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大好きな祖母の死

先日、グリーフカウンセリングのLPを公開いたしました。私自身の自己紹介に、いくつかの喪失体験のお話を経て、お申し込みフォームに辿り着く流れになっています。よろしければぜひお越しいただけると嬉しいです。

今回はその中でご紹介した大好きだった祖母とのことを、もう少し書いてみようと思います。


はじめに

生まれた時から一緒に暮らしていた祖母がいました。小さい時からどこに行っても「あやちゃんはおばあちゃんによく似てるね」と言われていました。とても可愛がってくれて、私も大好きでした。

「不二家にハンバーグ食べに行こうか」
「ポタージュ飲みに行こうか」
「心斎橋行こう」

弟がまだ小さかったので、そうやって私だけをいろんなところに連れて行ってくれました。難波、心斎橋という繁華街に、しょっちゅう連れて行ってもらい、いろんなものを見たり食べたりという経験をさせてもらいました。

洋裁が得意な祖母は私にたくさんワンピースを作って着せてくれて、祖母自身もおしゃれな人でした。イブサンローランのライター付きのシガレットケースからタバコを取り出して吸う姿もカッコよかった。私をとても可愛がってくれた祖母は、〝あんなおばあちゃんになりたい〟と思わせてくれる憧れの存在でした。

祖母の入院

私が高校生の頃、祖母が入院。学校帰りに毎日のようにお見舞いに寄りました。
おつかいで頼まれるものはいつもこだわりがあります。

「駿河屋のどら焼き買うてきてんか」
「銀荘のカステラ買うてきてんか」
「母恵夢が欲しいねん」
「丹青堂でうちわ買うてきて」

なんやかんやとお願いされる。大変なのだけど、どこかそれもカッコよく感じて、祖母におつかいを頼まれるのは嫌ではありませんでした。

大部屋で同室の方々に「番長」と呼ばれていた祖母は、私が行くといつも皆さんに「うちのかわい子ちゃん」と紹介してくれて、いつも笑い声が絶えず楽しい雰囲気の病室でした。

祖母の涙

たまに一時外泊で帰宅することがありました。
当時私が大学生だった頃。2回生になると部活で任される取り組みが忙しくなるため、学校の近くで下宿したいと父に打診をしていた時期でした。
許可が出るまであと一歩!そのあと一歩は

「おばあちゃんがええっていうたらええよ」でした。

祖母が外泊で帰宅した時、祖母にその一歩をお願いしてみました。
すると

「おばあちゃん、あやがおると思うからこうやって帰ってくるのに・・・」

と泣いたのです。祖母の涙を見たのは、この時が最初で最後です。

その瞬間、即座に父が「この話は終わりや」

ここで私の一人暮らしの希望は絶たれたわけですが、そんなにも私に会いたいと思ってくれているんだと実感した出来事でした。

祖母の死

部活や友人付き合いを優先することが多くなり、自然と会いに行く頻度が減りました。その間に祖母は転院していました。

転院した病院へ久しぶりに祖母に会いに行くと、以前の病院の時とは違う静かな部屋、もう目も開けない、言葉も交わせない状態でした。
その様子にショックを受けた数日後、祖母は亡くなりました。

「私が会いにくるのをずっと待っていたんだ」
「おばあちゃんずっと会いに行かなくてごめんなさい」

後悔の思いしかありませんでした。

祖母が亡くなってから、祖母の一度も使っていなかった羽枕があり、私が使わせてもらうことにし、〝おばあちゃんの枕〟という認識でずっと使っていました。
祖母への後悔の思いはいつまでも拭うことができず、思い出しては涙が出る状態が何年も続きました。おばあちゃんの羽枕は、私の涙をたくさん吸っていますから、当然のこと中はカビだらけだったと思います。それでも捨てることができません。

祖母の夢

当時、何度も祖母の夢を見ました。祖母は台所で一人で食事をし、食べた食器を流しに持っていきます。その間、私はずっと「おばあちゃん!」と呼んでいるのですが、どんなに泣きながらと呼んでも反応してもらえず、背中を向いて去っていくのです。
祖母のことを思い出すと辛くなるという期間が、5年程度続き、その間、祖母の夢も続いていました。

ある時、友人にこの夢の話をしたのです。するとその時友人は

「あやちゃんがちゃんとおばあちゃんに〝ありがとう さようなら〟って言わへんかったら、おばあちゃん安心して行かれへんで」

私はその時、その言葉に衝撃を受けました。そして、そっか、そうなんだとすごく納得したのです。

それから、祖母の夢が変わました。今でも覚えている夢の映像。
自宅の玄関の前で、祖母が笑顔で私に向かって歩いてきました。
そしてそれから、祖母の夢を見なくなりました。

私がちゃんと、〝ありがとう さようなら〟ができたことで、祖母が笑顔になったのだと思いました。

とても不思議な体験でした。

おわりに

死別体験をした時に「いつまでも悲しんでいると相手が心配していつまでも天国に行けないよ」というような励まし言葉をもらうケースは少なくありません。私も経験があります。
グリーフサポート、という活動の中では、その言葉を聞いて無理に元気になろうと、感情に蓋をしないこと、今しっかりと悲しむことの必要性をメッセージしています。
自分の心が死別の現実に向き合うためには、亡くなった相手に心配かけないことを考えるよりも、まずはご自身がしっかりと悲しむということをして、自分のペースで向き合っていく必要があるからです。

しかし、当時の私がこの言葉に救われたのは事実です。私の場合は、5年程度経過して、やっと〝ありがとう さようなら〟を言っていいのだと、もう後悔を手放していいんだよと、許しに近いような感覚だったのかもしれません。

今も祖母が大好きなこと、会いたい思いは変わりません。

お読みくださいまして、ありがとうございました。


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