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真っ只中の人から聴く

7年前、子が5歳のときの写真が出てきた。

わたしと、とあるイベントに音楽パフォーマンスを観に行ったときのもの。バンドの人たちから誘われてもいないのに、近づいていっていきなり飛び入りしたところをわたしが撮った。トライアングルを借りて一緒に演奏した。

その頃は和太鼓を習っていたので、親近感もあったのかもしれないが、いずれにしても、わたしには全くない度胸と衝動がすごいなぁと思って見ていた。もちろんバンドの方々から「いいですよ」というお声があったので、よかったのだが。

今思えばこういうことをやってたなぁ。子の行動にはいちいちびっくりすることが多くて、このままで大きくなるのかな?わたしついていけるかな?と内心ハラハラしていた。

そうしたら、先月ぐらいにいきなりこんなことを話し出して驚いた。

「あの頃は、自分と自分でないものの違いがよくわかってなかった。ぜんぶつながっている感じ。それが去年(5年生)あたりからだんだんわかってきた。自分と人は違うと気づいて、自分のほうができないとかだめとか思うようになって、だんだんいろんなことが嫌になって、学校もめんどくさくなってどうでもよくなって、それでいっとき行かなくなったんだよね」

去年の夏休みから3ヶ月ほど学校に行ったり行かなかったり、まとめて休んだり、という期間があった、そのときのことだ。

この話を聴いて、まずは、「待つってほんとうに大事だな」と思った。
そして、わたしちゃんと堪えられたんだな、偉かったなとか、人間ってやっぱり変化し成長するんだなとか、わたしたちは今この話してくれるような関係性であれてるんだなとか、などの思いも湧いてきた。

そのあとに、「そういうことだったのか……」がようやくきた。
学校に行かない理由は何かあるんだろうけれど、まだ言葉にはならないということだけわかっていたけど、まさかこういう形で突然知らされるとは思っていなかった。
「朝起きて、きょうは"行かない"と言ったら、理由は聞かないで"いいよ"って言って」とリクエストがあったので、そのようにしていた。

「学童期後半から思春期はこういう時期」と児童心理学や発達心理学などの文脈では聞いたことがあったけれど、当人、当事者の口から出るとまったく思っていなかったので、ほんとうに驚いた。「やっぱりそうなんだ!?」という感じ。

自分のそのときはもう思い出せない。リアルでそれを体感している人から聴けて、何か拝みたいような気持ちになった。

そんなことを思い出した。