見出し画像

伊坂幸太郎著『逆ソクラテス』の備忘録

短編5編からなる伊坂幸太郎著『逆ソクラテス』の備忘録

逆ソクラテス ー「僕は、そうは、思わない」ー

 全てを知ったかのように振る舞う担任の先生の先入観をぶっ壊すお話。冒頭で出てくる野球選手がファインプレーをした後にテレビを消すところは読み終えてから意味がわかる。結局、担任の先生は変わっていなくて先入観を捨てきれていないように感じた。

 事実と感想。例えば、穴の空いた靴を履いている人がいるとする。靴がボロボロだねと言うのは事実になる。だけど、靴を履いている人は貧乏だと言うのは感想になる。その人が貧乏かどうかなんて靴を見ただけではわからない。もちろん金持ちがボロボロの靴を履いている可能性は低いから貧乏だというのは頷ける。だけど、それが事実かどうかというと話は別になる。あくまで貧乏だと言うのは主観に過ぎないことを忘れてはいけない。そしてこう言う「僕は、そうは、思わない」
 

スロウではない ー「敵を憎むな」ー

 転校してきた理由はいじめられたことだと思っていたけど、実は・・・だった。いじめっ子だった子がいじめっ子に伝えたこととは。そして敢えてスロウになった理由とは。

 いじめは良くない。至極真っ当なこと。だけどいじめた人を憎んだところで問題は解決するのか。仮にいじめをして誰かが自殺してしまったとする。もちろんこれは許されることではない。いじめた人が悪いかどうか判断するのは裁判所だけでいいはずだ。だけど世間はそれを許さない。いじめた側を徹底的に叩く。結局これもいじめと同じじゃないか。
 文中に「敵を憎むな」というゴッドファザーのセリフが出てくる。映画をみたわけではないからその真意はわからないけど、敵を憎んでも意味がない、その人がやった行為を憎め。そんな意味だと理解している。いじめそのものを憎む。そういう意味だと。
 

非オプティマス ー「可哀想に」「仮の姿」ー

 私たちは誰かからの評判を通して人間関係を営んでいるというお話。担任の先生が仮の姿から変わった理由とは。誰かの評判が人を殺しも生かしもすること。

 「人が試されるのは法律に載っていないこと」そんな一文があった。一応の線引きとしてやってはいけないことを法律が決めてくれていることで自由を手に入れている。その自由をどう使うかはそれぞれに任されている。その結果が誰かの評判につながる。あなたが自由をどのように使ったかを見て、あなたの評判をつくっていく。そしてその評判に生かされ、殺されていくのだと思う。

アンスポーツマンライク ー「やり直し」「残り1分の永遠」ー

 試合時間残り1分。チャンスの場面で「ギャンブル」か「チャレンジ」か。前者の考えになったことで足が動かなくなる。その出来事がその後の事件の対応にも影を落とす。アンスポーツマンライクファウルが与えたチャンスを活かせるか。

 子どもを傷つけようとした通り魔を異常だとして切り捨てる。そのことを怖いという先生。現実的な問題としていつかはその犯人と同じ社会で暮らしていくことになる。だから平和に暮らせる方法を考えるのがいい。そんな風に先生は言うのであった。その一方で優しくしてあげる必要はないし仲良くなるわけにもいかないとも話す。
 裁きを受けた後に社会はどう接するのか。裁きを受けたら過去のことはなかったことになるのか。そんなことを考えさせられた。

逆ワシントン ー「正直」ー

正直に生きることは幸せだ。いじめる側は自分で自分の人生をハードモードにしている。アンスポーツマンライクファウルの通り魔がチャンスを活かしてやり直そうとしている。

 誰かを出し抜くこと。誰かの道連れにして困っている姿を楽しむこと。いじめること。それはいつか正直に生きてきた人にバラされる。そしてそれは、自分の人生を茨の道に追いやっていることに気づいて欲しい。 

まとめ

 全体を通していじめ加害者や犯罪者を社会はどう受け入れるかというテーマを感じた。全てのタイトルに否定系が入っているのは、いじめや犯罪を示唆する。社会で正しいとされていることと逆のことをやってしまったが故にそうなってしまった。それに対して社会はどう向き合うのかを問うているような気がする。伊坂さんの過去の作品の中に家庭裁判所の調査官が出てくるけども、そこにつながっているようにも感じる。
 話は変わって最後に学校で陽の当たらない子に勇気を与える。学生時代の私に読ませてあげたい。そう思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?