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今の状況まとめ

乳がんステージⅡと診断されてから約2年になる現在の状況をまとめておこうと思う。

病院に行った理由:バセドウ病の再発なのか、何なのか分からない状況で体重がどんどん減ってきて、何をするにしても辛い。左胸に何となくしこりのようなものを感じていても病院には頑なに行きたくなかった。が、あまりにも痩せてくるので、病院へ行って検査。乳がん発覚。左胸乳がんステージⅡという診断。この診断を聞いた時に、右上の方から「治るよ」という声が聞こえたような気がして、ならば。。。と3大治療を拒否。自分で治すと決意した。

現在の左胸の状態:腫瘍自体は3/2ぐらいに小さくなったと思う(測っていないので多分)左胸の皮膚に多数のしわが寄り、右胸よりも多少小さくなっている。

今の身体の状態:乳がんは3/2に縮小した様子。免疫力の侵入と鍼灸医に言われた溝のような線が乳房に四方から出ている状態。胸自体は柔らかく、腫瘍は少し固め。バセドウ病再発中。多分コロナ自粛期間中の過ごし方で、夫とのストレスが大きかったと思う。そしてこの時期の高温多湿がとても苦手。毎年この時期はストレスが多いかも。五十肩で現在は右肩が痛い。

今までの通った病院と治療:始めの3ヶ月は診断は西洋医学の病院。3カ所に行くが全て全摘、ホルモン治療、抗がん剤を行うと言われすべて断った。3ヶ月後から半年間、自然治療の病院を探してみるがイマイチピンと来なくて悶々と過ごす。友人から渡された本を読んで東京 DDクリニック(内海聡医師)へ。精神治療・低温サウナ・食事療法・ホメオパシーを半年実施。その後、ホメオパシーは継続し、現在はかわだ東洋医学にて鍼灸治療中。その他自らコーチング・ゴスペルで自分と向き合い、トランスフォームマネージメントの動画や本で心の持ちかた、気持ちの持ち方を学ぶ。

今の食事:幼い頃からの菜食主義。母がそのような食事しか作らず、肉を食べてこなかった。大人になっても動物を殺してまで食べることに納得がいかず続けていた。結局DDクリニックの食事療法で低糖質食をすることになり、体が復活。かなり元気になる。タンパク質不足だった。現在は「まごはやさしい食」にして、ご飯はたまに食べる程度。

日々の生活:頑張らない。無理しない。我慢しない。嫌なことはやらない、断るを徹底。

今思うこと:色々なセッションや治療などで父に気に入られようと生きていた自分、母のようにはなりたくないという気持ちに気付き、病は気からということを実感した。この心の問題に気付いた時点ですでに身体は快方に向かっていて、自分で治すことは可能なことは全く持って可能。もう、西洋医学で対処療法を行って身体に傷つける治療は緊急時や外科的なもの以外は無くなる時代になる。                          身体が以前よりもかなり楽になっているので、出来る事が増えてとても動きやすい。なので頑張りやすいところを少しセーブするようにしている。

今やっていること:鍼灸治療(2週間に1度かわだ東洋クリニックへ。それ以外4日に一度夫に鍼治療をやってもらっている)漢方薬。ホメオパシー。トランスフォームマネージメントの動画や本で勉強。コーチング。ゴスペル。竹細工。羊毛フェルト(これは仕事も含め)。まごはやさしいの食事。砂糖を極力減らす。無農薬野菜。肉類もグラスフェットをチョイス。良い塩(漢宝塩を取る)。深呼吸。散歩。


乳がんもバセドウ病も、五十肩も「頑張りすぎる」「良い人でいよう」「我慢しよう」などで事で起こる病気。これを止めるには私の場合は結構な時間がかかっている。なぜ頑張るのか?を聞かれれば、それは父に認められたいから。なぜ良い人でいたいのか?→嫌われて両親に悲しい思いをさせたくないから。なぜ我慢するの?→小さい頃我慢しなさい!と言われ続けてきて、それが当たり前だと思ってたから。

こんなことを52歳になった私が思っていたと思うとびっくりする。自分を生きてなかった。

なぜ頑張るのか→羊毛フェルトで世界を温めるという目標があるから

良い人でいたいのか→良い人じゃなくてもいい。その時々に合う人は変わるから巣の自分で居ることが大事。

なぜ我慢するの?→もう我慢しない。疲れた時は疲れたと言って、嫌なものは嫌と言う。自分を守る為、大きな目標を実現する為に我慢しない。

今ならそう言える。


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