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ロジャー・テイラーが東大寺に立った日

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東大寺(奈良県奈良市、2020年、筆者撮影)

好きな漫画やアニメ、好きな芸能人にゆかりのある、実在の地方や特定の場所にファンが直接赴くことを「聖地巡礼」と呼ぶ。もともとは宗教的な意味合いの強かったこの言葉が、上記の意味でも使われるようになったのは、わりと十数年前のことだ。

そして、クイーンと運命の赤い糸で結ばれた日本においては、四人に関係するゆかりの場所が全国各地に存在する。奈良県奈良市にある東大寺もまた、クイーンファンにとって関西を代表する聖地の一つである。むしろ、クイーンというより、ロジャー・テイラーにゆかりのある場所と言った方が正しいだろう。

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ロジャーは、1980年代初頭からフレディ・マーキュリー没後数年間にかけて、クイーンの活動と並行しながら自身のバンド『ザ・クロス』や、X JAPANYOSHIKIとのユニットなどのソロ活動も行なっていた。ロジャーとYOSHIKIの友情は現在も続いており、昨年末にはYOSHIKIの呼びかけで、ブライアン・メイやサラ・ブライトマンと共に紅白歌合戦にリモートでのパフォーマンスに参加したことも記憶に新しい。

1994年5月、東大寺前に建てられた特設ステージにおいて、ユネスコ主催の音楽イベント「The Great Music Experience」(別名・あをによしスーパーコンサート)が開催された。ライヴ・エイドがアフリカ難民救済を目的としたチャリティーコンサートだったのに対し、こちらは「異文化の相互理解と尊重を促進すること」がコンセプトであり、企画に賛同した日本人アーティストと世界中のアーティストが東大寺に集まった。ロジャーとXも参加者の一員であった。海外からはボブ・ディラン、INXS、ジョン・ボン・ジョヴィ、ジョニ・ミッチェルなど、日本からは玉置浩二、喜納昌吉、布袋寅泰なども参加している。

現役の僧侶たちがステージ上でお経を読み上げるというややシュールな光景から始まり、東京ニューフィルハーモニック管弦楽団と多数の和楽器奏者による荘厳なオープニング。烏帽子をかぶった篠笛奏者や、上半身にボディペインティングを施したレナード衛藤。日本的な衣装を着用した者も何名かいる。和太鼓とトランペットが共演したあと、ロジャーと縁が深い銅鑼(どら)で締めくくられる。フレディはこの世からいなくなってしまったが、先述の国内外のミュージシャンたちとともに、ロジャーも久しぶりに日本でのステージに立つということで、期待感を露わにしていたことだろう。オープニングを見ながら、私はふと、そんな気分になった。

トップバッターのINXS、ジョニ・ミッチェルのそばでギターをかき鳴らす布袋寅泰、フォークダンスを踊る女性ダンサーに絡みつく文楽人形、ステージを沖縄色に染め上げた喜納昌吉、アコギ一本で弾き語りを行うボブ・ディラン。多くのアーティストのパフォーマンスが続く中、開始から約1時間17分後にXが登場。観客のほとんどがX目当てで来たと思えるくらい、それまで比較的落ち着いていた客席が一気に黄色い歓声で湧き上がった。TOSHI(現:ToshI)もYOSHIKIも今と違って背中まで届く長髪だし、HIDE(hide)の姿もある。YOSHIKIは激しいパフォーマンスをして失神しかけ、スタッフに担がれたままステージを去ったかと思いきや、上着をまとい、ロジャーを伴って再登場。ようやく我らがロジャーの出番である。

YOSHIKI「こんばんは。今日は…今日はえーと、友達のロジャー・テイラーと二人で、やりますんで。そのあとにまたXもありますんで。ロジャー・テイラーです」
ロジャー「Thank You. My Friend YOSHIKI!」

