい。
しかし夫よ、思い出してほしい。
一家の大黒柱は、今、私である。
私のボーナスがあるから、生活費以外に少し余分な、でも必要な買い物や、貯金ができたりしている。旅行もたまにはできる。
もちろん、夫の収入も加えて生活が成り立つからこそだが。
じゃあ、私は欲張りなのか。
もっとお金の心配をしなくて済むように、投資のことを勉強しようとか、どうやったら家族で遠出ができるかとか、ここは出費抑えて、その分、こっちの化粧品買おうか、とか。いつも『よりよく、もっとどうにかお金を捻出』するために、私は頭をフル回転させている。
そういう私は強欲か。これは、足りていない、ということか。【足るを知る】ができていないのか?
でも、夫が私と同じだけ稼いでいたら、もっと生活は楽になるし、もっとお金から自由になれる気がしている。もちろん、そうしたらまた、次の欲も生まれるのかもしれないが。
ともあれ、平然と彼が『足りている』と言い放ったことに私は困惑した。
自分のことが分からなくなった。私は欲張りなのか。欲張りはだめなのか?なぜ良くない気がしてしまうのか。
平穏な暮らしの上で、まだどこかに行きたいとか、あれこれやりたい、というのは、さもしいことか。子どもたちには、より良い刺激、経験を与えたいではないか。そういうこが、日々のモチベーションになっているのに。
あなたは一体、どこがどうなっている?
この妙な違和感。悔しさみたいなものは何だろう。
いろいろな問いが頭を過ぎったが、声にはならなかった。
考えれば考えるほど深みにはまりそうなので、一旦、棚上げしておこうかとは思う。
しかし、足りているという夫と、何か足りない、もっと必要、と考える私との間には、どうにも埋まらない溝が横たわっていそうである。
いつかそれら両岸を結ぶ橋はかかるのか。
お互い、少しずつでも足場を組んでいけたらいいのだが。
モヤモヤが消えていけばよいのだが。
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