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鳥人間

この間、大阪の街を歩いた。

私が歩いたのはいわゆるビル街で、スーツを着た大人や、黒光りのタクシーや、キリッとした髪型の大人たちがたくさん歩いていた。

子供は全然いなくて、まるで年齢制限のある街みたいだった。


都会での歩行は、なんだか落ち着かない。それは、都市には強い「流れ」が敷いてあるからだと思う。

たくさんの車や人間が常に決まった方向に流れていて、見えないけれど、道には川みたいに流れが生まれていると思うんだ。


昔、小学校のプールの授業で、「洗濯機」という遊びをしたのを覚えている。

プールの中でみんなが同じ方向に進み続けると、しずかなぷるぷるの塊だった水に、歩く方向の流れが生まれる。

高低差もないのに、ただ歩いているだけで自分たちの動きが伝わっていくのが、なんだか楽しかったのを覚えている。

都会を歩いていると、そんな流れの中にいるような気分になる。

だから、なかなか自分のペースで歩けないし、立ち止まるのも、進路を変えるのも一苦労だ。とても疲れる。

単に見るものが多いからかもしれないけどね。

そう、見るもの。

都市は目に入るものがとても多い。
入るものというより、入れようとしているものかな。

例えばレストランの看板、コインパーキングの表示。
信号や標識もこれでもかというくらいに頭上に詰め込まれているし、道路にも矢印やら数字がたくさん書いてある。

ただ顔を上げて歩いているだけで、脳に氾濫が起きるくらいたくさんの情報が飛び込んでくる。

人の流れがしんどくて、息継ぎをするために上を向く。でも頭上は頭上で、情報が溢れかえっている。

どこを見てもじゃぶじゃぶしているから、私は洗濯機で洗われる服の気持ちを想像してみる。


そんなどうでもいい想像をしながら目線を下げて歩いていると、ふと思う。

もし鳥人間なるものが誕生したら、看板がつくところも変わるのだろうか。

鳥人間は背中から羽が生えていて、まさに鳥のようにバサバサと空を飛行することができる。そのほかは特に今の人間と変わらない。

速度は自転車くらいか、それ以上出すことができる。歩くより飛ぶ方が速い人種だ。

その鳥人間たちが人間と同じようにビル街で仕事をしたとする。そうしたら、鳥人間向けのコンテンツの看板だけが、地上から七メートルくらいの、ビルの二階建て付近に移動するのかもしれない。

例えば羽休めのための喫煙場とか。普通の喫煙マークに羽がついている看板が、見上げたあたりにたくさん立つのかもしれない。速度制限の看板や、鳥人間向けの交通標識、信号なども取り付けられるかもしれない。

などと、空を見上げながら歩いて想像する。


私は空が好きだ。

空の流れはとても穏やかだから、思考がゆったりと引っ張られて、余白がたくさん生まれる。空を見ながら空想すると、なんだか落ち着く。

よく空が狭くなったなどと聞くけれど、鳥人間がいたらきっともっと空は狭くなっていただろうから、今の人間だけがいる世界に生まれて、私は幸運だったかもしれない。

目線に入る空の面積がこれ以上狭まらなくてよかったと思いながら、私は背中に生えた翼でその広い空へ飛び立った。


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