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発達障害的ガチャ

先日、あまりに物忘れが酷いので受けた
心理テストのもろもろ…

結果的には、ADHDの傾向はあるものの
テストではASDは認められない
発達障害とは断定できないというもの

まぁ、テストというのが自己申告と
他に気の散りようがない環境下で行う
というのもあるが
なにより私が受けた時点で
もう何十年と大人をしていて
それなりの処世術を身につけているというのが
大きいだろうと思う

大人になると子どもの時と違い
監視の目も少ないというか
プライベートでどんなに
ADHDやASDぽくっても
仕事場で気をつけていればいいし

子供の時のように、誰かと仲良くする事
友達を作る事を強要されないし
わりと個人行動が多くなるし
人間関係が希薄になる…と言うか
まわりも無駄に群れなくなる
多少、浮いていたり変わっていても
仕事さえちゃんとしてればなんとかなる

だから、発達障害は大人になると
その症状が軽減していくと
言われるんじゃないかなぁ
本質が変わらなくても
〝処世術〟を身につければ
それなりに生活できる

とは言え、その裏でかなり努力をしていたり
意識的、無意識的に関わらず
ストレスを抱えていたりするんだけれども
子どもよりも自分時間をとりやすいから
なんとかバランスが取れる部分があると思う

あと、適正のある環境を
自分で選んで行くことができる
と言うのも大人の良い点だ

症状が軽かったり
ある程度自制が効く場合ではあるけど…

こう書いてみると〝子ども時代〟可哀相…
親が子どもを他の子と比べたり
自分の期待や夢を無意識にかけたり
〝他と同じ〟〝普通〟を求めてしまったり
と言うことも多々あるだろうし

学校も他と足並み揃える事を求めてくるし…

子ども自体も、自分と異質なものには
無邪気に残酷だったりする
(まだ多様性を知らないから)

何かと、生きづらさを感じる要素が多い

かといって、自分で環境を選べる力がない

そうなると生まれた環境次第…
まさに究極の〝ガチャ〟
はずれたら可哀相…
折角の才能も押さえつけられて
生き辛さを押し付けられる事になるだろうな

先日、息子さんと見に行った
『窓際のトットちゃん』
やっぱりトットちゃんがトットちゃんらしく
個性を生かして才能を開花できたのは
トモエ学園という独特な学校に通っていた
というのもあるけど

なによりトットちゃんの個性を否定しない親が
いたからこそ
トモエ学園に出会う事ができたんだろう

そう思ってトットちゃんのお母さん
朝さんに興味をもちいくつか本を買ってみた
(ぜんぜん読めてないけど…)

すると

その朝さんのお母さん(祖母)が、
すごく子どもを否定しない
怒ったりしない懐の広い人だったという…
(お母さんの朝さんも
 ちょっとトットちゃん的な子だったのに…)

きっと、そう言うこと