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『児童虐待から考える』

ようやく「万引き家族」を観ようという気持ちになった。わたしにとっては、観るのに相当の覚悟の要る映画だ。

いくつかレビューを読んでいるうちに、ふと、やはりこの本を一読しておきたくなった。

杉山春
『児童虐待から考える〜社会は家族に何を強いてきたか』

2017年の暮れに出たときにすぐに買って、一年半積読してあった。この間にも新たな児童虐待事件は起こり、わたしの関心は途絶えることはなかった。この本の背表紙をいつも見つめていた。

このタイトル、この内容……重さを感じないわけにはいかない。積読になっていた理由もそこにある。それでも最後の最後に、わたしは杉山春さんの書くものへの信頼があるから、読むことができる。誰から聞くか、橋を架けてもらうかは、ほんとうに大事なことだ。

三度ほど、春さんが登壇するイベントに行って、著書も読んで、そう思った。

ルポルタージュなので本の中では、「健一は」「母親は」という表現だが、壇上での杉山さんは、「このお母さんは」「お父さんは」とやわらかく話す。人間への寄り添いがあり、理解しようとする態度がある。シェアすることで希望を感じさせてくれる。

何が起こったのか、報道されないところで何があったのかについてはもちろん書かれているのだが、その上で、国家と個人、国家と家族、近代家族と現代家族、満州開拓団と虐待事件、グローバル経済とニューカマー、ハンディキャップと支援、日本独自の家族観・こども観と世界共通の価値観……、、

この社会に居続け、生き延びるために虐待死を起こさねばならないほど追いつめられていた人がいる。その過程や構造が次第に見えてくる。深く、広く。

児童虐待死事件を尊厳と友愛を持って丁寧に描きながら、それの要因を多様な視点と視角から寄ったり引いたりしながら見せてくれる。

報道を見るたびに起こる思い、「なぜ私たちの社会は幼い命を救えないか」という問いに、一冊まるまる使って、杉山さんとしての調査結果や論考を提示してくれる。

辛い。安易に「同じ母親」として自分を重ねることを拒むほどの、わたしの人生にはない孤立や欠落や病理に愕然とする。逆にわたしの人生での経験が呼応して疼く箇所もある。それでも、読んでいると、自分にできることがある、希望があると思える。

読んだことで知ったから。
自分の中で対話があったから。
少しだけ考えが進んだから。
読書体験だけがもたらしてくれる、この価値も伝えてゆきたい。



知らず知らず追いつめているのも、そっと居場所をつくりだしているのも、無意識で小さいことだ。

自分の仕事だけでなく、日々の雑談の中の言葉遣いや、周りの人との関係や、見知らぬ人への態度や、衣食住やわたし自身の家族形成の選択からだということを、あらためて思う。

読めてよかった。

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