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子どもは思っているより早く成長してしまうので、悩んだり、怒るくらいなら愛情を伝えた方がいいのかもしれない。

気がついたら来年は小学生。
この世に生まれてきて6年。
たった6年なのだけれど、それはそれは早いこと。
わたしの頭の中のイメージをアップデートする速度が追い付かない。

先日、ペアレントトーレニングの講座があり受講をした。
子育てに関して、親としては様々なアプローチがあるのだけれど、わたしの中でこのペアレントトレーニングで納得のできない箇所があり、
そこをしっかり理解できるようにしたく参加することに。

正直に言うと、
わたしは子育ては得意ではない。
そもそも、家事など家のこと全般もできることならやりたくない。
きちんとする。おさまる。と言うのがあまり好きではない。
興味のあることを気の向くままにやってみたいのだ。
ただ、こんなわたしでもなんとか子育てできているのは、
息子のことが好きだからなのだと思う。
子育ては楽しいことばかりではないし、
もう、全てを投げ出して逃げてしまいたいなんて心境にもなるけれど
そんな辛いことを帳消しにしてしまうくらいの魅力を子どもは持っているから不思議だ。

今回のペアレントトレーニングではまずは子どもの行動を3つに分けて、その項目に応じての子どもへの接し方を学ぶ。

好ましい行動をしたらさかさず褒める。できたらではなく25%ぐらいの達成度でとにかくその行動を褒める。
好ましくない行動に関しては注目を示さない。
肯定的な注目を与えることで、その行動が強化されれ、好ましくない行動は注目をされないことで、行わなくなる。
これが基本。

これとは関係なしに、人がある行動を習慣化するにはその行動をした時60秒以内に肯定的な評価を200回繰り返す。
と言う話もある。
これだけ読むと、大変そうだけれど、
子ども、大人、関係なしに、何かをできるようになる、好ましい行動をとれるようになるというのはなかなか難しい、時間がかかるものだ。
けれど、一度、身に付けば、苦なくできるものだとも思う。

とはいえ、この好ましい行動、好ましくない行動というのは、大人の社会の都合でできてるものがほとんどで、文化、生活、考え方それぞれのベースでまったくことなってくる。
だからこそしつけというのは難しいものだと実感してしまう。

いつも気を付けていることは
自分の常識が必ずしも正解ではないこと。
自分がされたようにすることが正解ではないこと。
目の前にいる子どもにとって大切なこと。
その子が求めていること。
それをよく感じ取ってあげること。

シンプルだけれど、そんなことぐらいしかできないのではないかと思う。

とにもかくにも
肝は子どもとしっかり向き合い、その子を理解することにつきる気がする。

何かしらその子に発達上の困り感があったとしても、その事に気づき、対処していればこじれることは少ないと思う。
これは別に発達障害だからとか言う話ではなく、
どの子どもにも当てはまる話だろうけど

はじめから悪いことをしてやろうと思ってることはないだろうし
はじめはそれが悪いことだとは思っていない。
純粋な好奇心に過ぎないのだと思う。

その事にたいして大人が何らかの評価を与えて、その積み重ねによって行動が定着していくのではないかとぼんやり思うようになってきた。

そんなわけで、我が子の行動を観察するときに、その行動が起こる理由を探すようになり、大概は怒る必要がないものだったということに気づいてしまった。

その子に伝わるように声をかけ、その反応を待ち、確認して、やってもらう。それに対して敬意をはらう。この一手間な感じがすごく大切な気がする。

そう、好ましくあってほしいのはわたし側の想いであって、本人からしてみれば、時として、我慢であったり妥協であったりすることもある。

子育てとし考えるとなんだか難しいようなことでも
他の人との関係で考えるとすごくシンプルな気がする。

我が子だからと言って何を言っても言い訳ではないし、やはり感情まかせにしつけてはいけない。

わかってはいるけれど
そこはまだまだ未熟なわたし。

わたしも自分の立場があるからと流されてしまうこともある。

そんなわたしでも、なんとかお母さん歴6年が過ぎた。
ここまでこれたのも息子さんのおかげだとしみじみ思う。

講座に参加されていた方の中に、3年前のわたしを見ているような感じの方がいて思わず声をかけてしまった。
「大丈夫」あの頃のわたしに声をかけるように伝えてしまった。

大きなお世話だったかもしれない。
変なプレッシャーを与えてしまったかもしれない。
けれど、声をかけずにはいられなかった。

自分がしてきたことがすべての人に当てはまるわけでもないし
大概のことはたまたまうまくいったに過ぎない。
それでも、試行錯誤して悩んで考えて出した道でもある。
簡単に「大丈夫」とは言っていない。
根拠も実績もまるでない。
でも「大丈夫」なのだ。

勝手なものだ。

それでも、もしどこかで同じ様に悩んでいるお母さんがいたら「大丈夫」と伝えたい。

今のその悩み。
あと少しで別な悩みに変わっていくから。
あっという間に
子どもは次のステージに行ってしまうから
まずは見てあげて。
目の前のその子のそのままを。

子どもはいつだって
まっすぐに見てくれているから
信じてくれてるから

同じ様に
信じて見守って愛していれば
きっと「大丈夫」
その気持ちを何度も伝えればいいんだと思う。

素直にいてくれる時期なんておそろしく短い。
お母さんが一番好きなんていってくれるのは一瞬だと思っておいた方がいい。
でも、こちらはずっと好きなんだと思う。
あの生まれたときの小さなイメージがずっと残っているのだと思う。

親とは厄介なものだ。

わたしは究極にダメな親なのかもしれない。

それでも「大丈夫」と息子を信じている。

子育てについて学び続けてみて確実に言えるのは在り方を変えるのは子どもではなく自分自身であること。
偉そうなことを言ったところで、実際、自分ができているかと言えばほどほど、適当になのだ。すべてを完璧になんて思ってもいない。
それなのに子どもにはそれを求めてしまう。
本当にそうしてもらいたかったらまずは自分がやってみるといい。
何もかもこなす必要はないし、むしろ、程よく力を抜くことで生きていけることもある。

その理想を追いかけるより、目の前の我が子に触れて感じて、ともに泣いて笑って過ごせばいい。

今回の講座、改めて自分の子育て軸を確認できた気がする。

信じて見守る。

うん。今日も我が子は元気に遊んでいる。

ありがとう。













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