見出し画像

「身に付けさせるべき社会性とは?」〜この個別化時代にあえての問い〜


「身につけさせるべき社会性とは?」

過去に、「凶暴とも思える自己中心性」を感じさせる子に出会ったことがあります。
具体的には、トラブルの詳細を聞いていくと
●あくまで他者を非難・攻撃する
●自分たちはただ楽しんでいるだけ、他者は関係がない。入ってこなければいい。
●自分とは合わない、関わらなければいい。今の席が悪い、席替えすればいい。
というようなことを滔々と語るのです。

学年担当の中堅教員は指導を試みますが、その子たちは全く受け入れず、かなり強靭に弁を振るい、教員すらも太刀打ちできなくなってしまっていました。
一部始終を聞き、私が思わず伝えたくなって、口を挟み、伝えたことは、以下の通りです。

学校は集団生活の場。
席替えをして席が離れれば、授業中に座っている時だけは距離があり、あまり関わらなくなるかもしれない。では休み時間は?給食時間、掃除時間は?登下校中は?相手が近くに来たら? 何も解決にならない。
いくら席替えしようとも、この同じクラスにいる仲間である限り、関わらざるを得ない。卒業式まで。
あなた方が学校に来るのが当たり前であるように、Aさんが学校に来るのも当たり前。Aさんに来ないでという権利は誰にもない。
30人以上もいれば、自分と合う人もいれば合わない人もいる。それは当たり前。色々な人がいるのだから。

では中学に行ったら解放されるか?それも全然違う。もっと色々ある。
高校でも、大学でも、社会人になっても。様々な集団に所属して活動をする。どんどん多様な人に出会う。自分と合わない人なんてたくさんいる。

社会人になれば、仕事上のプロジェクトで嫌が応にも様々な人と一緒にチームを組み、最善を尽くさなくてはならない。
合う合わない、好き嫌いは関係がない。そのチームでできる限りうまくやっていけるよう、各人が努力し、一緒に作り上げていく。

それができなければ、より良く生きていくことはできない。今は保護者に守られているが、社会人になれば、自分で生きていくのだ。

集団生活でうまくやっていくためには、それぞれが互いに少しずつ譲り合い、みんなが居心地の良い、安心安全な場を作り出す。基本的なルールを守ることは絶対だ。

学校のクラス集団は、その時にうまくやっていくための練習なのだ。今、君たちのクラスの仲間は、みんな君たちのことを心配しているし、不安に思っている。君達も、Aくんが何をするか不安だ、と言っている。それは全く安心安全な場ではない。
クラスのみんなができるだけうまく集団の場を作り、誰かだけでなく、みんなの笑顔が見られる場になるように。
自分たちだけが楽しい、他の誰かは悲しい思いをする、というのではダメだ。
みんな卒業式に、卒業おめでとう、卒業できてよかった、みんなありがとう、という気持ちで卒業したい。
そのために君たちに今できることはなんだ?考えてみてほしい。」


もちろん、子どもの特性等によっては、以上に述べた限りではありません。
集団生活が苦手な子はたくさんいるし、その程度も違います。
個別の課題に応じた配慮が必要です。それも踏まえて、こんなような内容で、思いを込めて語ったと記憶しています。

「オンラインゲームの弊害?!」

また、これはもしかして「オンラインゲームの弊害」なのではないか?と関連性をふと感じることもあります。
今の子どもたちは、オンラインゲームネイティブです。親が思うよりもずっとハマっています。

大人も子どもも、オンラインゲームを純粋に楽しんでいる方々も多い一方、

対戦型・格闘ゲームなどのボイスチャットでは、大人も子どもも入り混じって暴言の嵐だという話もよく聞きます。(実際に子どもたちの間でトラブルにもなっています)
合わない人や危険と感じた人はブロックできるので、あっさりブロックします。
話を聞いていると、顔も名前も出ない匿名性から気が大きくなるのかなと想像します。そして、攻撃性が出現してしまうようです。ストレス発散??
怖いものはないと思ってしまうのでしょうか。
その結果、凶暴な自己中心性ともいうべきものが宿ってしまうような気がしてなりません。(あくまで私の主観です)

大人ならば、現実社会ではそれは隠して二面性を使い分けて生活することができます。現実をよく知っているからです。
しかし子どもは、現実社会についてまだ学校や遊び仲間くらいしか知らないため、現実の生活においてもその凶暴な自己中心性を発揮してしまうことがあるのかもしれないと思いました。しかも親の前では巧妙に隠したりするのです。

「では私たち大人は?」

そして・・・、書いてみて改めて考えたのは、
私たち大人・教員・親は、それができているのか?ということです。
「社会性がしっかり身についているのか?」ということです。
職場では?地域では?親戚づきあいでは?
職員室内は?学年では?分掌のチームでは?
家庭では?

子どもたちの間に起こる問題は、決して幼い、簡単なものではないんです。私たち大人にとっても、生きる上で重要なものばかりなのです。
それは、整理整頓、言葉遣い、物の扱い方、話の聞き方、食べ物を大切にすること・・・・
全てそうなんじゃないか?と思います。

子どもの指導とは、とても本質的なものなのかもしれません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?