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ルームシェアではない日々

 ああ、マジョリティーのカップルだったらな、と何度か思い、そのたびにそれを打ち消した。恋人とはじめて部屋を借りたときの話だ。

 どこのだれともわからない人にわれわれの関係を説明するのが嫌だった。
 人をうたがうことをせず(知らないわけではない)、「東京はいいひとが多いね」とにっこりする彼女とちがって、当時の私は「騙されてなるものか」という思いが強かった。頭のかたい人やうわさ好きな人が担当者になったら、オーナーだったら、同性愛者が住んでる!と広められるようなことがあったらどうしよう、恋人の分も私が警戒しなければ……不安は尽きず、不動産屋選び、そして物件選びには本当に慎重になった。

 まずはルームシェア可。業者にカムアウトする気のないわれわれにとってこれは絶対条件だ。二人入居可とルームシェア可には違いがあるようで、二人入居というのは基本的に男女の夫婦やカップルを想定していることが多いらしい。二人入居可をかかげる物件には、ご丁寧に「ルームシェアお断り」と記載されているところがいくつもあった。探したのが東京でなかったら、きっともっと難航しただろう。
 もうひとつ譲れなかった条件は2DK、ぜいたくを言えば2LDK。ひとりあたりひとつ以上の部屋があることがわれわれが平和に暮らすための条件だった。私はひとり暮らしが長かったので、ひとりで過ごせる場所がない状態でふたり暮らしのスタートを切るのがこわかったのだ。
 あとは大型犬がほしいだの浴槽はキレイなほうが嬉しいだの対面式キッチンがいいだのとふたりで妄想したものの、
「まあ、夢は尽きないけど、身の丈にあった住まいにしようね」
という恋人の言葉に私も同意した。

 1か月の奮闘の末、おおむね希望通りの部屋が見つかった。担当者に恵まれたことも大きい。彼はわれわれの関係性に気がついたようだったけれど、最後までそれを口にすることはなかった。1度で顔を覚えたらしく、その不動産屋を訪ねるたびに飛んできてくれた。

 部屋はほとんど2LDKのように使える2DK、駅まで徒歩18分。お風呂はバランス釜だったけれど、普段はシャワーだし、近所に銭湯があったから気にしない。2間ぶんほどもある広いバルコニーから降りそそぐ陽光にふたりともが惚れ込んで、その日のうちに契約書にサインした。
 目の前のバス停からは駅へ向かう便と、海へ出る便があって、長野育ちの恋人は後者をいたく気に入ったようだった。次の部屋へ越すまでのあいだ、ふたりで何度も海へ行った。

 我が家にはもともと私の”連れ子”であるヒョウモントカゲモドキがいたが、その部屋で過ごす2年のうちにセキセイインコ2羽とキンクマハムスター1匹が増えてすっかり大所帯になった。
 2年目の夏には念願だった家庭菜園に挑戦した。前年にうつを発症して退職していた私にとって、早朝に起きて水やりや草取りをするのはいいリハビリになった。ふたりの好物であるナスやシシトウがよく生り、ルッコラとパクチーもよく茂った。8月には屋根に届かんばかりの勢いのゴーヤーのグリーンカーテンで涼しく暮らした。

 部屋だけを見れば、本当に申し分のないところだった。でも、私たちは「つかれちゃったね」と言い合うことが増えていた。互いの関係性についてではなく、都会暮らしについてだ。
 夜も明るい街なので、カラスやセミが昼夜問わず鳴いていた。金曜の夜中に響く酔っ払いの怒声が耳障りだった。それに国道をひっきりなしに走る救急車のサイレン、トラックの轟音。動物好きの恋人は心を痛め、耳のきこえすぎる私はうつと音のストレスのダブルパンチでだんだんと怒りっぽくなった。部屋の居心地はよかったけれど、そんな小さな積み重ねで私たちは郊外への引っ越しを決めた。

 最終日ぎりぎりまでかかった。業者を頼まなかったものだから、引っ越しにかかった3日間で体重が2kg落ちた。
 インコは引っ越し先でご近所になった友人が預かってくれて、ヒョウモントカゲモドキとキンクマハムスターはトトロのめいとさつきよろしく荷物といっしょの車でごとごと移動した。
 離れる前にもう一度くらい行けたらいいねと話していた海には結局ばたばたしていて行けなくて、恋人には悪いことをしてしまったなと今になって思う。

 最後の日、がらんとした部屋にふたりでほこりまみれの朦朧とした頭を下げた。恋人がどんなことを考えていたかはわからない。でもたぶん、ほとんど同じような気持ちだったと思う。

 ぴかぴかに磨き上げたかったけれど、時間配分が下手で無理だった。それなりの掃除しかできなくてごめん。次の人にはうんと大切にしてもらってほしい。バランス釜だけは替えてもらったほうがモテると思う。でも、そんなちょっと昭和なところも好きだったよ。
 この大都会で居場所を求めた私たちを受け入れてくれて、本当にありがとう。


 今はあたらしい部屋でこれを書いている。思えば、このバルコニーはあの部屋そっくりだ。2間ぶんかそれ以上あって、リビングには光がさんさんと降る。無意識に似た部屋を選んだらしい。
 今の部屋は前ほど神経質にならずに探した。担当者はイマイチだったものの、マジョリティーのカップルだったらな、と今回一度も思わずに済んだのは、今日も隣にいる恋人の、人をうたがうことをしない性質に、私も少しずつほどかれたためだったかもしれない。
 来年もこの人とふたりで1度くらいは海へ行き、バルコニーでは野菜を育てたい。あの部屋に暮らした夏とおんなじように。
 

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