パラレルワールド





昨日参加したセミナーは、
京都市内で13時からだったので、
わたしは10時ぐらいには家を出ました。




3時間もあれば、余裕です。
ナビでは2時間弱だったし、
一度行ったこともある場所なので、
近くの駐車場もわかっています。
迷うこともありません。





意気揚々と出発しましたが、
ここ数日、謎のデトックスで、
とにかくトイレが近くて…




パーキングエリアがあるととりあえず寄っていました。




でも、トイレにそんな時間はかかりません。





なのになぜか、セミナーのお部屋に着いたのは1分前。




もうみなさん着席されて、
いつでも始められる状態。
ギリギリ間に合った、と言っていいのか…
でも、温かく迎えていただきました。
感謝です。







なんて言い訳だ、何を抜かしてるんだと思われそうですが、

時空を超えたというか、
時空が歪んだというか。

そうとしか思えないのです。






途中からナビの到着時間を見て、
あれ?って思ったのです。


3時間も前に出て、
そんなわけないでしょ。





そして、
これは遅刻するかも、と思いました。






わたしは子どもの時から、
早め早めの行動をするのに慣れていて、
何事も、30分前には行っていました。
待つぐらいがいい、と言われて育ちました。




だから、時間ギリギリになるとすごく焦るし、
人を待たせてはいけないと思っているから、
申し訳なくて、自分のせいじゃなかったとしても、自分を責めてしまう。
遅れるぐらいなら、行きたくないと思うタイプでした。





自分がそういう動きをするものだから、
人にもそうあって欲しい。
時間を守らない人を、子どもの頃からイヤだなと思っていました。





いろんな人と関わる中で、
たくさんの価値観に触れ、
そういう自分を変えてみたくなりました。





少しずつ行動を変えていきました。
わざとギリギリに着くように行ってみたり、
わざとタイトなスケジュールにしてみたりして、



たとえギリギリでもできる、とか、
わたしはなぜか間に合う、
うまくいく、
なんとかなるものだ、
という成功体験を毎日のように意識して積んできました。






それでも、遅れる、という体験はあまりなく、
なぜか間に合っていたし、
もしかしたらあえてそこまでにはならないように、
調整はしていたのかもしれません。






セミナーに遅刻するかもしれない、と思ったとき、
ああ、いいんだ、これでも。
自由なんだ。
と、思いました。





遅れることについてのジャッジや、
相手がどうか、ということは置いておいて、
自分の中での"自由なんだ"に行き着きました。






そして、

遅れてもいい。
これにも何か意味があるに違いない。
遅れなかったら、それはそれでもちろんいい。
全部意味があるから、委ねよう。
これまでの潜在意識の書き換えのタイミングを、
改めて今、もらってるんだ。

という気持ちと、




これ…絶対時空がどうにかなったよな!笑
時間、おかしいもん!

というおもしろおかしい気持ちで運転して、




12:57に近くの駐車場に着き、
たぶん12:59に会場に滑り込みました。





あれで間に合うんやwww
というのも、痛快でした。




わたしがもっと早く着いていれば、
早く始められたのに!
申し訳ない!
の気持ちが、ないわけではないんです。





でも潜在意識をこれまでに少しずつ書き換えてきて、
ありえない!を、
これでもいいし、なんとかなる、に変えてこられたから、


きっと人に対しても寛容になったし、
必要以上に心苦しさに苛まれたりすることはなくなりました。




そして、私のことを他の人がどう思うかは、
私の課題ではなく、相手の課題である。
と、捉えられるようにもなりました。







時空を超えるとか、パラレルワールドって、
絶対存在すると思うのです。





実家ねこレオちゃんも、
以前1ヶ月以上行方不明になりましたが、
帰ってきたんです。





不思議だけど、不思議じゃない。
学びのために、そうなることがあるんだと、
わたしは勝手に思っています。




とにかく楽しい気づきがたっぷりの毎日に、
感謝です!


























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