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私が自宅出産を選択した理由①

私は2月の終わりに自宅出産をした。
その選択に至った経緯を書こうと思う。

私が妊娠したそのとき、世間はコロナ禍。コロナ慣れした頃とはいえ、まだまだコロナの話題に溢れていたし、マスク生活が続いていた。

コロナに対しては、ハナから疑ってかかっていた私は、この数年で生活が一変したことにやるせない思いを抱いていた。

本当にコロナが死に至る病なのか。そもそもコロナは存在するのか。調べれば調べるほど、「新しい生活様式」を選択するのではなく、「今までどおり」を選択しようと思ったし、もっと言えば、「古き良き昔の生活様式」を選択する生活になっていった。大切な情報は全て、テレビや新聞では得られなかった。「表情を隠すこと」「自然に逆らうこと」。この二つが私がコロナを疑った大きな理由である。

それでも、声を大にして茶番だと言うには、知識もデータも不足していたし、世間と自分の考えとのギャップに苦しんでいた。しかし、自分にとって心地よく自然だと思う選択をしていくことで、自分の考えを受け入れてくれる人がたくさんいることが私を支えた。

妊娠を確かめるために、まずは、産婦人科探しをするわけであるが、出鼻から挫かれた。夫が検診から、一緒に立ち会うことができる病院がないのだ。これから家族が増えるのに、どうして母親だけしかその瞬間を味わうことができないのだろう。どの病院にも「一人での受診」をお願いされた。そして、一軒だけ見つけた。夫が検診に立ち会えるクリニックを。やっと見つけた喜びと断られ続けて自信喪失、この先は前途多難かと不安が入り混じる中、クリニックの門を叩いた。穏やかな先生が、穏やかに命の始まりを教えてくれたとき、心の底から安堵した。

安心できるクリニックが見つかったが、一難去ってまた一難。早々に問題に直面した。このクリニック、検診はやってくれるのだが、分娩はやっていないと言うのだ。新たに分娩できる施設を探すことになり、振り出しに戻った。

案の定、どの病院も「コロナの状況によっては立ち会いは不可になります。」「マスクをして分娩してください。」「立ち会いは一家族一名まで。」「お見舞いは時間が決まっています。」「お見舞いは不可です。」「ワクチンを推奨します。」「立ち会いの方もワクチン接種を。」…と、私にとっては許容できない制限ばかりであった。

確かに、安心安全を。母子の健康、周囲の人の気持ちや健康の尊重をという考え方は分かる。しかし、本当にそこを重要視しての制限だと言えるだろうか。必要以上に制限を設けて考え方の違いがある者たちを分断してはいないだろうか。これは病院に限った話ではない。

安心安全を謳いながら、どこにお金の流れが行き着いているか。また、このときは気付かなかったが、私が許容できなかった制限が、妊婦とお腹の子どもの心身の健康に直結することを後に学ぶこととなる。

途方に暮れていた私であったが、意外にも私の意見に共感してくれる友人が多数いた。意思表示を明確にすればするほど、同じ考えの友人がたくさんいることが分かったし、たとえ考えが違っても関係は崩れることはなく、尊重し合うことができた。また、同じ考えをもった新しい友人もたくさんできた。このコロナ禍で、ちゃんと今までの関係性や等身大の私を受け入れてくれた周りの方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

そして、新しくできた友人の一人が朗報をもってきてくれたのである。私の考えに寄り添い、丁寧にお産に向き合ってくれ、その後も親身に相談に乗ってくれる助産師がいると言うのだ。しかも、とても近所に。

とは言え、このとき私は助産院と病院の違いさえ理解していなかった。何度もホームページを見て、助産院のイメージを膨らめた。その中に「自宅出産」のワードがあり、とても驚いたし、もし自宅出産を勧められてしまったらどうしようと内心ドキドキしていた。

そして、「断られたら」「どんな方だろう」という不安もあったが、とりあえず一歩をと、少しだけいつもより勇気が湧いた日に助産院に電話を掛けた。繋がった電話からは、驚きの一言が。「今、富士山を登っているので折り返し電話しますね。お産と富士山を登ることはとてもよく似ているんですよ。」と。大変な状況の中でもゆったりとした優しい声でお産を乗り越えるイメージを伝えてくれ、安心したのを覚えている。
これが、「ぶどうの木助産院」との出会いだった。


※自宅出産、病院出産、無痛分娩、帝王切開…あらゆるお産の仕方がありますが、どのお産も優劣なく、素晴らしいものと思っています。私が選択した自宅出産(自然分娩)は、現在、知らない方がほとんどですが、体験した限り、メリットがたくさんあったと感じたため、誰かの選択肢の一つとなり、自宅出産(自然分娩)を選択する人が一人でも増えていってほしいと考えました。昔は、ほとんどの方が自宅で家族に囲まれ、お産婆さんに取り上げられて生まれてきたと言います。自然分娩が安全でないから、病院が主流になったのではなく、コロナ禍のように社会のカラクリがあります。カラクリによって淘汰されそうな自然分娩。でも、未来に残していきたいお産の一つだと思うので、経験者として少しずつメリットを伝えていけたらと思います。

※病院、医療を否定しているわけではありません。本気で病に向き合う善良な医療従事者の方が大多数だと思います。しかし、ほんの一部の、でも、とてつもなく強力な者の判断や決定が病院や医療の在り方を大きく左右しているという事実もあると思っています。

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