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無題

息子は一日一回は学校で泣くそうだ。

きのうも寝る前に、
「きょう算数の時間に泣いちゃってさぁ」と言うので、
「何があって?」と聞くと、
「コンパスの針についてるカバーがない!と思って泣いた」と。

「あー、あのプラスチックのちっちゃい、あれ?(心中まじか…と思いつつ)うん、それで?」

「こうやってたら(手で顔を覆う)先生がどしたのー?具合悪いの?て聞いたから、カバーをなくしたって言ったら、探してあげるよーあーあったって、一瞬で見つかって笑えた」

という具合。

心の容量が小さいか、気持ちが膨らむか、あるいはその両方か。

笑ってほしそうだったので、
「多いとき何回泣くん?」と聞くと、
「5, 6回とか。家とかも合わせるともっと多いかも!」
「ぎゃはは、泣きすぎやろ、それ」
と二人で笑った。

そんぐらいで泣くのまじか…、この人、この先ちゃんと生きていけるんか?とか、泣かれるとまじウザい、と思うわたしもいる。

けど、もうめっちゃわかるそれ!あたしもそうやったもん!なんなら今も人前でもすぐ泣くもん!泣け泣け!好きなだけ泣け!とも思うから、混乱するかもしらんが、両方言うことにしてる。

なによりいつもあたたかい気持ちになるのが、学校で泣いたからといって、同級生に全くからかわれていないことだ。それどころか、「みんな助けてくれてありがたい〜」など言っている。もちろん先生からも責められたり、叱られたりもしない。

学校で泣いて嫌な思いをしたことがない、とまで言っていた。
共感的なコミュニケーションが、新しい世代の中には確かに育っていて、それが当たり前になっていることを、泣いた話を聞くたびに感じる。

希望。


晩ごはんを食べながら、または寝る前に、「きょうよかったこと3つ」を出し合うことにしているけど、「きょう何で泣いた?」も入れてみようかな。