二人がこのステージで引っ提げた楽曲こそ『Foreign Sand』であった。タイトルを日本語訳すると「異国の砂」となり、作曲はYOSHIKI、作詞とヴォーカルはロジャーが行なっている。和訳はこちらから引用した。

さあ、来た 大げさなことじゃない
俺たちは異国の砂の上に立つ
一人きりじゃないんだ
何故、俺たちは未知のものに 対して恐怖を抱くのか
ただハローと言うだけのために 手を差し出せないのか
必要さを満たしてくれる種を撒く ただハローというためだけに
故郷から遥か遠くにいると 見えるものから学ぼうとする
目を見ているだけで、君が何を必要としているかわかる
どうして知らないことについて 恐怖を抱くのか
妾としてではなく、敵でもなく
手の内をもっと見せればいい
必要さを満たしてくれる種を撒く
育ててゆく ただハローというためだけに
故郷から遥か遠くにいると 見えるものから学ぼうとする
きみの頭の中に必要なものはあるから 教えてくれるんだ
さあ、来た 大げさなことじゃない
俺たちは異国の砂の上に立つ
一人きりじゃないんだ
赤、黄色、黒、白
光の中でどんな人間でも立つ
一人きりではなく
嘘なんかじゃない 恥でもない
真剣なんだよ 騙してなんかない
偏見じゃない 俺たちは手を握る
簡単なことでもない 立ち上がっている
異国の砂の上で俺たちはやっていこうとしている
ただハローと言うためだけに
何故 俺たちは見下してしまうのか
言葉さえわからないというのに 嘘を振り撒き続けている
知っている限り、やり方は一つしかない
必要さを満たしてくれる種を蒔く 育ててゆく
ただハローと言うためだけに
故郷から遥か遠くにいると なれるものから学ぶしかない
君の心が必要なものを教えてくれる
(略)
一緒に俺たちは立っている 異国の砂の上で
一緒に俺たちは立っている こうやって立っている
異国の砂の上で

なんて尊く、美しい歌詞だと思った。まっすぐな飾らない言葉選びで、すべての人間に、未来を生きる子供たちに聴かせたい歌だ。自分が知らない誰かと心を通わせる。それが例え異国の人間だろうと、自分とは異なる人種だろうと関係ない。絆を深めていくための第一歩は、「手を握ること」や「ハローと言うこと」。この曲はロジャー流の『手をとりあって』だ。

日本のネット上では、今も昔も韓国人への憎悪と差別発言、罵詈雑言が後を立たない。韓国と多少の接点があったり、韓国にルーツがある人に向かって「あいつは韓国人だ」「在日のくせに」などと短絡的に決めつけ、ネガティブなレッテルを貼り付ける人々が何と多いことだろう。ロジャーは先日、自身のインスタにおいて、昨年の初頭にソウルの空港で撮ったブライアンとのツーショット写真をアップしていた。クイーン+アダム・ランバートの来日公演の直前に行われた韓国公演のために来韓したときの写真だ。つまり、日本人がどんなに韓国人の悪口を言っても、ロジャーにとっては、韓国での思い出も宝物の一部であることを意味している。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、ブライアンやジョンと喧嘩になって逆上し、コーヒーメーカーを投げつけようとするシーンや、ガールフレンドがコロコロ変わる描写がある。インスタの投稿でも、文章欄において長文を書くことがほとんどない。

これらを見るだけでは、ロジャーは女好きでオツムが弱くて短気でマイペースな男に思えるかもしれない。しかし、ロジャーはブライアンと同様、本当は詩的で思慮深く、世界中の人々が暖かい絆を紡ぐことを願っている人物なのである。ベン・ハーディの愛らしい容姿が気になってから本物のロジャーの中性的な容姿に一目惚れした「ロジャー推し」の方々も、そうやって彼の隠された本質を知り、改めて彼の魅力に惹かれていったことだろう。

世界中を抱きしめようとするロジャーの姿勢と、YOSHIKIと共に作り上げた想いを、私自身も見倣っていきたい。

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