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いつもの渋喫茶で

お伝えしたいことが、と会計のとき、店のお姉さんに声をかけられた。通い慣れた喫茶店、閉店時間の23時。いつのまにか有線が止まっていて、店内にはもう私と友人の2人しか残っていなかった。

先日の、かつて仲の良かった友人であり元職場仲間との再会。ぎりぎりで、会えなくなるところだった彼女とのめぐりあわせには、まだ続きがあった。

彼女の最終出勤日が間近に迫り、最後にもう1回くらい一緒にごはんを食べようと、常連だった喫茶店で待ち合わせた。古いけれど清潔でふかふかの絨毯、ゆったり並ぶテーブル席はいつもほどほどの活気。おしゃれさは皆無で分煙もされていないそのお店を私たちは「渋喫茶」と呼んでいた。喫茶だけど食事メニューが豊富でボリュームもあり、肉体労働のあとの空腹を何度も何度も満たしてもらっていた。

お店にはいつも、決まったお姉さんがいた。40代くらいでゆるくまとめた長い髪、黒いロングスカートの制服と白いエプロンに包まれたやせすぎの身体。静かでおしとやかでなんとなく幸薄そうな雰囲気なのに、接客を受けるたび、この人はこの店で働くことが好きなんだな、と伝わってくる優しさとあたたかさとユーモアがあった。

通いすぎていたので、私たちの事をお姉さんはすぐ覚えてくれ、たまに一人で寄ると「今日はお一人ですか」と声をかけてきてくれるようになった。「あとで一人きます」というときは、ひっそりと静かに微笑んでくれた。場所柄なのかお店の雰囲気なのか、客層は年齢層高めの男性が多く、若めの女2人連れは珍しかったのかもしれない。毎週末立ち寄っては閉店まで居座り、仕事や人間関係や恋愛相談を賑やかに繰り広げるご陽気な常連客。
馴染み相手でもぶれずにいつも線をひき、静かに裏方に徹底するお姉さんの姿勢はプロだった。店に行ってお姉さんがいるとほっとした。見守られているような気がした。

その日、お姉さんはかすれるような小さい高い声で、お店が閉店することを私たちに告げた。年明けで閉店すること、お客さんへの告知はまだしていないこと、お姉さんも職を失うということ。

常連だった私たちがぱったり来なくなり、今日数年ぶりに訪れ、またいつ来るかわからないため教えてくれたのだろうと思う。いま喫茶店が入っている古いビルが建つ前から、お店はこの土地で続いてきたのだという。長く歴史があるので、社長も閉店することがさみしいらしく、ぎりぎりまでお客さんには伝えない様子とのことだった。

びっくりした。あまり行かなくなっても、いつでもそこにあるものだと思っていた。お姉さんが長く話しているのを見るのも聞くのも初めてだった。
そして、本当にもう区切りだなと思った。私がそのエリアで働いていたこと、そこから生まれた出会いやめぐりあわせ、職場仲間だった友人との戻らない時間。

お姉さんに、また閉店前に来ることを約束し、店をあとにした。

友人である彼女と年明けに行こうと約束したけれど、一緒に行くかもしれないし行かないかもしれない。そのときは1人でコーヒーを飲みに行こうと思う。
店がなくなっても会うかもしれないし会わないかもしれない。どちらでもいいなと思いながら帰った。そういう仲なのだ。めったに会わなくても細くつづいていくのなら、それがいちばんいいなと思う。

大事な友人と仲を深めることが出来たあのお店とお姉さんの存在に、しみじみと感謝をしている。見守ってくれて、いさせてくれて、ありがとう。

お姉さんに切子グラスをいただいた。倉庫の片づけが始まっているらしい。

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