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だからわたしは左手で祈る


恋人から手紙をもらった。
ちょっと困っちゃうくらい素敵な。

私の恋人はしばらく右手で文字が書きにくい症状が続いていて、日常も大変そうである。
ノートが取れないとか、日記が書けないとか、ちょっと名前と住所書かなきゃいけない時とか、生活の色々なタイミングで苦労があるんだろうな。

何もしてあげられない私はこれを機に毎日左手で文字を書く練習をしている。
上手い字が書けなくても二人で一緒に下手くそな字を書きながら面白がって生きられればいいと思って。
(別に私はそもそも右でもひじきのような字しか書けんから何のプライドもないけど。むしろあれ?左の方が味が出ていいんじゃないか?とさえ思う)

私は昔、ちょっとだけ左で文字を書くの練習してた時期があったし、お箸だって使えるから、初めての人よりは少〜しだけ希望のある字が書ける。

ん〜でもまだまだだな〜。
(この左手練習ノートを私たちは''呪い''と呼んでいる)

でもそれよりは、難しさを知ってることの方が大きいかもしれない。利き手じゃない手で文字を書くことの辛さを。そのもどかしさを。
足の先まで力が入ってしまうような、それでも行きたい方にペンが行ってくれない、あの感じを。

めちゃくちゃ時間かかるしストレスなんだよな〜。

言葉を、書くことを、大事にしている人にとってはなおさら。


そんな恋人から手紙をもらった。



すべての人に様々な事情があるように、私たちの恋愛にも人並みに事情とか障害とかどうしようもできないこととかがある。
’’普通’’なんて言葉使いたくないけれど、’’普通’’に「好き!」って言い合えて、好きだから’’普通’’にずっと一緒に居られて、とか良いよな!って拗ねたくなる日もある。

恋人よりも幾年分か多い記憶を不器用にこねくり回しながら生きている私は、最近恋に対して妙に臆病になっていた。

大事なものが増えていくのが怖いとか。
それがいつか大事じゃなくなったら悲しいとか。
幸せな今も、いつか切ない記憶に変わるんだろうかとか。

人を本気で好きになるというのは時に辛いことだから。心も体力も抉られるような時だってあるから。
そしてそれを失うというのは、思い出が触れられない過去になるというのは、もっと抉られる思いをするから。



初めて恋人が書いてくれた手紙の左手の文字は、びっくりするほど上手だった。
''これ、す〜んごい時間かかっただろうな''って分かる。
ほんのちょっとずつ歪な一つ一つの字が、線が、長い長い夜の静寂を纏っている。その時間のすべてに、私は感謝する。
この人の生真面目なところとか、丁寧な言葉を選ぶところとか、私はすごく好きで、それが詰まったこの手紙はやっぱりちょっと困っちゃうくらい素敵だ、と思った。


でも、だから、上手く返事が出来そうになかった。
私に返せるものなんてないような気がした。

私には何も約束できない、きっといつか終わりがくる。
それが見えすぎてしまう時は、今が尊すぎて辛い。



……だからなんだ。だからなんだよ。

几帳面に敷き詰められた恋人の左手の文字をずっと眺めていたら、そう思った。
怒りさえふつふつと湧いてくる。

だからなんだよ!

今が大切すぎて辛いなら、死ぬほど悶えながら今を大切にすればいい。
この人を好きになっていくのが苦しいなら、死ぬほど苦しみながら好き!って言えばいい。


そしていつか、このすべてが届かない過去になってしまったとしても、その時は死ぬほど苦しめばいい。死ぬほど懐かしんで憎んで愛おしめばいい。死にたいうちはきっと死にはしないから。そうやって生きてきたでしょう。
だから恐れずに好きでいればいい。踏み込みあったり傷つけあったりすればいい。

綺麗じゃなくて全然いい。
毎日毎日後悔しないように今を愛せばいい、それだけのことを続けるために、私は今日もコツコツと左手で綺麗じゃない文字を書き続ける。

まだ恋人には到底及ばないけれど、返事になるほどの確かな言葉も器用な左手も持ち合わせてはないけれど、書き続ける。
別に私が左手で書けるようになったところで何が起こるわけでもないんだけどね。


だけどこの無意味な毎日の営みが、私の祈りで、愛で、返事だ。

(そして呪いだ。)


幸せを綴るぞ。


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